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さかさ近況㉞


文學界2月号に載るよ

 2024年1月6日発売の、文學界2月号に、中編「海岸通り」が掲載される。


 ニセモノのバス停がある老人ホームで働く清掃員の久住さん、という女性を主人公にした話だ。140枚ぐらいの長さなのだが、この量を書いたのが初めてで、今までの百枚チャレンジの効果が出ている、と思う。新年から坂崎はがんばってるので読んでね。

最近読んだもの、見たもの

 だいぶ期間が空いてしまったので、コンパクトに紹介する。
 SFではチャイナ・ミエヴィル『都市と都市』(ハヤカワ文庫SF)が抜群に面白かった。架空の東欧の都市国家べジェルで起きた殺人事件を捜査する刑事…という感じでハードボイルドっぽく始まるのだが、隣接する都市、ウル・コーマという存在が物語を重層的に意義深くしている。「隣接」と書いたが、本当に道路自体もほぼ共有しているような状態で、住む人々はそれぞれの国を「見ない」ようにする訓練をずっと受けているから、あるのにない、という状態がある。殺された女性は、その都市の隙間にあるというオルシニーを研究していたということで…と、設定が本当にわくわくしてよかった。吉羽善「五時の魍魎」(Kaguya Planet)は、一種の怪異譚のように読めた。文字の主役の話といえば、円城塔の『文字禍』だが、それよりもポップで読みやすく、オチもクスリとさせられる。伊藤なむあひ「ひとっこどうぶつ」(Kaguya Planet)は、ある種の文明崩壊モノだが、かわいらしい?動物?たちのキャラクターが物語を牽引するので、騙されてる感じがしながらするする読めた。この料理見た目は人肉ですけどそんなことないですよーと差し出されながら脳みそあたりを食べさせられてる感じだ。なかむらあゆみ「ぼくはラジオリポーター」(『巣 徳島SFアンソロジー』(あゆみ書房/Kaguya Books))もいい。ラジオ、という媒体上、視覚が必要ないので、風船おばけがまったく伝わっていない、読者との秘密の共有のようなしかけだった。なかむらさんの、地元を扱っていることもあるだろうが、地に足のついた文も読んでいて安心する。
 今村夏子『木になった亜沙』(文春文庫)も面白かった。誰からも食べ物を受け取ってもらえない亜沙が木になる、というそのまんまの話なのだけど、今村作品は、その設定を叙情で使わず、地べたの現実と幻想を絡ませながら描くところがすごい。暴力と破滅の運び手「ヴォイテク」(CALL MAGAZINE)は、くるみ割り人形を舞台にしたこの時期ぴったりの話。ボストンバレエ団のクマのダンスを意識しているのだろうが、ヴォイテクはポーランドの兵隊クマとしても有名なので、そっちも兼ねてるでしょうね(ヴィトルト・シャブウォフスキ/芝田文乃訳『踊る熊たち』(白水社)を思い出します)。演劇は襲名なので、この話の時間の連なりはいいですね。宮月中「コンコルドの思い出」(CALL MAGAZINE)は、不在の話。あるようでないものを書かせるとピカイチですね。
 人文書系だとデスピナ・ストラティガコス/川岸史訳『ナチスの北欧幻想:知られざるもう一つの第三帝国都市』(草思社)が面白かった。ノルウェーのナチスの支配について知識をもっていなかったので、こんなことまでしていたのかと驚いた。都市構造論のような形で話が進むのだけど、そこにナチスの優性思想がからんでくるので、なかなか恐ろしい。「ノルウェー人女性の生殖可能な身体が、ナチスの人種的帝国を建設するという計画」という文字が、文字通り実行されていた歴史に目を背けてはいけないだろう。本書に出てくる、都市開発計画を任されたノルウェー工科大学の教授であるスヴェレ・ペデルセンという人物は気になる。政治に「まったく興味がない」と見なされながらも、息子は連合国側として戦い、次男は失踪、長男はスパイ容疑で逮捕され、という状況を鑑みると、どういう気持ちでこの計画に与していたか、いろいろと想像を膨らませたくなる。他にも、ピーター・ゴドフリー=スミス/夏目大訳『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』(みすず書房)もおもしろかった。神経系の余剰から、他の種族からは見られないコミュニケーションをとる、という話は興味深い。

2023年ありがとうございました


 今年、坂崎が受賞・寄稿したものは以下の通り。

・「先生とゾンビとKと私」
『Laid-Back SF〜20世紀SFトリビュート〜』
・「封印」
『乗物綺談 異形コレクションLVI 』(光文社文庫)
・「きゅうりうる」
『FFEEN vol.2』
・「いぬ」
『水都眩光 幻想短篇アンソロジー』(文藝春秋)
・「イン・ザ・ヘブン」
『小説現代』2023年10月号
・「ベルを鳴らして」
『小説現代』2023年7月号
・「ニューヨークの魔女」
『スピン/spin』第4号
・「僕のタイプライター」
『幻想と怪奇ショートショート・カーニヴァル』(新紀元社)
・「ははそはの」
『クジラ、コオロギ、人間以外』
・「ドーナツ・ホール」
『エッチな小説を読ませてもらいま賞 受賞作品アンソロジー』
・「ペンギニウムの子どもたち」
『アンソロジー 夢でしかいけない街』
・「母の散歩」
『文學界2023年5月号』
・「嘘つき姫」
『百合小説コレクションwiz』(河出文庫)
・「あーちゃんはかあいそうでかあいい」
『零合【創刊号】 : 百合総合文芸誌』(零合舎)
・「間宮伍長のイチイの箱」
CALL MAGAZINE vol.3

 他にも、ストレンジ・フィクションズさんの『百合小説アーカイヴ(仮)』にコメントを寄せたりした。ぬけが合ったらすみません。公募にもいくつか出したのだが、ほんとうにクオリティが低くなり、結果はよくなかった。時間は有限である。し、阿波の一件から、複製権を相手方に渡してしまうことは本当に面倒であるということに気づいたので、さすがに来年はもうよしてしまうかもしれない。
 こうやって振り返ると、フルタイム労働者兼家事育児実務者としては、かなり優秀ではないだろうかと思う。『坂崎かおるの時短術』みたいな依頼がくるかもしれない。こないか。
 とはいっても、これはまったく自分の実力だとは思わない。と書くと、殊勝な感じで「なにいっちゃってんの」と感じられるかもしれないが、いや、ほんとに、単純に運の問題だ。今年はたまたま、子どもが病気をそんなにしなかったし、自分も大きな病気にはかからなかったし、家族もまあまあ元気だし、仕事もまあまあなんとかなった、というだけだ。なにかひとつ綻びが出れば、こんな博打みたいな物書きの仕事は消えて吹き飛んでしまう。子どもより優先させるべきことでもない。そういうことを実感した一年でもあった。
 この一年、うまくできた!というものもあれば、正直、うーん難しかった…という作品もあった。だけど、何本も何本も書いていくうちに、なんというか、核みたいなものはつかめてきた気がする。絵画と一緒で、エチュードというものも小説には必要だというものも実感している(それがお金になればなおよい)。書きたいものはまだまだたくさんある。人生の残り時間も考えていくと、とにかく書けるうちにたくさん書きたいなあと思う。恥もたくさんかくかもしれないけど。
 と、うまいことを言ったところで、みなさまよいお年を。