その人らしさを支える
最近の投稿は「自分を創る」シリーズです。
先日、自分探しの旅ではなく自分を創ることが必要だったことに気づいた、という記事を書きました。
そこで、今まで自分らしさを探す上で通った道を振り返ることで、自分はどのように創られてきたのか、自分のことを言語化してみようと思い立って投稿しています。
でも昨日投稿した記事では、何のために書いているのかわからなくなり、どういう言葉で書いたらいいのかいまいちよく分からなくなりました。
発信は誰か一人を思い浮かべて書くといい、なんて聞いたことありますが私はその一人がなかなか思い浮かばなかった。
それでよくよく考えたら、それは私だなと。
私のために、私自身を言語化して知るために書いている。
そんな記事たちです。
というのをはじめに書いておきます。
論文作り
大学院といえば、論文。
=で語られる関係かと思いますが、私は受験するまでそこを意識してこなかった。
何かをインプットしたくて大学院に入りたかったもんだから、アウトプットがゴールなんかい!とそんな気になった気がする。
現場での問題意識を抱えて、大学院という道を目指したので当たり前といえば当たり前なのだけど。
視野を広げたい、PTという枠だけにおさまりたくない、という気持ちからひたすら「拡げたい」という気持ちが強かった。
もちろん異業種の人たちと一緒に学び、年齢も多様な人たちの中に入ることで新しい気づきは多かったと思う。
でも、論文を書くためには後にも先にも問題意識、何を思ってその研究をしたいのかというのを突き詰めていく作業。
言うなれば、自分ととことん向き合う作業。
自分の中では、「みんなが気づかないことを問題意識としてもっている!」という優越感のようなものもあったのだけど、調べれば調べるほどもう既に立派な論文になっているようなものもあり、でもどこか自分のオリジナリティとは違うと感じ、それを言語化するのが難しかった。
正直、これでよかったのかなという気持ちは今でもある。
そんなこんなでヒーヒー言いながらもなんとか論文は完成させたのだけど、結局論文はあくまで修士論文。
投稿論文(世の中に出す作業)はしなかった。
今でもそれがどこか引っかかっている気がする。
自信のなさの象徴
実は修士課程修了と共に妊娠も発覚して、そんなこともあって投稿論文に力を入れなかった。
それでしょうがないと思っていた。
でも投稿論文に出せなかったこと(投稿するには、完成した修士論文にさらに修正を加える必要があり。さらに向き合わないといけなかった。)は心のどこかに引っ掛かっていて、蓋をすればするほどに、時間が経てば経つほどに、そこに向き合えなくなっていた。
私の中で自身のなさの象徴となっていた気がする。
そんな論文を、今回の振り返りをきっかけに久しぶりに出してみた。
読んでみて・・・
え、当時の自分よく考えてるじゃん、頑張ったじゃん。という感想が第一。
20代半ばでの論文で(私の所属していた院は30-40代の方が大半)、まだまだ社会経験が乏しい中で、周りとくらべてチープに思えていたのはそれは比べる相手が違うのだと。(何より分野も違う)
でも、読み返してみて、問題意識は今と根底はつながっている。
「その人らしく生きる」を支えたい。
その気持ちが私の中での、変わらない部分なんだなと感じた。
PTという業務の中で身体的な改善には限界があることを痛感し、何か他にできることはないかなっていうのがこの論文に入っていた。
自分の中ではうまく評価されていないという思いがあったけど、それは当時の自分の表現力の乏しさだったりするので、自分の大事にしてきた思い自体が間違っていたわけではない。
怖かったけど、改めて論文を読み直してみてよかったと思う。
ようやく、よく頑張ってたよ!!!と言ってあげられる。
いつか糧になる
当時、心理学系の大学院に入ることになったと人に話す時、なんで本職の大学院じゃないの?と突っ込まれるのが怖くて
「心理学系のに行くことにしたんだよねー、よく分かんないよねー、へへへ」
みたいに先回って話していた。
そんな時、祖母が
「無駄なことなんてないよ、いつか糧になるから」
って言ってくれて。
あ、そうなんだ、と思って。
とてもありがたい言葉だなって感じていた。
そして今になって、その言葉が本当その通りだなと感じる。
自分なりに考えてチャレンジしたことは、それがいわゆる普遍的な道でなくても、否定しないであげたい。
その時すぐに力にならなくても、必ず何かに繋がるはずだから。
そんなことも思い返すことができました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?