「買い物は投票だよ」
「買い物は投票だよ」
旅先のゲストハウスで、そう教えてくれたお兄さんがいた。わたしはまだ二十歳で右も左もわからないような子どもだった。
お兄さんは鍼灸師で、休日は友だちと合鴨農法でお米を育てているとかで、東洋医学に興味をあり、自然が好きなわたしと話が盛り上がった。そんな会話の中での一言だった。
当時はこの言葉に対して「へぇ〜、確かにそうかもしれないな!」というくらいの反応で、あまりよくわかっていなかったのだけど、何故か心に残るフレーズだったため、ずっと覚えていた。
あれから7年。
あいも変わらず、わたしは自然が好きで、それらを残していきたいと思っている。
一時期はそれを謳う活動に傾倒し、いろいろと大変だったこともあるが、今は日常生活を送りながら自然を大切にしようとしている。
特別なことをするのではなく、暮らしのひとつひとつの選択を変えてゆくことで。
なにを食べ、なにを使い、なにを着るのか。日常は選択の連続であり、なにを、だれから、買うのか。
その行為は投票だ。
当たり前だが、企業はお金を払ってくれる人によって支えられている。どんな想いで、どんなビジョンを描き、どんな風にどんなものを世に出している企業に、お金を払っているのか。お金を払うことで、その企業を存続している。
購買とは自分がなにを支持しているのかを表す投票なのだ。
「買い物は投票だよ」
気づけばこの言葉をわたし自身が使うようになった。
「自然は大切にしたいけど、なにしたらいいのかわからないんだよね」
「世の中をよくしたいけど、なんにもできないから考えるのが辛くて」
そう話してくれる友だちに伝えている。かつてわたしも何もできない自分が歯痒く悔しく、辛かったから。世界を変えるって今すぐできる簡単なことの連続なのだと知ってほしくて。
「買い物は投票だよ」
さあ、今日はなにを買おうかな。
✳︎
もしかしたら、あのお兄さんもわたしが友だちを想うように、わたしを想ってこの言葉を伝えてくれたのだろうか。わたしのお守りのひとつ。
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