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雑文。カレー、芝居、ラムの日曜夕方。

 今日は夕方に下北沢へ行った。芝居を観るためだ。駅前劇場の隣にあるOFF・OFFシアターという劇場で、ここにはまったく初めて来た。公演のこともあまりよく知らない。この公演のことはたまたま見つけた。知り合いの俳優さんが演出助手で関わっているらしく、それでSNSに流れてきたのだ。今日は6日間続いていた公演の楽日追加公演で、この回が大千穐楽である。完売していたけれども当日券が若干出るということで、早く行って無事にチケットを入手。当日券をご購入いただいたお客様は開演10分前にいらしてください、と言われ、30分ほど時間が出来てしまったので久しぶりの下北沢を少し散歩することにした。古着屋やアジア雑貨店のある通りでキッチン南海(安価な洋食屋で、神保町に有名な本店がある)を見つけて、この街にもあるんだと驚きながら看板メニューのカツカレーを注文し、真っ黒な本家と異なってもっとシンプルに日本らしい小麦粉のカレーをゆっくりと食べ、劇場へ戻った。

 当日券を買ったひとの入場は開演の直前なので、最後まで残っていた席に座ることになる。意外といちばん前が空いていて、こんな席に座ったことないなと思いながら、低くて座りにくそうな椅子に腰掛けた。

 芝居は、中年男性による2人芝居だ。セットも簡素で、始まる前からなんだか寂寥感が漂っているに感じる。今回の劇団や演出家の公演は、これまでに東京芸術劇場でもっと規模の大きなものを観てきたからそう感じるのかもしれない。コロナ禍に観た公演なんて、数十人の若者が叫び続けているような作品だった。あのときのエネルギー量はすさまじかったなあ……演劇という、生の身体という、そういう強さを感じた。

 一方で今回のものは、落ち着いていて、なめらかで、全体を通してひとつの統一した空気みたいなものがあって、なんだか静かな映画のような芝居だった。大学時代にたまたま出会った2人の男——元気で自由な2浪1留の男(イザキ)とメガネをかけた童貞の新入生(ハラ)がいて、イザキが「何かやらなきゃ」と言って、2人で応援団を結成しようと誘う。最初は恥ずかしがっていたハラも、応援団が話題を呼び、まわりから求められるようになると、嬉しそうな顔を見せる。あれよあれよと人気になっていく応援団だったが、イザキが突然大学を辞めることで解散、ハラは大学をきちんと卒業して会社で事務仕事に就く。

 数年後、イザキが突然ハラに連絡をしてきて、ふたりは再会する。歩合制で食品の実演販売をしているイザキは、やりたいことをやっていて楽しそうだ。一方でハラは会社で怒られていてばかり。あるとき偶然のチャンスで、イザキはテレビの深夜番組へ出演する機会を得る。ハラがふざけて「応援団でやっていた動きと合わせてやりなよ」と言うと、イザキは本当にそうしてしまう。あまりにシュールな収録となったが、それが静かな反響を得て、やがてイザキはじっくりと売れていく。世間から認められ、輝いているイザキを見て、ハラは羨望の眼差しを向けて「不公平だ」と言う。歌舞伎町の路上で酔い潰れたイザキは、隣にいるハラに、自分のマネージャーになるよう誘う。

 優秀なマネージャーを得たイザキはさらに人気を伸ばし、バラエティ番組へ出演するなど、社会的に有名なタレントへとのぼり詰めていく。ハラは自分の手柄で友人が成功していくところに、自らの居場所と社会的かつ経済的な価値を見つけて、どんどんと幸せになっていく。一方でハラに踊らされるイザキは、自らのやりたいこととは遠く離れてしまって、そこに寂しさやつらさを覚えるようになっていく。

 酒に依存したイザキは、飲み屋でからんできた大学生に手をあげてしまい、それがSNSに拡散されることで、タレントとしての生命を終わらせてしまう。イザキはこれで全て辞められると半ばすっきりした表情を見せたが、ハラは他の会社へ就職する道を断り、ふたりで実演販売のドサまわりをすることにする。

 しかしそれはたいした仕事にならず、2人は困窮を極める。下田のボロいモーテルに泊まったふたりは、翌日の仕事がコロナ禍によってキャンセルになってしまう。イザキが言い出して、ハラはもう辞めると言う。しかし最後にハラの退職金に関して揉めはじめ、大きな口論になるも、こうやってふたりで話すのが楽しいといわんばかりに仲睦まじく、幕は下りる。

 ふたりの友人関係は、最初からずれていた。ふたりはふたりきりで仕事をする関係性になるべきではなかったはずだ。なぜならふたりの目的がずれていたからだ。イザキは自分のやりたいことがやりかった。ハラは関係性のなかで他者から認められたかった。ふたりとも、あんがい平凡で、幼いところがある男だった。そしてふたりの目的はまるで異なっていた。にも関わらず、そこにある友人としての信頼関係は分かち難く結びついていて、彼らは自分たちが生きていくために、互いを必要としていた。でも、それは最終的に破綻を迎えることしかありえなかった。どうしようもない。あの条件のなかならば、これ以外にないというほど、うまくいった人生だったのだろう。起きてしまった不幸は、いずれ必ず起こる不幸だった。どうしようもない。それでも自分たちはこれからも生きていくしかない。笑って楽しい、戯れて楽しい、しかしそんなものが何かを解決するだなんて思っていないけれど、その時間を大事にする以外、何かできることなどあるのだろうか。

 最前列の座席に座っていたわたしは、役者の顔が、表情が、いやというほどよく見えた。この芝居は、テンポ良く次々と異なる場面へ移っていく。大声で笑っていたと思ったら、すぐ次の静かなシーンへ移り、大声で怒鳴っていたと思ったら、すっと冷静にナレーションを務める。プロの、しかも質の良い役者だから、やっぱりうまい。すんなりと次のシーンへ移る。だけれども、最前列だから、見える。まだ落ち着かない息の荒さが静かに潜んでいて、悲しんでいた表情、怒っていた表情、笑っていた表情が、その心の裡からまだ消えきっていないことを。役者がツバを飛ばしながらまくしたてたら、ぷんと口臭が漂ってくる、そんな近さだ。うつりきらない表情の、静かで曖昧なその残り香に、なんだか、見逃してはいけないものを見た気がした。

 笑って終わったから、すっきりとした感じで劇場を出たのだけれども、何かかひっかかる。そう思って下北沢を10分ほど散歩し、たまたま見つけた店に入った。「音楽喫茶 いーはとーぼ」。ぼ、って。だいぶ間の抜けた名前だなとほくそ笑みながらお店に入り、ダークラムをお湯割でもらいながら、一気にこれを書いた。さあ、帰ろうか。

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