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バランシンの『ルビーズ』を愛さずにいられる人がいるでしょうか? ジョージ・バランシン作品指導者ポール・ボーズが語る『ルビーズ』の魅惑と素顔のバランシン

 2024年2月3日、4日に牧阿佐美バレヱ団が主催公演〈ダンス・ヴァンドゥⅡ〉で、ジョージ・バランシン(1904〜1983)の振付による『ルビーズ』を27年ぶりに上演する。
 バランシン作品の上演権を管理するジョージ・バランシン財団(George Balanchine Trust)が作品指導のために派遣したのは、ポール・ボーズ(Paul Boos)。ニューヨーク・シティ・バレエ在籍時にジョージ・バランシンの許で踊り、バランシン財団の指導者に任命されて以降、数多のバランシン作品上演に関わってきたボーズに、バランシンについて、『ルビーズ』について、27年ぶりに同作に挑む牧阿佐美バレヱ団について語ってもらった。
(2024年1月26日、牧阿佐美バレヱ団でのリハーサル見学後にインタビューを実施した)

ポール・ボーズ Paul Boos ©️David Rosebury

『ルビーズ』を愛さずにいられる人がいるでしょうか?

 ジョージ・バランシンのキャリアには幾つかの転機がある。その一つが、1964年に複合劇場施設リンカン・センターに新設されたニューヨーク州立劇場(現称:デヴィッド・H・コーク劇場)に本拠地を移したことだ。NYCBを創設した1948年以来の常駐劇場だったシティ・センターよりひと回り大きな新劇場で踊ることによって、ダンサー達はバランシン作品の生命線であるダイナミックなスピード感に磨きをかけた。州立劇場は、バランシンのスタイルを完成させる最後のピースだったと言える。
 州立劇場への移転はバランシンのキャリアにも変化をもたらし、新劇場の大きな舞台およびこの大舞台に鍛えられたダンサー達にこそ相応しい大規模なバランシン作品がしばしば誕生するようになった。
 1967年4月3日に初演されたアブストラクト仕立ての『ジュエルズ』もその一つで、『エメラルド』『ルビーズ』『ダイヤモンド』の全3幕からなる。すなわち『ジュエルズ』は、ニューヨーク州立劇場という〈終のすみか〉と意のままに踊るダンサーを手に入れ、キャリアをさらに充実させたバランシンが生み出すべくして生み出した大作なのだった。

 現在、NYCBはもとより、世界の名だたるバレエ団で踊り継がれている『ジュエルズ』だが、各幕を別個の作品として上演する機会も少なくない。
 牧阿佐美バレヱ団が日本のバレエ団としては唯一レパートリーに持つ『ルビーズ』は、イーゴリ・ストラヴィンスキーの「ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ」に振り付けられている。男女プリンシパル1組、女性ソリスト1人、女性群舞8人と男性群舞4人、合計15人の出演者は、幕が上がって降りるまで、バランシンと公私にわたる親交のあった作曲家の楽曲にのって、ひたすら舞台を駆け巡る。数多のバランシン作品のなかでも、すこぶるつきの躍動感に満ちた作品なのだ。

 現役時代に『ルビーズ』に出演し、今回、牧阿佐美バレヱ団で指導にあたるポール・ボーズは本作の魅力をこう語った。
「とにかくアスレチックな作品です。〈伝染力〉があると言いたいほどの魅力をたたえている。『ルビーズ』を愛さずにいられる人がいるでしょうか? ただしダンサーにとっては、非常に難しい作品です。ストラヴィンスキーの音楽は複雑で、一貫して聞きやすいメロディが流れているわけではなく、リズムが幾重にも重なっている。バランシンはこの音楽を精密に聞き取り、ダンサーの動きに精密に反映させています。初めてこの音楽を聞いて、彼のように音楽を聞き取るのは至難の技でしょう。牧阿佐美バレヱ団では、ふだんとは違う音楽の聞き方に馴染んでもらうために、カンパニークラスを教えることから始めました。踊っている時は、つねに音楽と一体でなくてはいけない。バランシン作品を踊るダンサーには、ミュージシャンであることが求められるのです」

