バングラデシュ映画界期待の Amitabh Reza Chowdhury 監督『Rickshaw Girl』〈リキシャ・ガール、2021〉

初出:ブログ『インド映画の平和力』2022年4月26日付

 バングラデシュの主要英字紙『Daily Star』を眺めていたら、5月5日にニューヨークで『Rickshaw Girl』〈リキシャ・ガール、2021〉がプレミア予定という記事を見つけた(2022年4月25日付)。

 そうそう、これも半年ほど前に話題になっているのを見て、どこかで紹介しなければという頭ではいたのだ。そのとき聞き覚えのあるタイトルだと思ったら、『リキシャ・ガール』(ミタリ・パーキンス、永瀬比奈=訳、ジェイミー・ホーガン=絵 鈴木出版 2009年)が原作である。

 予告編を見る限りでは、舞台こそ村から都会に移しているものの、ほぼ忠実に起こしているようだ。
 主演は『メイド・イン・バングラデシュ』で、衣料品工場の上司との不倫が発覚してクビになり、自暴自棄で娼婦になってしまう(注)ダリヤを演じたノベラ・ラフマン。
 おしゃれなオフィシャルサイトもある。日本の観客にもアピールしそうな作品だし、どこか配給会社が輸入してくれればいいのだが。

注 ダリヤには結婚願望が強く、友人で既婚者のシムから、結婚したらすべてがバラ色というわけじゃないと諫められている。ここは、日本の観客にはわかりにくいところだろう。シムの言は事実だが、ダリヤの気持ちも、バングラデシュ社会の文脈では妥当である。必ずしも夫でなくても、父やおじや、兄弟、従兄弟でも良いが、「日常生活において同伴してくれる親族の男性がいない」のは、中産階級以上で高学歴専門職の女性であればともかく、ダリヤたちのような貧困層では、育ちが悪いとか身持ちの悪い女として侮られることも少なくないからである。

 そもそも、監督の Amitabh Reza Chowdhury(オミタブ・レザ・チョウドリ)は、この5~6年のバングラデシュ映画界で、最も期待されている監督のひとりである。
 名前からわかると思うが、同国ではマイノリティのヒンドゥ教徒だ。劇場用映画の第1作『Aynabaji』〈ミラーゲーム、2016〉が大ヒットして、一気に注目された。  
 
『Aynabaji』は、やはりヒンドゥ教徒の Chanchal Chowdhury(チョンチョル・チョウドリ)を主演に配したサスペンスである。
 主人公 Ayna(アイナ)は売れない俳優で、近隣の子どもたちに向けた演劇塾を開いて暮らしているようだ――と思って見ていると、秘密のシノギがわかる。

 なんと、恐喝や強盗、密輸や性犯罪などを犯して刑務所に入らなければならない者たち、なかでも日本で言う反社の、ボディダブルになることなのである。
 かりにも俳優なので、変装や犯罪者のクセをつかむのはお手の物。裁判所から刑務所への移送途中にすり替わって刑期を務める。といっても、たいていは数カ月の辛抱だ。その間、ほんものの犯罪者のほうは、街中で大手を振っている。アイナが満期になって出所すると、報酬が支払われる。
 
 しかし、悪はいつまでも栄えないものである。
 日刊紙で働くフリーランス・ジャーナリスト Saber(サーベル)が、「刑務所にいるはずの加害者が家にやって来る!」という被害者女性の訴えを聞き、調査を始める。そしてアイナに疑いの目を向けるのだが、なかなか尻尾がつかめない。
 他方、仕事が仕事なので、他人との接触をなるべく避けるアイナだったが、ふとしたきっかけで、Hridi(リディ)という若い女性が演劇塾に遊びに来るようになる。彼女と親しくなるにつれて、アイナは生き方を変えたいと思うようになる。
 そんなとき、いつもの斡旋業者から、大きな仕事依頼がくる。それを受けたくなくて雲隠れしようとしたアイナは、何者かに拉致される。
 
 このあとが怒涛のクライマックスだ。
 他人になり代わるプロットのサスペンスというと、米国映画にもいくつかあったから、見ていて「ああ、やっぱりそういう絶体絶命の展開に」と思いつつ、アイナがどうなるのか目が離せない。
 筋立ての妙はむろんだが、最初に監督の非凡さを感じたのは、舞台となる首都ダッカの撮り方の新しさである。アイナに仕事を斡旋する、「ハリウッドスタジオ」(!)という名の写真館界隈の描写とか。
 
 なお、私は未見だが、『Aynabaji』は、インドにも轟いたようで、テルグ語映画『Gayatri』〈ガヤトリ、2018〉にリメイクされている。



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