おばあちゃんの日
今日、畑をしていると、近所の認知症のおばあちゃんが、道に出てきていた。散歩でもしてるのかなぁと思って見ているとこちらに氣づき、手を振ってわたしのほうへ向かってくるから、転んだらいけないと近寄って手を握って、「散歩しとるの?どこいくの?」と聞いてみると、「なんもかんも忘れてまって、家がわからんのよ」と。「おまん(お前)はどこの子や?」「よそざえも(屋号)やよ。わたしが家連れてってやるで」
挨拶をしたり、野菜をもらったり、おばあちゃんとも仲の良かった近所のおばあちゃん。手を繋いだことなんてなかったのに。家に送っていくまでの数十歩の間に、手のひらから伝わるぬくもりが切なくて愛おしかった。
行きつけのカフェに行くと、89歳の常連のおばあちゃんと会うことがたまにある。まだまだ現役で自分でもお店をされてるおばあちゃん。何度かお会いしているけど、きっとわたしのことは覚えてなくて、でもいつも優しくお話しをしてくれる。
「人生ってね、悪いことばっかりでないよ。良いことも絶対にある。わたしもえらい(辛い)ときもあったけど、辛抱してやってきて、そのおかげで今一番幸せ」
うちの祖母は、去年の冬から施設にいる。できることならいっしょにいたかったけど、いろいろな状況が重なって無理だった。週に一回くらい会いに行くけど、最近はわたしのこと忘れとらんかなぁと不安半分。昔みたいにおしゃべりもしなくなって、自分から切り上げるようになった。
老いないでほしい。逝かないでほしい。ずっと側にいてほしい。
「忘れる」ってどんな感覚だろう。自分の孫を、自分の子どもを、自分の家を、忘れてしまうって、どんな感覚だろう。
とてもとても、寂しいのかな、不安なのかな。おばあちゃんはいま、どうやって生きているんだろう。
わたしには顔を見せるくらいしかできなくて、おばあちゃんがわたしを忘れても、変わらず会いに行こうと思っている。
もう、おばあとコーヒーに行ったり、紅葉を見に行ったり、山に行ったり、山菜を採ったりすることはないんやなぁ。いつかのそれが、最後やったんやなぁと今更氣づいて、泣けてくる。
それでもまだ、ぬくもりをもって生きてくれている。笑ってくれる。それだけで有難い。それさえも今しかないのだから、精一杯大事にしよう。
今日は『おばあちゃんの日』やったな。明日はおばあちゃんに会いに行く。わたしのこと覚えててくれますように。
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