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9月1日 誕生日🍰

誕生日でした。


わーい!誕生日!
おめでとうありがとう!!!

「自分の誕生日なんてどうでもいいよ~」なんて考える人も多い気がしますが、僕は僕自身の誕生日を大切に思っています。



誕生日。
ただ歳を重ねる日に面白くなさを抱きこそすれ何かしらの特別みなんてものを感じるはずがない、なんて人は案外少なくない気がします。

正直なところ、僕も誕生日が特別いい日だと考えているわけではないです。ほとんど暦通りに昨日の延長で回る世界、なにも変わらない世界。そらそうよ。世界中毎日誰かの誕生日。たとえばその中でたまたま今日は自分が該当した、というだけで世界が昨日と大きく違うわけがないのです。一昨日にとっての昨日が、昨日にとっての今日と大きく変わるわけがない。結局世界はだいたい毎日同じくらい微小の差分だけの変化を続けていて。本当に注意深く観察しないとそんな些細な変化には気づけないし、気づいたところでやっぱり世界は大して変わっていないんですよね。適当なこと書いちゃった。ここに書いたことはだいたいデタラメです。


でもね。
そんな何でもない日でも、まぎれもない僕の誕生日なんです。世界にあふれる推定何千万人の9月1日生まれの赤の他人の誕生日、なんてどうでもいい日じゃなく。僕の誕生日なんです。僕が一番にこの日を楽しむ権利があるし、楽しむべきだと思いませんか。

別に祝われたいってわけじゃないんです。少し違いますが「誕生日だぜ!いぇー!」みたいにはしゃいでると祝えアピールみたいになってしまうのが嫌という感情もありますね。本日の主役になりたいわけではない。

僕はただ、僕が唯一誰の意見も誰の保障も誰の存在も必要とせずこの身一つで「特別だ」と言えるようなこの日が、ちゃんと特別であってほしいと思っているだけなのです。

それでもやっぱり近年になるともう少し欲張りになってきて、できれば誰かにとってももう少し特別な日になってほしいななんて思って、すこしずつ試行錯誤で毎年の振る舞い方を考えています。
どうしようかなって考えて、僕は僕自身の誕生日を目いっぱい楽しみたい!と思うようになりました。僕が楽しんでさえいれば、たとえば「おめでとう」と声をかけてくれる人も少し気持ちがよくなるんじゃないかな。

まぁそれだけじゃ飽き足らず、僕は僕の誕生日には周りの人に感謝の気持ちを伝えたりもしています。プレゼントとか渡すこともあったりなかったり。これは普段の僕の人格とのギャップが大きすぎてよく気味悪がられたりするので考えものです。


手段はどうあれ、僕は僕にとって唯一特別なこの日が誰かにとってもまたほんの少しでもいいことがある日であってほしいという願望を抱いて毎年誕生日を迎えています。(ほんとは手段についてはもっとちゃんと考えなきゃいけないことは最近気づかされました)
これは基本根暗な僕のなかにある数少ないキラキラした良い考え方だなぁと我ながらに思っています。できれば気味悪がらずに、今日という日があなたにとってもう少しだけ良い日でありますように。


今日「おめでとう」と声をかけてくれたのは4人でした。
人数じゃねえんだよ。

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