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東京に住んでいなくともオリンピックには自分たちの税金が入っている

 自分は東京から離れた所に住んでいる。

 オリンピックは、招致の時から日本での開催にあまり気が進まない気持ちでいた。

 復興五輪と銘打って、被災地から遠く離れた場所をメインに開催する。被災地を会場にしても、そこだけ、その時だけ、きれいに見せる方法はいくらでもある。大人が欲しいものを手に入れるための手法は色々あるだろうし、カラクリを知ると憤りを感じる手法もあるだろう。

 誰が招致したかったのか自分は知らないが、何か大切なものが政治の道具として使われることは、いい気持ちがしなかった。

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 オリンピックの話になると、都知事や国政の政治家さん達を目にするので、東京に住んでいない自分には関係ない話に思える時がある。

 よく理解できていないが、「国立」とつくからには競技場の建設にはいくらか国のお金が入っているのだろう。

 国のお金とは即ち税金。国債に埋められたとしても、将来の償還は税金だ。

 競技場だけでなく、見えないけれどこのオリンピックの色々なところに国のお金は入っているのだろうと思う。

 オリンピックは東京のもので、競技に関係する自治体以外は関わりにくい感じがするが、国のお金=税金が少しでも入っているのであれば、自分も大いに関係あるのではないか。

 招致活動の時から何となく感じていたことが、開催について色々と聞こえてくるようになったからか、最近特に強く感じるようになった。

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 オリンピックの開催には色々と意義があるのだろう。しかし、毎日の暮らしで手一杯の自分にとって、日本で開催する意義が他の要素と比較して大きく上回るのか、復興五輪という冠に被災地の方々が違和感を抱かない状態になっているのか、最初からある疑問は開催が近づいてきても解消されていない。

 もちろん、開催されれば選手の皆さんを応援する。何かに打込む姿は素晴らしい。自分にはないその強い気持ちに、自分も高められた気分になる。悔しい気持ちも嬉しい気持ちも、自分が持っていたことを思い出させてくれる。

 でもより気持ちよく楽しむため、やはり疑問なんて解消して、さわやかな気持ちで迎えたいものだ。

 

 

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