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ルールの窮屈さと代謝の関係

こんにちは、さくです。

お仕事において、その仕事に情熱を持って取り組めば取り組むほどさまざまな改善案が出てくるのは当たり前のこと。そしてそれが多くの人にメリットを生み出すものであればあるほど、多くの人に共有します。自分自身の気づきを利用して仕事の成果がより良く慣れば、と思うから。つまり改善をしようとすることは全く悪いことではない。むしろ歓迎すべきこと。改善の兆しが見えず常に同じことをやり続けている会社を想像して欲しい。現状維持であれば良い方でしばらくすればだんだん業績は下がっていくことは必然だろう。

しかし、AよりBの方が良いよねとなったとき、1人がAからBにするよりも100人でやったほうがより意味がある。そんな感じでこれをやるならB、あれをやるならCと決まったらどうだろうか。さらにそこからBをやるためにはBAとBB、BCを手順よくこなすべき。こんな感じで過去の偉大な先輩方が残してきたルールに従った結果、従わなければいけないルールが増えていく。ルールを作った当時はそのルールに従うとそのときに考えられ得る最高の結果が得られた。しかし、しばらく経てば創意工夫の意欲がある人からすればルールが多すぎて窮屈。言われたことを忠実にこなすタイプの人にとっては一見良いように見えても、会社としての成長はない。つまり成長せずに横ばいであればラッキー、業績は悪くなって当たり前という環境だ。結局自分の仕事を失うことになる。

改善には増やすことも必要だが、”増やす”と対義語である”減らす”も同じように実行していかなければいけない。世の中は常に動いて、生き物のように常に代謝している。生き物の中で生きているのだから生き物のような振る舞いを、例え現代医学で定義される”生物”でなくても忘れてはいけないと思う。代謝しなければ毒素が溜まって死んでしまうように、代謝されない組織はどんどん時代から取り残されていく。

この例として一つ。以下は私の勝手な想像。
従業員の髪色問題。昔はきっと勝手知った仲でしか商売は行われなかったから、外見だけでなく内面も重視されたのではないだろうか。
時が経ち、交通の便が発達するにつれ、さまざまな人を相手に商売をする機会が増えた。今まではその人自信を理解していたから、どんな髪型でも良かったのがだんだん、関わる全ての人を知ることができなくなる。さまざまなきっかけから、髪を染めている人に対するネガティブなイメージがつき始めて、それなら万人受けする黒髪の規定を作っちゃおう!そんな感じで髪色の規定ができたのではないかと想像する。
しかし、時代は流れ現代。交通の便はこれ以上ないほど発展し、さらにはインターネットを介して大量の情報にすぐさま触れられる時代。その中で、人々は多様な考え方があることを知り、企業側は求人の競合が増えた。その結果の一つがアルバイトの髪色自由な会社が増えたことではないかと思う。

このように一度過去に決めたことも世の中の流れの中で覆る。覆すことができない会社は生き残っていけないのだろう。


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