楽しんでもいいんだよ
この頃、精神的に優れない時期が続いていた。
頭の中がいっぱいで整理されず、常に頭の回路がショートした状態だったので、余裕もなくなっていた。
自分でもこの状態が良くないということが分かったので、意識的にすべきことを減らし時間的にも精神的な余裕を持たせることである程度軽減されるようになって落ち着けるようにはなったが。
僕のキャパは驚くほど小さい。
少しのタスクで頭がパンクしてしまって、爆発し気持ち的に沈む。
だけど、新しいことにものすごく興味があっていろんなことにチャレンジしたがりで、仕事を増やしまたパンク。
僕はこの性格が嫌いじゃないけど、面倒だなぁといつも呆れる。
そのように、いろんなことにチャレンジしていろんなものが見えてきて何となく分かったことがある。
それは、楽しめることは限られているということ。
いろんなことを並行してやっていたりすると、これは楽しい、これは楽しくないという線引きが分かってくる。
その感性は多分絶対的なものなんだと思う。
どんなことも楽しもう!ということを言っている人がいるが、僕にはその意味が理解できない。
どんなことを楽しもうと意識したところで楽しくないものは楽しくないということは変わらないと思っているからだ。
意識して楽しむことができる人は本当にすごいと思うし、そうできたらと考えると少し羨ましい気もする。
ただ、僕の経験上やってみて楽しくないことは楽しくなかった笑
そしてここまでは余談で、ここからが本題だ。
生きていく中で、いろんなことを経験して楽しい楽しくないということを判断する。
その中から楽しいと思えることをする。
それはごくごく一般的によく言われることだろう。
でも、楽しいことをしている中でも楽しくなくなることがある。
まさに自分が陥っていた状態だ。
楽しいことをしているはずなのに、心が苦しくてしんどくなっている状態。
ワクワクではなく義務感もしくは切迫感に支配されていた。
言い換えれば、やるべきことに押しつぶされて、ワクワクすることを忘れていた。
これしよう!じゃなくて、これしなきゃ!
こうしたらこんなことできる!じゃなくて、これしないとこうなってしまう。
こんなことばかり考えてたのだから、心が苦しくなるのも無理はなかった。
ワクワクしてた事業も楽しくなくなってたし、すべきこと(楽しくないこと)で頭がいっぱいであった状態に気づかなかった。
シンプルに異常な状態である。
一刻も早く正常な状態に戻さないといけない。
しかし、この異常状態を自分で認識できているから、その思考からほとんど抜け出したのかもしれない。
しっかり楽しめることを楽しんでいい。
自分を追い込んでしまうほど一生懸命に、すべきことをしなくていい。
僕が自分で自分にかける言葉として適切なのは、「楽しもう」ではなく、「楽しんでいいよ」、なのだろう。
楽しんでいい、と力が抜ければ、自然とやるべきことのウェイトを下げ、楽しいことに目を向けることができる。
ワクワク感をもとに行動できる。
この心がけは忙しければ忘れがちなのだが、常に持っておくことの重要性をヒシヒシと感じた。
自分は頑張ってるから、楽しんでいいんだよ。
そう肩の力と心の力を抜きながら、やりたいことやっていこう。
楽しんでいいんだから。
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