片付けられなくても散らかるのはイヤ

片付けられないのがコンプレックスのひとつ。

気がついたら散らかっている。
散らかっていない、と自分が思っていても、よその人が見ると散らかっているらしい。

でも。
片付けられないからって、散らかっているのが好きってわけじゃないんだということを強調したい。

整頓された部屋で暮らせるのならそうしたいのである。
整頓された部屋で暮らせるのならそうしたいのである。

独身時代の一人暮らしの部屋は、片付けられないなりに、使う物使わない物を分けてあり、動線上に必要な物しかなく、動線外にあるものはだいたい把握していて、欲しいものがどこにあるかわかる機能的な部屋となっていた。

動線上に必要なものしかないのだから、想定以上に散らからない生活。

それがどうだ。子供ができてからの生活は、
①どんどん増える物たち。必要な物がどんどん変わるし、定位置にしていたはずがどんどん動きが変わっていき、カオスに。

②定位置が、できない。ちょっともらってきたお子様ランチのおもちゃは、おもちゃ箱なのか。おもちゃ箱から取り出されるおもちゃ。そして、散々歩き回ったあげく、全然知らない場所に知らないうちに放置されるおもちゃ。

③片付けが、できない。毎日拾い集めて清掃して、の動きに精神的にムリが来た。もうムリ。

本当は、整った部屋にしたい。もう「アレどこ行った」と言いたくない。
でもどうしたらいいのかわからない。定位置を作ろうって。定位置ってどうやって作ったらいいの。

定位置作るために、どうやったらいいのかわからない片付けられない人が、がんばってみるのは労力を半端なく使うのだ。終わりが見えない戦い。

とにかく。どうこう言っても、これだけは言いたい。

片付けられないからって、散らかった部屋でいいと思っているわけじゃないんだ。汚い部屋は、イヤなんだ。不快なんだ。どうにかしたいと思っているんだ。

あぁ、不快を手放すために、今日もあーでもないこーでもないと言うのである。合掌。

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