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私の趣味遍歴

ここで戦争がかかわるとは思わなかった

子供の頃私の友達はペンチとドライバーで機械物を分解しては中身の仕組みを見ると組み立て直していた。

始めて分解したのは機械式の目覚まし時計で漫画に出てくるような文字盤の上にベルの乗ったものでした分解したがもとに戻らずに親にしこたま怒られたのを覚えています。

親から見ればたんに壊しただけに見えたんだろうけど、私としては小宇宙をのぞきこんでいたんだけとね。

小学校高学年の時に教科書にゲルマニウムラジオというのが載っていて物凄く興味があり頭の中はその事ばかり考えていた。

そこで狙ったのが箪笥の上の5球スーパーラジオ(真空管5本使ったラジオ当時は高級品)箪笥の上から降ろしている処を母親に見つかりしっかりと怒られた。

しばらくして鉄道模型にこり当時は3本レールの0ゲージ特急ツバメを引くEF58 1両を自分の周りにくるくると走らせて満足していた。

中学生になると山登りと渓流つりにはまりテントやコンロを壊したり改造していた。
その当時から写真機を持って風景を撮っていたが写真機は高いとわかっていたので分解はしなかった。
高校生の頃親父が一体型のホームステレオを買いタンゴを聞いていたが、私は釣りに夢中で山登りに持ち運びやすい様に竹製の釣り竿を切ったり付けたりしていて音楽には全然興味がなかった。

ウインドーズ95が出たことをテレビのニュースで知り興味が沸いて、秋葉原に見に行った時に懐かしい真空管に出会い真空管アンプの自作にはまった。

当時電気製品はトランジスターに変わり真空管はほとんど使われて無かったがテレビ用のMT管や複合管(一本の真空管に2個分入っている)が山のように積まれていた。
国産の生産終了した東芝やNECの真空管を取り扱うお店は多数あったし オーディオ用のアンプはほとんどIC基板のトランジスター真空管アンプはほとんど売ってなかった、でも エレキギターのアンプが独特の音に揺らぎとか倍音があることからギター用真空管アンプが人気で出力管の五極管は生産されていたので豊富に有りました。

現在真空管が残っているのはエレキギターのおかげです。

あれから30年 真空管 屋さんも 秋葉原では10店舗 ぐらいそれも部品との兼業店しかなくトランス その他の部品を扱う店も全部ひっくるめてもせいぜい 20店舗ぐらいでしょう 寂しいもんです。

ただ真空管アンプがここに来て評価されてきて ガレージメーカーですがいくつもの 真空管アンプを販売するお店できてきました。

真空管アンプ自作の教科書的な雑誌MJ(無線と実験)も販売されていてアンプキットも売れ行き上々そんな中心配なのがロシアとウクライナの戦争これらの国と周辺国で殆んどの真空管は作られているのでこの戦争の状況次第で今後の世界の真空管事情は大分変わると思います。

せつかく復活してきた真空管なのに戦争の影響で終わるかも知れません、私にとって戦争がこんなに身近に感じたことは今まで有りませんでした。

多くの命と文化を失ったこの戦争どうか早く終わることを祈っています。


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