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他者との関係が、昔ほど気にならなくなった理由
自分は人付き合いが苦手で、他者との関わり方がわからなかった。
一方で、他者の自分への態度や好き嫌いの評価が、とても気になる時とどうでもいいと思う時があった。
一度気になりだすと深みにはまっていき、相手が自分のことを気にかけていなくとも、1人でくよくよと悩んでいた。
時間と精神の無駄な消費であるが、答えのない問をぐるぐると考えたり悩んだりすることは、若い頃の自分の習性だった。
しかし先日、昔ほど他者の態度に悩んでいない自分を発見した。
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ある日、ある同僚の自分への態度が明らかに素っ気なくなった。何が悪かったのか見当もつかなかったが、仕事に直接関わる人ではなかったのでその時は気にしないことにした。
それから一年半程たち、仕事で関わりが生じるようになった。
久しぶりに仕事の話に行くと、態度から話したくない雰囲気が漂っており、詳細をみることなく「わからない。」と返された。
そのような態度を取られると、昔の自分であればとても悩んでいた。
何故なのか、何か謝らなければならないことをしてしまったのか、とわからない問に悩み、落ち込んでいただろう。
そこで、自分の変化について考えてみた。
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まず、悩む時間がなくなった。
仕事に加えて家庭運営にも課題が山積しており、人間関係まで悩んでいる余裕がない。常に関係する人ではないので、人間関係としては優先順位が低い。
自分は一人時間が確保できなければ、自分自身を維持できない。その時間の確保すら難しい今、この人との関係性まで手が回っていない。
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次に、「自分は自分」という意識が以前より強くなったと思う。
自分を深掘りしていき、これまであまり好きではなかった自分を認め、許すことができるようになると、徐々に、「自分は自分」という意識が生まれてきた。
良い言い方をすれば、自分を認め許すことで、他人の行動等もその人ととして受け入れることができるようになり、自分と誰か、誰かと誰かを比較することが減ったように思う。
悪い言い方をすれば、比較しても何も変わらないし変えるだけの行動もできないのであれば、比較する意味がない、と自分の中で結論がでたのだろう。
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最後は、「自分で選択する」ようになったことだろうか。
実際にはまだ、「自分で選択するようになった気がする」というところにいる。
素っ気なくされたことを「気にする」のか「気にしない」のかを問い、選択する。
以前はランチを選ぶにも人の倍、時間がかかっていたが、子どもが生まれてから強制的に迷う時間がなくなった。
子どもは待ってくれないため、手に当たったものを選ぶ、というぐらい迷う時間がなくなり、それがある程度習慣化された。
そのため、自分への問も二択であれば時間をかけずに選択できるようになってきた。
流されて選択するのではなく、主体的に選択することにより、引きずらなくなった気がするのである。
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「現状を変えたければ、まず、自分が変わるべし」ということを時々耳にする。
他者をコントロールすることが難しいのは事実だが、自分自身を変えるのもとてもエネルギーが必要な行為だ。
それだけの労力を使う価値があるのか、と無意識に天秤にかけているところもあるだろう。
自分の場合、悩む時間も他者と比較する時間もなくなり、悩まないという選択になった。
裏を返せば、無意識のうちに優先順位をつけ、悩まなくなった、ということ。
悩む時間は、自分と向き合う貴重な時間だったのかもしれない。
ありがとうございます^_^