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キャロットケーキ

彼氏との初デートで食べたくないランキング1位だな。
この食べ物を綺麗に食べ終えられる人は居るのだろうか。



毎回そんなひねくれたことを思いめぐらしてしまう癖に、カフェに置いてあると必ず注文してしまう。


フォークを入れる途中で胡桃にぶつかると先に進めない。その癖わろうとすると、昔よく行われていた、牛を使って人を八つ裂きにする拷問みたいに胡桃が飛び散るから面倒なのだ。



それなのに私はキャロットケーキが好き。



前置きが長くなってしまったけれど、○○だからあの人は○○という考え方って、潜在的に一般論として溶け込みすぎているけれどそうでは無い、と思いませんか。



裕福な家庭に生まれたから幸せ
満たされていないから愚痴を言う
サイコキラーゲームをしていたからあの人は人殺しをした


こうやって何かを定義付けることで、私たちは安心したい。自分はそちら側では無い、あるいは、それだから自分は不幸なんだ。
そうやって自分を正義にすることで納得して生きている。



自衛なのかもしれない。
でも、自分と他人との距離を大きく開いてしまうことにもなる。


こうして凝り固まっていくのだろう。
考え方に経験値や苦労の自負まで着いてきて、どんどん頑丈で人を容易く攻撃できる言葉の武器を作り出してしまうのだろう。


簡単に願望を述べますが、
視野が広くなりたいです。



つまるところ、私は食べづらいからってキャロットケーキが嫌いなわけではないんです。


理由がなけりゃその感情になり得ないなんてことは、きっとないんです。


私、実は今電車でいきなり泣き出す激イタ女なんですけど、何が辛いかなんてわからないんですよ。どうしてほしいのかもわからない。


だから行きつけのカフェに来た。そしたらキャロットケーキがあったから頼んでみたんです。
だからこの文章を書いただけ。
他意なんてありません。


これからなにしようかな

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