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佐久穂町の2022年〜「ちいろばの杜」園長・内保亘さんインタビュー

さくほ通信clubのメンバーが企画・制作した「さくほ通信」10号(2022年12月発行)では、『町民に聞きました「こんなことあったね」佐久穂町の2022年』と題して、町民の方々に「自分にとっての町のニュース」を発表していただきました。

ここでは、紙面には掲載しきれなかった内容を紹介します。今回は、「認定こども園ちいろばの杜」の園長、内保 亘さん(わたにぃ)のお話です。

3年で潰れるかと思っていた園が、10周年を迎えた

-- わたにぃにとって、2022年の町のニュースは?

なんでしょう? やっぱり、10周年ですよね。「ちいろば」ができて10年経ちました。

-- 長かったですか? 短かったですか?

色々あったので、とても10年という枠に収まらないような、そんな感じですよね。もっと長くやってたような気がします。

-- ちいろばを立ち上げるとき、町の人は「森のようちえん(※)って?」という感じだったのでは?

※「森のようちえん」は、自然体験活動を基軸にした子育て・保育、乳児・幼少期教育の総称で、デンマークが発祥と言われています。日本にも2000年前後に伝わり、全国で実践されています。

そうですね。「森のようちえん」って、ようやくこの10年でいろいろなところで聞くようになったけれど、当時はまだまだ知名度がなくてね。僕らは実績もなかったから、他の幼稚園の動画を借りて、「こんなイメージで保育していきます」というのを説明会で見せたりしました。「春、夏、秋、冬、とにかく外で思いっきり自分たちの地域資源に触れながら、子どもと一緒に育っていく」、そんなことを始めて、最近になってようやく認知が高まってきたのかなという気がします。 

-- 始めた時に、「10年後はこんな風になっている」というイメージはありましたか?

いや、全く想像してなかったです。むしろ「3年で潰れるかな」ぐらいに思っていて。たぶん、誰も10年も続くなんて信じてなかったと思うんですよ。こんな山の中で、最初は子どもが4人しかいなくて……。

-- そうだったんですね。

子どもの数が1桁という状態が2年目まで続いて、「やっぱり、なかなか現実は厳しいよね」って、そういう思いが渦巻いてたので、3年後すら想像するのが難しいくらいで。

-- もうちょっと続けていけそうだな、と思ったタイミングはありましたか?

まあ、気持ちとしてはもうずっとやめたかったです。

-- やめたかった?

なんかね、苦しいんですよね。感情労働だし、 かつ経済的にも苦しいし。貯金切り崩しでやっていたような形で、それでも色々要望は言われて……。

「やめられるもんなら、やめたいよ」という気持ちは、ずっとどこかにはありました。

-- 始めちゃったことを後悔、という感じですか?

そうそう、始めちゃった後悔ですね。

それでも、子どもの数は減っていなかったんですよね。それに、やっぱり目の前の、森で活動する子どもたちの姿を追って行くことへの好奇心が勝るというかね。子どもたちがここを居場所だって思ってくれるような、そんな種が少しずつ芽吹き始めるまでは、やっぱり続けなきゃまずいよねって、そういう思いが心を占めてましたね。

だから、いつも頭の片隅では「やめられる準備はしておこう」というのがありながら、続けてきました。

-- やっぱり原動力は、子どもたちですか?

そうですね。もう、それ以外ないかな。

あとは2年目に妻の妊娠がわかって、これからは自分たち家族の暮らしをどう作っていくのか、というのももうひとつの軸として現れたわけです。

自分たちが始めた幼稚園と、自分たちの家庭というところとでどうバランス取っていくか、折り合いつけていくか、みたいなところも、すごく突きつけられました。でも、本当にこの環境が素敵だし、集まってくる人たちも素敵だし、こんな中で、自分たち家族も生きていきたいなっていう思いが生まれたんですよね。

それからも、表面的な苦しさはずっと付きまとったけど、大人も子どももごちゃまぜで、あーだこーだ話したり笑い合ったりしたことは、とても楽しかったですよ。

ただ、この生活を続けられるかはずっと不安でした。始めたけれど、終え方はわからない。それは今でもそうです。

「一段上がる」を目指して新園舎を建設

-- 去年、新園舎ができましたが、これはいつ頃から構想していましたか?

