受け入れがたい現実

大体は自分のことだ。
受け入れがたい現実というのは。

継続しない
プライドが高い
完璧主義
というか、完璧にできると思っていること

否定ばかりすること
肯定しないこと
そのわりにじゃあどうしたいと言わないこと

だからって
それでいいとも思っていないこと

いや、それでいいと思っている、ということで
自分をOKにしようとしていること

変わりたいと思いながら変わりたくないこと

これらがイヤで変えようとするとき
一瞬で大きく変化することを期待していること

結局のところ
毎日の少しずつの心がけで
変わったり変わらなかったりしながら
全体として雰囲気が変わっていく
そういう方法で変えていくのが一番の方法なのだけど

そうとわかっていながら
気付けば元に戻っていること

努力がイヤなこと
(これが努力といっている時点で、私はお疲れなのかもしれない)

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私は私のこだわりを思い出すことを、思い出した

現実の数々は、
「世間一般的に良いとされているであろうこと」に自分を当てはめようと
するから発生していることかもしれないと思ったのだ

素晴らしい自分
功績のある自分
能力のある自分 でなければ価値がない

その代わりに
考察力のある自分 っぽくあり
批評している体 で、いることで、自分の中のバランスを取る

非常に格好悪いが、これが現実。まさに受け入れがたい。

うすうす感じていたけれど、だからって何もできなかった
どうしていいかわからないもんね
そうやってやることが、自分を守ることだときっと思ってきたのだろう

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きっかけがあった。
「何でも良いから、本当になんでもいいから、やりたいことを書き出してみてください。」
「それらをやってもいい、やらなくてもいい、考えるだけでもいい。5分でもいい。毎日やる時間を作ってみてください」

響いた
ひとりじゃ難しかったんだね
誰かに言われるってこんなに大きいんだ

そこから私は
好きなことを思い出すこと
それを実行する時間を持つこと をやってみることにしている
その一つがnoteなのだけど

完成度にとらわれずに、自分の興味のあること、なんでもいいからやりたいことを、やってみる。短時間でも。

達成することが目的でなくて、「時間を取ること」が目的なのがいい。
時間が取れればOK
やってみれたらOK
わかってくれば尚OK

そうして、こだわりを思い出す。
そうしていくうちに
少しずつ変化していくのだと思う。
少しずつ、体感が変わっている気がしている。気のせいかな
でも変化の予感があることは素晴らしいことだ。

またどうなっていくのか。
アップダウンはあるだろうけれど、気長に見守っていこうではないか。



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