
記憶にのこしたい町のお店・お宿〜「海瀬館」編〜
千曲川のほとり、歩行者専用の栄海橋(よしみばし)のたもとに立つ海瀬館は、2023年に旅館としての歴史を終えた。最後の女将を務めた土屋伸子さんにお願いし、いまだ宿泊客のざわめきが聞こえてくるような館内を撮影させていただいた。

1階(玄関、応接室、食堂、洗面台、客室)
立派な柱に支えられた軒をくぐって玄関に入ると、数々の動物の剥製たちが目に飛び込んでくる。かつては剥製の売り買いが盛んで、これらも昭和の時代に購入したものだそう。



玄関の右手の客間は、以前はお祖母さんの部屋だったところを昭和47年に改装した。さり気なく飾られた品々の中には、江戸時代のものらしき書などかなり貴重なものがある。




玄関の正面にある応接室では、古い写真を見せていただいた。
一冊のアルバムにまとめられているのは、臼田発電所の建設の記録。銀行の頭取も務めたというお祖父さんは出資者のひとりで、最後の集合写真にも写っている。



こちらは、昭和49年、自衛隊の横須賀音楽隊が宿泊したときの写真。

応接室の前を通り過ぎて行くと2階へ続く大きな階段があり、その周りに洗面台、食堂がある。



1階には大きな客室が4つ。それぞれにゆったりとした広縁があり、中でも「栄海の間」は千曲川を見下ろす特等席だ。



8畳が2間続くこちらは、宴席にも使用された。

風呂
「栄海の間」の並びに小さめのお風呂、そのさらに向こうに展望風呂がある。どちらも千曲川と広い空を眺めながら入浴が楽しめる。




展望風呂の脱衣所は2つあるが、その先に続くお風呂場はひとつ。川沿いの脱衣所からは町役場や浅間山が、お風呂場からは八ヶ岳も見える。



2階(階段上のホール、客室、大広間)
階段を上っていくと、正面に海瀬館から見渡す栄橋と浅間山の絵、背後には海瀬館と栄海橋の絵がかかっている。海瀬館のご主人の二人の弟さんが、それぞれに描いたものだそう。


2階から中庭を見下ろす。



2階の客室は1階に比べると小さめだが、ユニットバス付きの部屋もある。



結婚式なども行われた大広間。間の仕切りを外すと100名収容できる広さ。


厨房
玄関を入って左手に厨房、その奥は海瀬館を経営してきた土屋さんご一家の住まいに続く。
5代目の主人である土屋建一さんは、ここで100人分の料理を作り、お客さんの送り迎えも担った。送迎は北は小諸、南は野辺山まで行くこともあった。




海瀬館には東郷青児をはじめ、多くの文人墨客が逗留した。彼らの置き土産であるスケッチや書が大切に保管されている。





外観・周辺
海瀬館のある場所は、以前は龍福寺という曹洞宗のお寺だった。明治17年の秩父騒動の終盤には、一部の急進派が十国峠を越えて佐久地域に到達。この寺にも立ち寄り、向かいの相馬商店に炊き出しを求めたという史実がある(秩父困民軍は翌日、現在の小海町の馬流付近で壊滅させられた)。



川べりに、お寺のお坊さんたちを弔う石塔が残されている。

向かいには相馬商店(現相馬醤油)の蔵が今もある。

(執筆:やつづか えり 撮影:山口 絵里子)