ボリウッドの「平和力」③

高らかに謳われる多様性の価値

《初出:『世界』2013年10月号(848号)、境分万純名義、
インド映画100周年に寄せて
ボリウッドの「平和力」――高らかに謳われる多様性の価値》

インド映画人の底力
 
 こうした作品がつくられる他方、ボリウッドに澎湃としてわき起こったのは、パキスタン映画界・映画人との友好促進の機運だ。
 2002年3月に起きたグジャラート暴動(2000人が虐殺され15万人が家屋を失った。多くはムスリムである)、つづく7月に起きたジャム・カシミール州軍駐屯地襲撃事件で頂点に達した印パ核戦争の危機が回避されてから、まだほどないころである。

 分離独立をテーマにした秀作『Pinjar』〈むくろ、2003〉の主演女優がパキスタンを訪れたころから目立ちはじめ、パキスタンの俳優や音楽家の起用が競い合うように急増し、それらを通じて「不毛な対立を終わらせよう」とうったえる映画人の声が高まった。

 その延長に、1965年の第2次印パ戦争以来の映画の相互輸入禁止措置を、解除しようという動きが生まれた。ちなみに、この禁輸措置は71年にパキスタンから独立したバングラデシュとの間でも引き継がれていた。

 禁輸解除の動きはしかし、ボリウッド人気による打撃を懸念するパキスタン映画界の一部の逡巡によって、いったん膠着状態に陥った。

 だが、印バ間のほうで新たな動きが起こる。
 07年、バングラデシュ独立戦争をモチーフにしてカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞などを受賞したバングラデシュ映画『泥の鳥』(2002)が、インドで商業公開されたのだ。これには、もともとバングラデシュ映画界との関係が深いベンガル語映画界の映画人が少なからず尽力した。

 これを受けるように、08年にはついに印パ間の全面解除が実現し、パキスタン映画『神に誓って』(2007)がインドで商業公開された。
 国外にあってはテロリスト扱いされ、国内にあっては原理主義者の脅威にさらされる、ふつうのパキスタン人の苦悩を描いたこの作品は好評を博した。「パキスタンに対していかに偏見を抱いていたかを反省した」という感想も多かった(注7)

(注7)2016年9月以降のバックラッシュについては、リンク先の過去記事を参照。 

 このように、印パ友好ムードが高まるところへ冷や水を浴びせかけるようなタイミングで起きたのが、08年の「11・26」、ムンバイ同時多発テロ事件だったのである。

 テロ事件のたびに、ボリウッド映画人は間を置かずに冷静さを呼びかける声明を発表するなど具体的な行動を起こしていたが、このときも素早かった。捜査当局や消防隊などの尽力に敬意を表明するとともに、被害者を哀悼し、市民とともにキャンドルマーチに連なって、「見境のない殺戮に身をやつす者は、本人がどう主張しようとまっとうな信仰をもつ者ではない」として冷静さを呼びかけた。
 日本では、映画というとサブカルチャー扱いだが、インドではメインストリームのそれであって、映画人の影響力は比較にならないほど大きい。それが、非常時にはことのほかものをいう。

 通常でも、ボリウッド映画人の社会公益的な活動は枚挙に暇がない。
 とはいえ、昨年(2012年)、アーミルが企画し、ホストを務めた連続テレビ番組『Satyamev Jayate』〈真実は常に勝利する、2012-2014年〉の衝撃は大きかった。
 女児堕胎、子どもの性的虐待、ダウリー(注8)、障がい者の人権、不可触民制の遺恨など、インドが抱える深刻な社会問題を取りあげ、被害者本人のほか、裁判官や弁護士、NGOワーカー、ジャーナリストなどを招いて議論し、意識の喚起と行動を呼びかける内容である(注9)

(注8)婚姻時に女性側が男性側に贈る現金や宝飾品などの総称。ダウリー授受は違法であるが、もともと慣習としていたヒンドゥ教徒のみならず、シク教徒やキリスト教徒などにもみられ、受け取った金額や財物に満足しない夫の親族らにより妻が殺傷される事件が絶えない。

(注9)公式サイトでは、ほぼすべてのエピソードを英語字幕で無料視聴できる。各エピソードの左側にある言語選択バーで「Hindi(English subtitles)」を選択する。

 番組のあまりの反響に、国会は積年の懸案事項だった子どもの性的人権を保護する法律を、放映後数週間で成立させている。
 娯楽映画界の住人にとってタブーともいわれる領域にまで踏みこみ、自らのスターパワーを良い意味で最大限に活用したアーミルの英断は各国からも注目を浴び、米誌『タイム』などは特集を組んだほか、アーミルを13年版「世界で最も影響力のある100人」にも選定している(注10)

(注10)特集は2012年9月10日号、2013年版「世界で最も影響力のある100人」は13年4月29日号


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