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卵かけうどんの葬儀


 喪服でコンビニ袋をぶら下げた3人が、慌ただしく戻ってきた。
 中から卵のパックと、冷やしうどんを取り出して
「いやあ、意外と売ってないもんだね」
という。
 父から聞いていた「最後に食べたいメニュー」の二品、卵かけご飯と釜玉うどん、を調達しに行ったのだという。

 ガランとして明るい、吹き抜けの葬儀場のロビーにいるのは、妹の家族と、私と、母。
 駅前の広い式場だというのに、参列者も、他の葬儀の関係者もいない。
 緊急事態宣言中の都会で、これから葬式をする。正確にはお経を上げる人さえ呼べないので、葬儀ともいえない、不思議な集まりだ。早朝の高速を6時間走ってきた私と夫と、妹の家族と母、全部で7名。その他には誰もいなかった。

「ここで開けちゃっていいかな」
「ちょっとあんたたち、これ持ってて」
 中学生と高校生の姪に開いたゴミ袋を構えさせておいて、妹は慣れた様子でパックを開ける。喪服の黒と、うどんの白に、割った卵の黄色がアクセントになって綺麗で、映画にありそうなシーンだと思った。
 葬儀屋の係は、サンドイッチマンの地味な方の人に、よく似ていた。
 そのガタイのいい黒服のお兄さんが、焼香用の小さいワゴンみたいな物を持ってくると
「これ、使います?」
「あ、助かります。すみません!」
 それで、即席の食卓ができた。
「時間はゆとりがありますから、大丈夫ですよ」

 糖尿病なのに節制を怠り続けた父は、テレビの医療ドキュメンタリーや介護の話題が嫌いだった。というか、そうしたものに、まるで興味がなかった。
 管に繋がれた老人、車椅子を押されて移動する人を見ると必ず、
「あんなんなったら、おしまいだ」
と言った。

「しかしまあ、あんなんなって生きてても、どうしようもないよな」
「生きててもしょうがないのに、なんで生きてるんだと思うよな」
「またそんなこと言って、罰当たりな」
「バチもクソもあるか。あんなのはダメだろう」

 母は正反対の健康オタクだったので、いつも口論になる。
 時には私や妹が、母の代わりに相手をすることもあった。

「そんなこと言って、お父さんだっていつかそうなるんだよ」
「俺はならん」
「そんなこと言ったって、わかんないでしょ」
「俺は、ならないの」「なんでそんなこと言えるの、わかんないでしょ」
「わかる」
「どうして」
「そういう時は、俺は自分でちゃんとするからだよ」
「ちゃんと、って何よ。どうすんの」
「そりゃ、しかるべきところに行って、自分でけじめを付けるんだよ」
「何言ってんだか。できるわけないでしょ」
「できるよ俺は。」

 とにかく、ああやってダラダラ生きるのはだけは、絶対にダメだ。
 そう言いながら父は、存分にダラダラと生きた。糖尿病患者の悪い見本のように、みんなの世話になり、迷惑をかけまくった。薬が強くなるに従って認知も弱り、意思の疎通さえ微妙になったが、遠方から訪ねていく私には、弱っても変わりのない笑顔を見せた。

 食べることが何より好きで、好き嫌いは一切なく、食えなくなったら死んだ方がいい、が口癖だった父も、食が細り、嚥下に失敗して肺炎になると、ついに何も食べられなくなった。
 介護崩壊した母の代わりに父の面倒を引き受けていた妹は、私に電話を寄越して
「胃ろうをするか、このまま置いておくか、決めるんだけど・・・いいよね」
とだけ言った。
 この父が、食べられず、寝たきりで生きることは、どう考えても「なし」だ。

「すいませんね、こんなこと。」「本人にリクエストをもらってあったもので」
 発泡スチロールの容器に、黄色いうどん。
「いえいえ、僕も好きです。美味しいですよね」
 少し離れたところから、サンドイッチマンが笑ってくれるのがありがたかった。

 卵かけご飯と釜玉うどんは、合体して「卵かけうどん」として、焼香台に供えられた。
 私が持ち込んだ饅頭と、ちょっと高級なみかんも、一緒に並べた。
 家の仏壇みたいになったけれど、葬儀場の立派な花と祭壇で、思ったより格好が良くなった。

「お経やご参列者のお焼香の時間、代わりに何かして頂くこともできますが、どうされますか」と言ってもらい、なんの用意もないから、みんなで父と喋ることにした。サンドイッチマンとその上司らしき人が、お洒落な椅子を人数分、棺の前に運んでくれる。

 とりあえず喪主から、と言ったが、母は「特にないよ」と言うので、妹から順に、父の思い出を話した。妹夫婦は県内に家を持ち、二人とも高校の教師をしている。父の最後の面倒を見ることも、葬儀の準備をすることも、本来なら相当に忙しい二人だ。

 それができたのは、ある意味、休校のおかげだ、と妹は言った。
 父が肺炎を起こして搬送される少し前に、緊急事態宣言が出されたように思う。面会は出来ずにいたが、緩和病棟へ移ったこともあり、最後だけは妹が一人で看取りをすることが許された。
 背中を撫でながら、好きな落語のCDをかけて「いい人生だった、よくやりました!」と話しかけて送ったのだという。

「金馬さんのCD、持ってきたんだよ」
 だから、会場のBGMがちょっとおかしい。さっきから落語が流れている。

 最初から最後まで、ボロボロ泣いていたのは私ひとりだった。声を出すわけではなく、悲しいからという訳でもないように思えるのに、溢れてこぼれて、どうにも止まらなかった。
 涙って、泣こうとしなくてもこんなに出るもんなんだ、と、他人事のように思いながら、私は元気な頃の父のエピソードを、いくつか話した。

 姪は、施設を抜け出してファミレスに行った父に電話で呼び出され、注文し過ぎた料理を食べろと言われ閉口したこと。
 それから、納屋の隅で発見されたあんパンの袋とレシートの話。
「やっぱりどうしたって、褒めるより食べ物の話になっちゃうよね。」
 みんなたくさん笑った。

 棺の中に花を収める、という段になって、妹が卵うどんを入れる。発泡スチロールの入れ物を買ってきたのはいいが、蓋はないから安定が悪い。
「顔の近くがいいんじゃないの」
「運ぶ時に危なくないかな」
「あ、その辺りなら大丈夫だと思います」
「じゃあここだ。はい、ちょっと冷たいけど、存分に召し上がって」
「本人も冷えてるからいいんじゃない」
「そうか、そうだね」

 誰もいないエレベーターホールから、斎場へ向かう車に、棺が移動する。
 コンビニの袋を提げた姪と、私たち夫婦と、妹夫婦と、母。
 来られなかった自分の子供たちと、知らせることさえ出来なかった沢山の人の分まで、ゆっくりと頭を下げる。

 こんな送り方で、よかったかい?

 こうして、父の葬式は終わった。

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