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優生思想に思う事

 賢く優秀で、たくさんお金を稼げる方が、ホームレスなどの生産性が低い人は世の中に要らないというような優生思想とも思える発言をして問題になりました。

 時を同じくしてパラリンピックも開催され、障がいがある人に対する報道に対しても思うところがあり、自分なりに優生思想について書いてみたいと思います。


 さて、人はみな平等だ、とよく聞くけれども本当でしょうか?

 私たちは、産まれる国、人種、性別、身体能力、知能、父母を含めた家庭環境、貧富などを自ら選ぶことが出来ません。

 色々な考えがあるとは思いますが、私自身は自分の経験も含めて「人は産まれながらに平等ではない」と思っています。

 それどころか、産まれながらにとても「不平等」だと思っています、それはもう、とても理不尽に…

 世界には生まれながらに先進国の富裕層に生まれ、賢く、高等教育を受け、いい仕事に就き、人生を謳歌する人もいます。 

 一方では貧困国や難民の子に生まれ、日々の食べるものや着るものにも事欠く人々や、貧困から幼いうちに人身売買に遭い、売春や、奴隷のような扱いを受ける人、適切な医療を受けられずに感染症などに罹患し、本来は死ななくていいような病気で幼いうちに命を落とす人もいます。


 だから学校教育の場などでは「この世界は、人は、生まれながらに平等ではない」という実に残酷ではありますが、この真実を隠さず教えてほしいと願いますし、2人の子どもの母親としては、綺麗事ではない事実を伝えたいと思っています。


 それを知ることで、本当の意味での公平な社会がスタートする気がするからです。


 そのうえで自問自答してみてください。
「あなたが今、恵まれているのは自分が努力したから。本当にそうですか?」
「今、苦しんでいる人は努力しなかったから。本当にそうですか?」
「そもそもの生まれ持ったスタートラインが違う者同士を比べるのはフェアですか。」
「平穏な生活という基盤があってこそ、努力も出来ると思いませんか。」

 実は私は「努力すらも才能のうち」だと思っています。そもそも精神的、知的な問題があって何かに集中したり、継続したりすることが大変に難しい人もいるからです。

 また、日本人は「為せば成る」精神からくる根性、努力論が好きですが、はっきり断言します。

「頑張ればできる」は幻想です。


 そういう幻想が、どうしても無理な人を苦しめます。

 頑張れば誰でもプロスポーツ選手になれるわけでも、大学教授になれるわけではないのです。

 こういった一握りの人になるには、もともとの資質や環境というベースがあったうえに、努力を重ねた結果だと思うのです。 

 こういった不平等を真に理解しないことには、誰もが人間として尊重される世の中にならないのではと思うのです。

 生まれた国や、人種や、性別や、環境を恨まずに生きていける世の中。

 何らかのハンティキャップがあっても許容されて、あなたが悪いわけじゃないと助けてもらえる世の中。


 子ども達が繋ぐ次の時代は、そんな世の中になって欲しいなと願うのです。



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