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さかさ近況㊴


『嘘つき姫』発売から1カ月ほど経ちました

 売れゆきはよくわかりませんが、とにかくいろいろな人に手にとってもらえていて、たいへんうれしく思っている。

 書評やインタビュー記事についてもいくつか出ており、以下のページにまとめている。

 概ね高評価で、「ノーベル賞待ったなしか…」と思わせられる。ノーベルはDMで連絡乞う。

SFカーニバルに行ったよ

 初めてSFカーニバルに行った。

 とにかく人間が苦手なので、こっそりうかがった。たぶん「リモート」の世界だったらぜったい生身の肉体は連れて行かないタイプである。でも、お目当てのサインももらえたし、ご挨拶したい方にも会えたのでよかった。人の顔を覚えていないことがはっきりしたので、構造的改革をできるようにします。
 うれしかったのは、お会いできますかーと何人かからご連絡いただけたこと。私はほんとにしょぼくれた人間であることは自覚しているので、いつも会話をすると申し訳ない気持ちになるんですが、声をかけて頂けることはありがたい。お気軽にお話してください。
 次回はサイン会ができるようにがんばって次刊も出しますね。

最近読んだもの、見たもの

 ようやく間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』(早川書房)を読んだ。私は話題作には「どれどれ実力を見せてもらおうかのう…」という斜めな態度で臨む嫌な人間なのだが、ふつうにおもしろかった。好きそうなタイプの話だろうなと思ったらその通り+その先を行く話だったので、悔しい気持ちもある。
 改めてあらすじを書く必要性も感じないが、物語の要素自体は、言葉を選ばずに書けば平凡だ。機械化、不死の呪い、父と娘の関係、安楽死、新しい人類などなど。というか、要素を盛り込みすぎているキライもある。だから、これがハヤカワSFの大賞をとれなかったのは、選考としては妥当だったのではないかという感じはある(大賞をとった方は心中穏やかではないと思うが…)。家族史の幕間としてあるトムラさんの話はやや強引にも思えるし、序盤と終盤に出てくる将棋の話もこじつけのように感じる。にもかかわらず、この物語は胸を打つ。それを下支えしているのが「語り」の妙であり、そして過多ともいえる種々の要素の絶妙な配置であろう。細かいところが気になるのに、けっきょく読まされて心を揺り動かす、という物語が書けるのは純粋にうらやましい。
 『アンソロジー 舞台』(創芸文芸文庫)も読んだ。笹原千波「宝石さがし」は、丹念な取材に基づいているのだろう、衣装づくりやバレエレッスンの細かな描写がよかった。どれもおもしろかったけれど、この中では白尾悠「おかえり牛魔王」が好きだった。桐ケ谷さんと、主人公の立ち位置がよかった。ただ、アンソロジー全般として、「舞台」として銘打ちながらも、演劇寄りに偏っており、全体的に読み味が同じようなトーンになってしまっているのはやや残念。まあ、ここらへんは仕方ないよな、という気はする。
 旗原理沙子「私は無人島」(文學界5月号)も読んだ。作者の得意な民話的構造をもつ作品の、ある種の到達点だろうと思わせた。面白いのは、ある意味ぶっとんでる未希(ほぼ電話でしか存在しない)の方が、主人公より現実寄りの世界にいるらしいことが終盤にわかることで、私はこの物語の立ち位置がぐるりと逆転する感覚を覚えた。これは知識が足りないので書くだけになるのだが、全体的に「都市生活者」の視点から抜け出ていない感じは読んでる最中にずっとあった。もちろん主人公は高層マンションに住む「都市生活者」なのだからそれでいいといえばいいのだが、物語に組み込まれている構造自体が「民話」を借りたシステム的で、研究者的な書きぶりになっているように思えた。骨組みが透かして見えると言うか。いろいろな読み方ができて面白さにも貢献しているとおもうのだが、果たしてこれが小説的によいのかどうか、私にはちょっと判断がつかなかった。福海隆「日曜日(付随する19枚のパルプ)」もおもしろかった。ゲイカップルが「正しい」人間に追いまわされる、という筋書きは、斜線堂有紀の「選挙に絶対行きたくない家のソファーで食べて寝て映画観たい」(『百合小説コレクションwiz』(河出文庫))を思わせるが、それよりも露悪的で登場人物が全員最悪な感じなのがよい。選評ではレイの物語上の存在に否定的な意見が目立ったが、私はこういうタイプの話である意味勧善懲悪的に描くことが珍しいなと感じたので新鮮に思えた。『野ブタ。をプロデュース』に通じる書き方は、ちょっと懐古的に思えてしまう。