2019年の秋とかそのぐらいでしたかね。

-- 何かきっかけがあったんですか。

ある保護者が「これからも色々と大変でしょ。でも、ちいろばには人が集まってきてるよね。 だから、一段上がる時じゃないか」っていう話をしてくれたんです。「もっと受け皿を増やしたりして、社会的にいろんな発信力をつけたらいいんじゃないか」という提案があって、ちょっと考えてみてもいいかなと思ったのがきっかけです。

僕自身、その頃は体調が悪かったんですよね。ストレスだと思うんですけど、4年前ぐらいから梅雨の時期から冬前くらいまで、朝に蕁麻疹が出るのが続いて、だいぶ身体にきていました。

だから、これをこのまま続けていくことは、自分という器にはちょっと厳しいな、なんとかしなきゃいけないな、と思っていて。そういう中で、幼児教育・保育の無償化や認定こども園への移行を促す世の中の流れもあり、少しステップアップを考えてみてもいいかなということになりました。

卒園児や地域の小学生の居場所が課題に

--10周年を迎えて、次の10年でやりたいことはありますか?

次の10年! 僕の中では、もう十分です(笑)。拡大志向は全くないので、新しい園を作りたいとも思っていないですし。

ただ、スタッフがすごく優秀なので、彼らのキャリアアップについては考えなきゃな、とは思っています。ここは補助金による事業だから、自分たちが頑張った分、お金がもらえるというわけじゃないんです。だから、ある程度独立みたいなことも考えていってもらわないとキャリアアップは望めないんですよね。

だから、僕はやらないけれど、ここの感覚を持った人たちが、また違うところで園を開いたりとか、子どもの居場所を作るとかね、そういう風な形になってったらいいな、とは思ってます。 

それ以上に今課題なのは、卒園児が居場所を探してるっていうことなんですよね。卒園児や、この地域の小学生の居場所をどうしていこうかなっていうのは、ずっと頭にあって。フリースクールのようなものも、今後はちょっと考えていきたいですね。

子が育ち、人間が育つ素晴らしい環境に誇りをもって

-- 佐久穂町に移住されたのは、いつ頃ですか?

10年前、2012年の3月17日です。

-- 移住とちいろば立ち上げと、ほぼ同時なんですね。10年ここに住んでみてどうでした?

やっぱり、自分が人間らしくなっていくっていう感じです。

-- 人間らしく?

ここにいると、自然と暮らさなきゃいけないじゃないですか。人間って元々自然物だし、その自然と関わりながら生きていくっていうその感覚が、自分の今までの人生にはなかったから。

なんかこう、「あ、ようやく人間始められたぞ」っていう感じでした。

-- 以前は、都会に住んでいたんですか?

千葉です。都会というか、なんか中途半端なんですよね。僕が生まれた時はまだ自然があったけど、ここみたいな感じじゃなくて。ちょろちょろ竹林があって、畑も周りでやってるかな、ぐらいの風景なので、森の中で遊んだなんて記憶はひとつもないです。

-- やっぱりここは、子どもたちが遊び、育つ場として魅力があるんですね。

そう、すごく豊かだと思います。子どもたちは、遊具なんか何もないところで遊んでいます。何にもないところで、何かを作るんです。

これからの時代って、職業はどんどん失われて、人間が働く場所がなくなっていくでしょう。そんな中で、新しい価値のある何かを生み出さなきゃいけない。その根底ってなんなのかと考えると、小さい頃に、誰にも何も言われずに自分で作り出した世界がある、遊びがあるということ。これが、すごく大事な気がします。そのために、こんなに良いところは他にないですよ。

-- それが佐久穂町の魅力だと、気づいていない人もいるかもしれませんね。

そうです。最初にここに来たとき、「こんなところに」ってみんな言うんですよ。「こんなとこに子どもは来ねえ」って。でも、僕らから見ればこんな素晴らしいところはありません。

今の時代、子どもにこそ、人間が人間として本当に大事にしていかなきゃいけないものに目を向けてほしい。そのときに、自然というのはすごく大切な要素だと思うので、大人も もっと森に関わって、この環境の素晴らしさに気づいてほしいです。町の皆さんには、子育てにも"人間育ち”にも素晴らしい場所にいることに、誇りを持ってもらいたいですね。

-- 「ちいろば」の活動は、そのことを表現し、伝えるということでもありますね。

はい、ひとつのモデルになればいいかなと。卒園していった子どもたちの中に根付いているものがあって、それを見た周りの人たちも「やっぱりこういう環境っていいよね」って思ってもらえればいいですね。

10年後や20年後に僕らがどういう風になっているかは分からないけれど、少なくとも卒園児たちは、自然を愛してくれると思うし、自分たちが育った場所にも、誇りを持ってくれているんじゃないかな、と思います。

(取材日:2022年10月17日 聴き手・構成:やつづか えり)



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