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さかさ近況㊵


日本推理作家協会賞をとったよ

 と書く日が来るとは思わなかったが、とれちゃったのだから仕方ない。

 こんな機会は早々ないなあと思い、編集の人にも誘われたので、待ち会なるものもしてみた。私はふつうに仕事だったので、いろいろ片付けたあとに、えっちらおっちら某所にやってきた。四時半ぐらいだったか、どーもどーもはじめましてー(実際に会うのは初めてだったのだ)なんて言いながら、なんか果物がたくさん入った紅茶を頼んだところで、協会から電話が来た。会長の貫井さんから受賞を知らされ、ひょええ、と思った次第である。
 というわけで、待ち会はたった5分で終わり、待った会になった。時間がかかったら、「待ち会日記」みたいな感じで書こうと思っていたのだが、特に写真すら撮ることもなかったので、これは待ち会にカウントしていいのか?と思うので、いろいろな人達は、積極的に坂崎を待ち会に誘えるように賞を与えるとよいだろう。

 記者会見の出版クラブのでっかい建物に行ったのだが、部屋に入るとまず真保さんがいた。湊かなえさんは椅子を用意してくれた。すみません。他にもたくさんいたのだが、あまりにも現実感がないので、「なんかいっぱいいるなあ」と小学生みたいな感想をもった。
 同時受賞の宮内さんもいらして、とてもよい方だった。私が顔出しをしていないのをご存知で、写真撮影のときにも気を利かせて協会の方に言ってくれた。ぼんやりしていた私はふつうに写真を撮りそうになっていた。長編の方は青崎さんと荻堂さんで、ふたりは結構ラフな恰好で、短編の我々はかっちりしている感じでちょっとおもしろかった。というか、この賞は、ふつうはなんか、ふつうの作家がとるやつなので、場違い感がとても愉快であった。
 宮内さんのは創元のやつだったので、創元の編集の方にお会いできたのも良かった。やや複雑な気持ちではあるけれども、もしあのとき「ベルを鳴らして」が創元SFをとれていると、宮内さんとかぶってしまうので推理作家協会賞にはノミネートされず、こういう機会もなかった。と、考えると、めぐりあわせみたいなものだよなあ、と思う。
 SNS上でいろいろな方にお祝いしてもらったのも嬉しい。私は公募でコツコツやってきた人間であるから、こういう生き方もあるんだぜ、というのが見せられるのもよいでしょ。井上雅彦さんが、「短編でこのように評価されていることがなんだかうれしい」というようなことを書いてらして、私はそれが特にうれしかった。短編は、公募系もそうでない系も、日本ではいまいちメジャーな賞が少なく、短編作家ってなかなか商売しにくいなとは思うんですけど、こうやって書き続ければ評価はされていくよっていうところが見せられるのは、まあよいんじゃないんでしょうか、と思っています。
 さて、「ベルを鳴らして」はこの先どうなるのか…は続報を待とう。ちなみに、今年はまったく公募に出していないので(あ、一個はあったか)縁がないかと思ったが、「毎年なにかしらの賞をとる」記録は4年を更新した。さすがにどこかで途切れる記録だろうが、せっかくだから伸ばしていきたいものである。

