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長瀬有花 LIVE “Eureka”を発見した

音楽ライブを体験したことがない。

個人の話からスタートし恐縮の限りなんだけど、音楽ライブに行ったことがなく、配信含め観たこともほとんどない。各種コンサートの終了後(なんなら事前)にSNSとかで見聞きする観客の一体感──手をどうこう、ペンライトをどうこう、みたいな──が苦手と感じていたんだと思う。知らないもの・文化、そしてそこから生まれてしまう周囲との差異に恐れを抱いている!
音楽を聴かないわけじゃない。社会人になり通勤時間が1時間くらいあるということで、YouTube Premiumに加入してもう2年になる。その間にいろんなアーティストがYouTube Musicのオフラインリストに出入りした(そして
サカナクション/フレデリック/藤井風/YUC'eらが常駐した)なかで、長瀬有花さんはときおり、『新宝島』『オドループ』のカバーをひっさげ現れた。
現れる。
だから、ほんの少し知っている。
ほんの少ししか知らない、けど。

長瀬有花 LIVE “Eureka”のアーカイブ配信チケットを購入して、も、いいのかな、と思った。ほんの少ししか知らないから。でも信頼の置ける知り合いが現地で参加しアツくなっていたのを見たのとその他もろもろの理由で、えい、と見始めた。
始まってさいしょ、長瀬有花さんは2次元の姿で出てきた。PC画面のなかに広がるLIQUIDROOMで、さらにそのなかの画面にいる。そのときの率直な、後ほど覆されるのは読者諸君きっと予見済みだろうけど率直な感想としては、「こういうふうにやるのか……」と、すこし落胆すら含むものだった。

分かった気にでもなっちゃった?

結果はご存じ、長瀬有花さんは仮想と現実を行き来することができるのだ。そう、実体として出てきたのだ!
もう、めちゃくちゃびっくりした。「結果はご存じ」とか言ったけど、自分は長瀬さんの「現実・実体」としての姿をそのときまでほとんど見たことがなかったので、なんだかすべてを逆手に取られた気がした(次元の扉をくぐって来る可能性を勝手に頭から消してしまっていた)。
「やっと、皆さまの前に立って、歌うことができま~す」という台詞に意味が乗せられたんだろうな、と、知らないなりに知った。

そして「きょうの楽しみ方は、自由で~す」というワードが自分を貫くのだよ。
自由。「自由に楽しむ」が許される空間ってそんなない気がする。もちろんこの発言は「きょうの」来場者たちに捧げられた金言だったとは思うけど、配信で見ている自分にとっても、ものすごく安心を感じることができる台詞だった。「ほかのひとと違うことを恐れないで!」、これが長瀬有花さんからのメッセージなんだ、と、思い知り、また深く安堵するには十分な呼びかけだった。なんだか変な喩えな気はするんだけど、この台詞にだけエクスクラメーションマークがついているように感じた。
そこからは、そのままの2時間。はじめて出会う曲も多かったけれど、これを「知らない曲」ではなく「見つけた曲」ととらえることができた。どんな曲でどんな歌詞なのか、セットリストを探せばあるし、聞き取ったコトバを打ち込んで検索することだってできたけど、YouTube Musicでひたすらに聴き直して、リレーションを試みた。その過程が、明滅し交差する緑のレーザー光線のようにきらきらと輝いている!

ラストナンバーの直前、「長瀬有花は、これからも、あなたの日常のそばに有り続けます」「これからも、もっともっと、わくわくすることを、いっしょに体験していきましょうね」と声をかけられた。
「日常」というコトバが好きだ。ひとそれぞれの日常があるくせに絶望的に平等で、どれだけ願っていなくても続くから。昨日の続きを生きてる自分の日常に素敵な経験を挟み込むことができたのが、そしてこれからの毎日を少し変えるきっかけに出会えたのが、ほんとうに幸いだった。

音楽ライブを体験した。次は現地で体験したい。

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