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強すぎない意思または意志

 自分はのめり込むような趣味を持ったりアルバイト経験もなく、友達と遊ぶことも少なかったため、視野の狭い若者だった。

 そのため、一方的に与えられる仕事に疑問があっても、「やらなければなら

ない」と組織に従順だった。

 しかし、自分の職場は不思議なところで、致命的な誤りが生じなければ、完了したときの出来が20%でも80%でも会社としては同じ評価。組織に貢献している人が評価されるとは限らないのだ。

 致命的な誤りとは、これまでの経験上、自分の個人的な感覚では誰かが亡くなることだ。そんなことはそうそう起きないので大抵は、「とにかく終わって良かった」で済む。

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 今いる部署は人手不足から、いつも行き当たりばったりの仕事の仕方だ。

 大きくは1年で仕事が完結し、毎年同じ業務イベントを同じタイミングで処理するのだが、不思議と新担当者への引継ぎが上手くいかない。

 引継ぎ引継がれるという発想がないため、業務が決まると前任者を探すところから始まる。データ、資料、スケジュール等あらゆる事を聞きとり、前任者も必死に思い出す。

 思い出せなかったり、この部分は違う人が処理した、などと言われたらその人を探すか、自分で考えなければならない。

 組織としては非常に非効率な仕事の仕方だ。

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 一時期、部署内のマイナー業務を2〜3人で担当していた。初年度は手探り、翌年度は業務イベント毎の流れや作業を記録していった。

 今後、自分が異動して不在でも、同じ業務を担当していても、少しは役に立つだろうと思ったからだ。

 そして今年度。メイン業務部隊と兼務になった。

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 すると早速、2週間後に2週間で完結しなければならない業務を渡された。

 兼務のマイナー業務が最も重要で短期間にこなさなければならない業務の最中にも関わらずだ。そしていつものように、前任者探しから始まる。

 やらせておきながら心配する管理職から発破をかけられながら、ふと思った。

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 若い頃は、急な流れに投げ込まれたら、上手に泳がなければと思っていた。たどり着くべき岸はひとつで、上流にしかないと思い込んでいた。

 少し歳をとり、泳ぎ続ける体力がなくなった。岸もひとつではない事に気がついた。そこで、流れに任せてなんとか手の届く岸にたどり着こうと思うようになった。

 今さらに歳をとり、流れは自分で作れば良いと気がづいた。

 流れに投げ込まれたら、一旦1番近い岸にあがり、流れを見ながら石を投げ込む。すると川の流れに変化ができ、少し流れが緩むところや休息できそうな所が出てくる。また、近道となる流れが見えることもある。

 自分の思う方向に流されるよう、途中で石をつかんだり、岸にあがったりすれば良いのではないか、と思うのである。

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 やってみると、最初は思いが強すぎたのか、なかなか上手くいかなかった。

 力みすぎず、周りをみながら流された方が、上手くいくようだった。

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 自分の思いが強すぎると、物事が上手くいかないことは誰しも経験があることだ。

 流されるままでは体力がもたないので、強すぎない石(意思又は意志)で流されれば、物事に柔軟に対処できるのではないだろうか。

 自分の試みは現在進行形で、結果はまだ出ていない。

 

 

ありがとうございます^_^