経験の再構成の試み1

 悲劇/闇/無明について、ある経験の全体は、三次元密度においてベクトル毎に分解されるのではないか。その内のいくつかが、個別の経験として認識されるということだ。例えば、ある全体経験Aがあったとして、これは個別経験a~fを含むものとする。高次元密度において、a~fは俯瞰的に認知され、または選択が可能であるが、私たちは三次元的制約によってそれらを複数の事象と錯覚する。観念によってつくられた全体経験のうち、意識的/無意識的に分解され、選択されたものが経験される。
 個別経験の内に悲劇的なものはあるが、そもそもの全体的経験においてそれは独立し得ないので、あらゆる経験は悲劇に至らない、という推論。

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