見出し画像

初めてのお葬式体験


このnoteは、私の人生初めてのお葬式体験を書いたものである。
家に遺体が安置されているところから火葬されて骨を拾うまで初めて行った。
葬式から帰ってきた後雑事に追われ、なんだか気分がごちゃごちゃしたまま今に至っていまい、このままじゃ落ち着かないな、と思って書くことにした。

先日、祖母が亡くなった。

大学に入ると、友達の祖父母が亡くなって忌引きする人や法事があるから部活を欠席する人が珍しくなくなってきて、「私もそんな歳か~」なんてのんきに思っていた。

私の祖父母は全員この世にいたため、「残機どれくらいなん?」「4機全部残ってるわ」などとヱヴァンゲリヲンに例えて友達と冗談を交わすこともあった。


で、先日祖母が死んだ。

今回亡くなった祖母は認知症が進行しており、脳の血管も一度切れていたのでいつ何があってもおかしくない、と両親から言われていた。
だから、最初に訃報を聞いたときはショックだったけど、そこまで悲しいとか、驚きとか、そういうのはなかった。

「あ、友達のじーちゃんばーちゃんが亡くなっているみたいに、うちにも来るべき時が来たんだな。」と思った。

急いで飛行機の手配を済ませ、バイト先などに連絡をし、訃報を聞いた次の日には私は祖母の家に着いていた。


祖母は北陸の町に住んでいて、家屋は日本家屋を少し改築したものでだいたい100坪くらいある大きなものだ。
そこで2世帯で暮らしていて、今回はそこに住む祖母の息子さん、つまり私のおじさんが喪主だった。

家に着いたとき、玄関に「忌中」という札が貼られていた。
「あ、ばーちゃんほんまに死んだんやな」と思った。
玄関を開けると喪主の奥さん、私のおばさんが出てきた。黒い着物を着ていて、明るく「ばーちゃんあそこで寝てるから見たって」、と部屋の奥を指さした。

祖母はまだ棺に入っていなかった。座敷に敷かれた布団に安置されていた。

映画やドラマでよく見るような布が、顔にかけられている。
祖母のその姿を見た時に「死んだ」という事実が一気に押し寄せてきて、あまり直視できなかったし、畳を見ながら涙が出てきた。

これまで知人のお通夜に参加したことがあったが、その時は棺に入れられて綺麗にされているのがほとんどだったし、棺を見れない時は祭壇の上の明るい笑顔を見るだけだったので、こんなに死をリアルに感じたのは初めてだった。


父が祖母の顔の布を取った時、不思議な気分に襲われた。
祖母は綺麗に化粧されていて、ほっぺがぽっぽと赤くて、ちょっと口が変な風に歪んでいるけど、そんなに違和感はなかった。

でも、圧倒的にそこに生はなかった。

生きているようだけど、絶対に生きてなくて、そこでばーちゃんは死んでいて、私と笑ったり話したり温泉に行ったりお菓子を一緒に食べたりもしない、というのはなんだか変な気分だった。


そのあと、続々と親族が集まり、葬儀屋さんもやってきて、お清めとして布で手や顔を拭いてあげたり、綺麗な着物を着せて棺桶に入れたりしていた。

映画「おくりびと」みたいだなと思った。

「おくりびと」を見た時、私は小学4年生くらいだった。
葬式なんてあんまり意識したことがなくて、「納棺」という言葉の意味をずっと「ノーカウント」の略の「ノーカン」だと思っていた。当時遊んでいた遊びの中で、ノーカンをよく使っていたし、納棺という言葉さえ聞いたことがなかった。

祖母がどんどん「映画やドラマでよく見る故人」になっているのが不思議な気分だった。「よく見るやつ」、つまりルールにのっとって儀式を行うのが、葬式なのかなと思った。


祖母が無事に棺におさめられ、その棺が玄関に運ばれ、救急車とかでよく見るストレッチャーに乗せられて葬儀屋さんの車の中へと入っていった。
その日お通夜が行われる会場に祖母は一足先に行くのだ。

私たち親族は「お願いします」と葬儀屋さんに伝えて、祖母を見送った。



その日の夜はお通夜だった。お通夜の話は、次のnoteで書こうと思う。

感謝感激雨あられ!