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チャレンジは、いつがしどき?。

年老いた親からの電話。話しを聞いていて、行動範囲が狭くなっているんだろうなと感じる。足が痛いので、出不精になる。仲の良かったご近所さんと合わなくなってくる。しかたがないけど、気が弱くなっている気がする。

認知症の予防には、頭を使うことではなく、前頭葉に刺激を与えることとテレビで言っていた。前頭葉への刺激とは、新しくひととあう、新しいことをする、計画を立てて行動するなどらしい。
うろ覚えだが、なにかの番組では、認知症発症した人でも、毎日どこかに出かけるところが決まっている人は、進行していないという研究結果があると言っていたような気がする。間違っていたらすみません・・・。

新しいことを始めることは億劫だ。年を取ると満足に動けないこともあるだろう。この年代こそ、今の技術をを頼るべきなのだろう。一番縁のないと思いがちだけど、必要。
今は「若いときは、チャレンジしろ。」ではなく、「老いてこそ、チャレンジしろ。」なのか?

ご年配の方が言っていた。「(自分の診察結果なのに)自分に話してくれない。こっち向いて説明してくれない。息子に話す。」息子さんに病院に連れて行ってもらったらしい。そこでの診察説明のときの話。

なにするにしても、保護者として息子さんが必要になる。それはわかるが、話を聞くこともできないとおもわれていると感じ、ショックを受けたとのこと。

このような状況では、自信も失うのもわかる。できないことが増えていくことに目がいく。減点方式の考えだ。これでは、選択の幅を狭める。

減点方式だと新しいことにチャレンジすることは、負け確率の高い賭け事だ。億劫になる。ましてやデジタル技術。拒否だね。確実に。だって覚えなくても、今まで生活でいたし。

ふと小さい事業所も同じゃないかとおもった。ないないづくしと考えてしまう。新しいことしようにも、資金も設備もないと思ってしまう。できない理由が、一番に頭をよぎる。ChatGPTだ、生成AIだのは、うちには使い道がない。ではなく、どう使うかと考えないといけない時代なのかもしれない。縁がないと感じる人ほど、ほんとうは必要な技術なのかも。



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