 サマンサ・ミルズ/渡辺庸子訳「ラビット・テスト」(『紙魚の手帖』Vol.15(東京創元社))もようやく読んだ。圧倒的であった。女性史であり家族史であり、戦いの歴史であった。こういう短編が書きたい。そういえば、同誌に三崎亜記氏がエッセイを寄稿していて、最近お見掛けしていないような気がしたのでちょっと嬉しくなった(と思って調べてみたら、「元作家」になりそう、と書かれていて、いや、そんなことないっす、『名もなき本棚』おもしろかったですよ、と思った)。
 今回は何といってもルシア・ベルリンの未訳が読めたのがよかった(『群像』5月号。岸本佐知子訳)。三作あるうち、いちばん好きだったのが「オルゴールつき化粧ボックス」。「化粧ボックス」が当たるという名目で名前のくじのようなものを買う、という商品を売る少女たちの話なのだが、ホープがまた出てきてうれしくなった。ルシア・ベルリンの実在した幼馴染ということらしいが、彼女がこの思い出を大切にしてきたのだろうということが伝わってくる、読んで涙が出そうになる短編だった。年内刊行予定という短編集も楽しみである。短篇小説特集は、短篇好きとしては嬉しい。高瀬隼子「いくつも数える」は、本当に日常の嫌な書き方をあまりいやらしくなく、でも嫌な感じに書くなあとにやにやした。特集の中では今村夏子「三影電機工業株式会社社員寮しらかば」が好きだった。ダメな人間を書かせると天下一品だと思うのだが、ああたぶんダメになっちゃうんだろうなあという主人公の木戸さんをきっちりダメに描いて、でも、最後の寮母さんのくだりがふわっと着地して、どんな物語を読んでも、そういう安心感があるからいいよなあと思った。
 橋本輝幸「地の用心」(Call Magazine Vol.59)は、石がとろけて昇天する話。「私」とKは急速冷却して回っているが、どちらかというと私は極楽浄土へいたる道すがらの絵図としてこの掌編を受けとった。仏画でありそうである。佐伯真洋「人魚と船首像」(Call Magazine Vol.58)はチャーミングな人魚譚。「魔法」が誰のためか、ぐるりと回る物語がよい。
 人文系では、日系人収容所関係の本をよく読んだ。エリザベス・パートリッジ文、ローレン・タマキ絵、松波佐知子訳『カメラにうつらなかった真実 3人の写真家が見た日系人収容所』(徳間書店)は、子供向けであるが、きちんとした構成だった。アメリカ人のドロシア・ラング、収容された宮武東洋、依頼されて撮影したアンセル・アダムスという三人の写真家の写真を元に構成されている。同じような写真でも、ドロシア・ラングは、この収容所が「正しい」ものであると写しているのに対し、ドロシアはそれに抗するような撮影の仕方をしていて、そういった部分をしっかりと書いてあるのがよかた。藤田晃『立退きの季節 日系人収容所の日々』(平凡社)は、実際に体験した方が、小説として描いている。収容所自体はとても人道的ではない施設なのだが、その中で生活を息づく人々が細やかに描かれていた。エリック・L・ミューラー, ビル・マンボ (写真), 岡村 ひとみ訳『コダクロームフィルムで見るハートマウンテン日系人強制収容所』(紀伊国屋書店)はかなり良かった。収容所にいた日系二世のビル・マンボという方の個人所蔵の写真を元に構成されているのだが、カラーの鮮やかな写真がそもそも強烈な印象を残す。また、それぞれの識者のコメントが載っており、注釈も豊富で次に調べる道しるべにもなり、良書であった。

ご依頼をたくさんいただいているよ

 本を出すよいことのひとつは、たぶん依頼がされやすくなるということなのだろう。商業なのだから、依頼を出す側は作品(商品)の出来を見なければ頼みづらい部分はあるだろう。それは雑誌掲載やアンソロジーだけでは心もとなく、やっぱり武器はひとつ持っておかなければならない。
 ところがどっこい、想定以上に依頼が来た。ありがたい話なのだが、正直、すでに年内でさばき切れるか心配な量が来ている。ありがたい、ありがたいのだが、もう新しいのは受けない方がいいんじゃないのか…と心配になっている。でも、ここで断ると次がないんじゃないかという心配もあるので、「いやもうたくさん来てタイヘンなんすよーハハハー」とも言いづらい。難しい、ので、「ちょっとすぐに対応できないかもしれないけど、ご依頼待ってますよ!」の感じでやっている。よろしくです。
 ただ、忘れないでほしいのは、これは私が兼業して書いているからであって、どこかの富豪が五億円をポンとくれれば、もっとバリバリ書けることは、全世界の富豪は知っていてほしい。もし誰か富豪の知り合いがいたら紹介してくれ。