佐久間玄蕃の馬廻

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疑惑の悪評1 佐久間盛政の人柄については、柴田勝豊との確執で傲慢な人物だったというのが定着している。(人柄については他に参考になる記述が乏しい。) 『柴田退治記』(賤ヶ岳の戦いのすぐ後に成立。著者は秀吉の祐筆である大村由己)では、柴田勝豊が秀吉に降ったのは勝豊が傲慢な佐久間盛政を嫌っていたためと記述されている。 『太閤記』(成立は江戸時代初期。著者は加賀前田家の家臣である小瀬甫庵)でも柴田勝豊が秀吉に降った理由は『柴田退治記』にも記された佐久間盛政の傲慢さだと記述されて

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