最近読んだもの、見たもの

 今月はあまり読めていないが、小説では今村夏子『とんこつQ&A』(講談社)がおもしろかった。人前でぜんぜん話せない「わたし」が中華料理店で働くことになり、Q&Aのメモを使って接客ができるようになるのだが、という話。最後まで読むと、実際に存在しているのは誰か?というところまでいくことになり、これはとてもよかった。今村夏子は、就職から話が始まることが多く(そしてその仕事はたいていうまくいかない)、同じ型を使いながらもいろいろな話につなげていけるのがさすがである。
 自分の書評目当てで久しぶりに買ったが、『SFマガジン2024年6月号』は、短篇が多くてよかった。私はテリー・ビッスンを読んでないあるまじき作家なのだが、「熊が火を発見する」(中村融訳)はさすがによかった。いまさらあらすじを説明するまでもないが、死が近い母親とこの熊の話を絡ませることで、「孤独」というテーマが浮き上がってくる。「身を寄せあってはいるけれど、心は孤独のままのように思えた」という一文はいい。合わせて、ビリーの掌編もいい。本格的にテリー・ビッスンを読んでいこう。
 ナディア・アフィフィ/紅坂紫訳「バーレーン地下バザール」もかなりよかった。実際にあった誰かの死を疑似体験できる「地下バザール」に通う末期癌患者の女性ザーラが主人公。ひとりの女性の転落死(自殺)に興味を持ち…という筋書きだが、このガジェット自体がよいのもあるが、最後に女性が転落した場所へと赴き、少年と会話する場面がよかった。アフィフィはアメリカ在住だが、パレスチナ系の父親をもち、中東などへの文化圏の造形が深く、その中で「自殺」を扱うというのは、私たちの印象とはまた違ったものがあるだろう。
 人文書系では、ようやく岡真理『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房)を読み終わった。知識として知っている部分ももちろんあったが、1948年から続くイスラエルとパレスチナ、そしてガザを理解する上でこれ以上適しているものはないだろう。そして、岡氏自身が、攻撃と停戦を繰り返す、その「忘却」の間、「自分はどれだけガザのことを世界に伝えようとしてきた」かと問う、それ自体が重い。朴一『在日という病 生きづらさの当事者研究』(明石書店)も併せて読んだので、マイノリティが歴史の中で抑圧されていくこと、というのは考えさせられる。そして、朴氏の自伝にも似た文章を読むと、結局、声を上げなければなにも変わることがない、ということも痛感させられる。同時に、自分の立場はマジョリティのかなり恵まれたものであり、だからこそできることはあるだろうとも思う。
 笹公人『シン・短歌入門』(NHK出版)は、立ち読みしたらおもしろかったので購入した。とにかく短いのが好きなので、短歌はやりたいなあと思いつつ、手が動かなかったので、これはよい指南書であった。そのうち「坂崎短歌集」が出るかもしれない(出ないか)。
 そういえば、『ダンジョン飯』のアニメが面白かったので、漫画も買った。最初はよくある異世界ゆるふわ系マンガなのかと思ってたら、普通にハイファンタジーの骨太設定だったのでびっくりした。構成がびっくりするほどうまい。一貫して「ファリンを助ける」という目的から、「ダンジョン飯」というテーマをしっかりまとわせて、登場人物が増えてもどれも魅力的で、漫画お化けやな。
 『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』も観た。横溝正史かと思ったが、なるほどおもしろかった。これはぜんぜん子供向けじゃないですね…。
 

兼業か専業か

 さすがに、「坂崎さんは専業は考えてるんですか?」と訊かれることが増えた。ただ、業界にいて勧めてくる人はあまりいない印象である。理由は大きく二つで、
①収入の保証ができない
②書ける量が増えるわけではない
だろう、と思われる。
 ①についてはその通りで、いまの〆切の数なら慎ましく食べていけるぐらいはいけそうだけど、これが毎年あるかどうかはわからない。自分が生産できるかどうかも不明である。そして、ここんとこ最近ずっと書き続けているが、それに関する収入はゼロである。もちろん、未来にはもらえるだろうが、それまではゼロなのだ。特に、書籍の印税の入るタイミングは遅い。これはかなり不安である。まあ、ヤクザな商売ですね。
 ②については、誰しも口をそろえますな。私は朝の一時間か二時間を有効活用しているから、これが四倍とかになるのであるから、単純、書ける量も四倍になりそうだなと思うけど、たぶんそうはならない。試しに、運良くひとりの休日ができたとき、いっぱい書けたかというと、そうでもなかった。普段しない掃除も気になるし、読んでなかった本をも気になるし、料理はちょっと凝りたくなるし、なによりパソコンの前に長く座っていたからと言って長く書けるわけでもないのだ。腰も痛くなるし。
 というわけで、許可がとれている現状、専業のメリットはあまりにもない。とはいえ、家庭事情的に、専業の自由さがもたらす恩恵は個人的には存在する。まあ、この1年とりあえずやってみて、どれぐらいこなせるかで考えよう…。