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インターネット映像制作マンになって7年経ちました

今回は今までのインターネット映像制作マンとしての活動を振り返っていきたいと思います。

映像制作に触れたきっかけ

映像制作に触れたのは、中学一年生の頃にクラスで映画作りやクラス紹介PVを作成したことがきっかけです。当時の映像は黒歴史過ぎて直視できません。

当時自分のPCを持っているのはクラス内で私だけで、NECのノートPCにPremiere Elements 2.0 を入れて編集していました。学校のPCと自分のPCでデータをやり取りするために、40GBのポータブルHDDを常に持ち歩く中学生でした。

あくしょんおじさん

ニコニコ動画との出会い

大学生になってニコニコ動画、ボーカロイドという文化に出会いました。ちょうど千本桜やカゲロウデイズが投稿されたタイミングで、映像付きのボカロMVがたくさん出始めた頃でした。

特に印象に残ってるのは、じんさんの「ヘッドフォンアクター」です。

しづさんのMVカッコいいな~と思うと同時に、自分でも作りたい!と思い、Premiere とPhotoshop 目当てで既に購入していた Adobe CS5.5 Production Premium に入っていた After Effects を勉強し始めました。

紫色の本を一通りやりました。ぼろぼろです。

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ただ、一通りAEでできることを理解したある日、気づくのです。

素材の動かし方とかは分かったけど、そもそも素材ってどう作るんだ?

そう、After Effects は映像を加工するソフトであって、0から生み出すソフトではなかったのです。After Effects で作れる素材はせいぜい図形とテキスト、ノイズパターンやパーティクル程度です。

そこで私は考えました。テキストでPVを作ろう、と。

PVつけてみたというワードがもう懐かしい。

この作品は私にたくさんの出会いをもたらしてくれました。

まず一番大きかったのは、トーマさんとの出会いです。

トーマさんから直接、次のMVを作ってほしいと連絡が来たときは、もちろん驚いたと同時に、インターネットという世界のスピード感や、一種の怖さも感じました。

そして投稿されたのが「ヤンキーボーイ・ヤンキーガール」です。

今見てもまだまだAE覚えたての雰囲気が出ているMVですが、それが逆にパロディのしやすさに繋がったのでしょうか、二次創作という形で今でも愛されている作品になっているのは、それはそれでよかったのかなと思います。

これ以前の作品では、基本的に世界観はトーマさん本人とtoiさんで作り上げられていたので、いきなり投入された私という異物に「これはトーマの世界観と合ってない」というようなコメントがあったこともよく覚えています。

二つ目の出会いは、Hidekoさんとの出会いです。

これもHidekoさんから直接依頼をいただきました。

大学生という特権を使って、贅沢に時間を使って作ったMVだったと思います。授業以外、朝から晩まで自宅のPCに噛り付いていたと思います。授業中に頭の中で構成を考えて、帰ってそれを組み立てる、みたいな生活でした。

実はこれが投稿された日、私は心臓のカテーテル手術のために入院していて、病室でスマホをいじりながらみるみる伸びていく再生数とエゴサで出てくるツイートの嵐に圧倒されていました(手術も無事終わりました)。

三つ目の出会いは、Pizuya氏との出会いです。

コン(学戦P)名義でシリーズ化して投稿していくので、映像を担当してくれないかと依頼が来ました。あとから聞いた話だと、九龍レトロPV付けてみたを見ためいど氏が、私を推薦してくれたそうです。

この学級戦争シリーズでのやりとりから、Pizuya氏の東方での活動にもジャケットデザインなどで関わらせていただくようになりました。

東方との出会い

こういった経緯もあり、実は私は東方に関してはそこまで造詣が深いわけではありません。ですが、Pizuya氏を通じてその後IOSYSさん、石鹸屋さん、そして本日公開のビートまりおさんらとの作品にかかわらせていただくことができました。

最近は動画制作だけでなく、WEBを作ったり、ライブの生配信などを担当したりと、Pizuya's Cell での活動範囲はどんどん広がっています。

これからやりたいこと

映像を作り始めたころ、三段階の目標を掲げていました。

1.音ゲーで自分の映像が流れる

2.DVDに自分の映像が収録される

3.地上波で自分の映像が流れる

1つ目の音ゲーは、IOSYSさんと「爆なな☆てすとロイヤー」と「分けるな危険!モモモモモモーイズム」という2曲制作させていただき、達成しました。

2つ目は、つい先日ASCAさんの「アインソフオウル」がアルバム特典のBDに収録され、達成しました。

残すは地上波・・・なのですが、最近はそれよりも新しい技術を使ったコンテンツ体験に興味があり、特にARやVRを使った映像作品を作っていきたいと思っています。

以上、インターネット映像制作マンの7年間の総括でした。


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