我慢をはずす

 ママさんのリーディングで我慢をはずすことにした自分。

 なるべく自分のスキ、快適を優先していくことにした。

 その当時、自分の生活で何が1番我慢が多いか。

 それはパートナーとの関係、家族生活であった。

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 パートナーのことは好きであったが、一緒に住むにはライフスタイルの違いが多いことは気になっていた。

 しかし、話は聞いてくれる人だったので、そこは何とかクリアできるのではないかと楽観視していた。

 また、バツイチではあったが相手の親との同居で肩身が狭かったことも理解できるし、子どもは大事にしていた。

 当時の自分の置かれている環境もあり、子どもができるまでは同居していなかった。

 出産から1週間、子どもが退院した日から同居が始まった。

 共同生活が始まると楽観的すぎたことを思い知らされる。

 家事の9割以上(残りは子どもを保育所に連れていく等)を自分がしていた。

 理由は、洗濯物は洗濯バサミで止めないと飛ばされてまた洗濯することになると何度言っても聞いてくれず、飛ばした洗濯物を拾うところから自分の仕事に戻ってくる、ということが全ての家事で生じるため、結局自分の仕事を減らすためであった。

 また、トイレやお風呂の掃除なんかにしても1ヶ月先なのか2ヶ月先なのか、いつになるかわからず、結局、待ちきれずやってしまう。

 また、自分も時短しているとはいえ仕事を持ち、また子どもは大変な寂しがり屋で大人が1人ついていないとずっと抱っこやら後追いやらで夕食の用意もままならない。

 そのためパートナーの夜の予定は自分のその日の準備や動きに関わるので重要であったが、聞かれることをすごく嫌がった。

 他にも共同生活者としては理由を説明し、協力(というのも変な話だが)してほしいことがあったが、話そうとすると怒り出したり無視したりと、なぜか話を聞いてくれなかった。

 家事は自分が自分でやらないと気が済まない性格だから好きで自分がやっていると思い込んでいて、そうではないと説明する場もない。

 そしてパートナーは、自分はただ嫌がらせのように何か言ってくる人、という捉え方をし、2ヶ月ほどで自分のことを「あんた」と呼ぶようになった。

 これでは共同生活は破綻する。

 破綻してもいいのだが、子どものことを考えると、共同生活を続ける必要がある。

 お互いにストレスだろうが、自分ができるだけ相手に合わせ相手のストレスを減らすことに努めることにしていた。

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 パートナーが期間満了で退職することになり、2ヶ月間無職、その後も週2日4時間のアルバイトという生活になることが決まった時、当時自分がやっていた保育所のお迎えができないかと相談した。
 自分は毎日行ってもらうつもりはなかったが、それをいう前の回答が「しんどいから嫌」であった。

 これで自分は完全に諦めがついた。

 この人はただの同居人で生活を共にする人ではない、と。

 子どもにとって育てられる家庭は、初めてのコミニュティであり社会である。

 しかし、子供の教育方針について話し合うことなどなく、各々が各々に子どもに接していた。

 ただの同居人同士の両親、だから言うことややることに共通性がない両親。

 違和感のある家庭環境で育てられる子は不幸かもしれないが、社会に出ればそんなことは多々あるわけで、この環境も子どもにとっては社会勉強と思うことにした。

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 リーディングをうける1ヶ月ほど前から自分時間の確保のため時間の使い方をスタディプランナーでみえる化するようにしていた。

 ある時期から、自分には一定の割合で1人時間が必ず必要であることを自覚していた。
 しかし、自分の部屋に居いても誰か入ってくるかもと思うと1人時間をとることができない。
 完全に1人になれる保証のある1人時間が必要であった。

 しかし、子どもができてからそのような時間の確保ができるわけもなく、そろそろ自分自身を保つことも危うくなっていた。

 そこにパートナーへの諦め。

 自分時間の確保も含め、自分の我慢をはずすことを意識すると、だんだんそのような場面が増えてきた。

 やってみると思ったほど子どもに影響がでなかった(と思っている)。

 すると気持ちも以前より軽くなり、自分を深掘りしようという気持ちがでてきたのである…


ありがとうございます^_^