 〈カプリッチョ(奇想曲)〉という曲名通り、ピアノとオーケストラが戯れるようにせめぎ合って驚きに満ちたリズムやハーモニーを生み出し、さらにはオーケストラが管楽器、弦楽器、打楽器に分散してせめぎ合いに参戦し、聞く者、見る者の気持ちをかき立てる。一連の楽曲の難しさをたずねると、ボーズは〈シンコペーション〉と即答した。〈言うは易し行うは難し〉ならぬ、〈聞くは楽し踊るは難し〉を地で行く作品なのだ。
「一筋縄ではいかないシンコペーションの連続です。ストラヴィンスキーが、ピアノとオーケストラの構成を意図的に複雑にしたのかと思えるほど。ダンサーは、こんな感覚になるんですよ。きちんとカウントできている、ピアノのメロディにのって踊れている、OK! そう安心したのも束の間、次の瞬間、ピアノの音色がどこかに消えてしまう。ダンサーが慌てていると、突然、ピアノが戻ってくるので、ダンサーはまた慌てることになる」
 インタビューに先立って見学したリハーサルの最中、二組に分かれた女性群舞が、各々、異なるリズムで踊り始めたのに、いつの間にかユニゾンになってしまう場面があった。
「ストラヴィンスキーの音楽は変則的にリズムが変わり続けるので、踊りこなすのは簡単ではありません。遊び心に富んでいるおかげで、ダンサー達は苦労するのです。周囲のダンサーに合わせて踊るのではなく、1人ひとりが自分を信じ、たとえ変則的でもリズムを正確にキープすれば、問題は生じないはずなのですが。クラシック音楽に振り付けた『セレナーデ』や『コンチェルト・バロッコ』とは音楽の聞き方がまったく違います」

 バランシンの振付も変則的だ。リハーサルでは、オーソドックスなバレエのステップと意表を突くステップが細かなジグゾーパズルのように組み合わされていることを目の当たりにした。脚を宙で動かすコンビネーション一つとっても、シンプルに蹴り上げるのか、膝の屈伸を加えるのか、足先でフロアをこする動きを加えるのか、ターンアウトを保つのか、ターンインした状態も見せるのか、幾つもの選択肢がある。プリンシパルの男女が踊るデュエットでは、男性の片腕でサポートされた女性が大胆にオフバランスの状態になり、そのままフロアに落下するのではないかとヒヤリとしてしまった。
 一瞬一秒に、無数のアイディアが織り込まれた、全盛期の振付家の作品であることを確信した次第である。

『ルビーズ』がアメリカのイメージを醸し出す、という言質の真偽は?

 バランシンが振り付けた唯一のアブストラクト仕立ての全幕作品『ジュエルズ』は、宝石にちなんだ題名がつけられ、各々の宝石を彷彿させる衣装に彩られてはいるが、具象的なプロットは持たない。しかし多くの人々が、『ルビーズ』はアメリカのイメージを体現する作品だとみなしている。フランス人作曲家フォーレの音楽に振り付けた『エメラルド』にはフランスないしロマンチック・バレエのイメージが漂い、チャイコフスキーの交響曲に振り付けた『ダイヤモンド』は帝政ロシアおよび往時のバレエを想起させる、といった言質も浸透している。
「そのように言われていることをバランシンは承知していましたが、彼自身はそんなつもりはない、といつだって答えていました。作品に何らかの意味を当てはめたくなかったのです。とはいえ、『ルビーズ』ではジャズを思わせる動きが多用されています。ジャズはアメリカ生まれの芸術ですから、アメリカ風だと受け止めることは可能です。それ以外にも馬の手綱を操るような動きや縄跳びをしているような動きもあります。バランシンがアメリカ人の仕草からとったものかもしれません。ただし日本人も縄跳びをするし、乗馬もする。アメリカを連想させると言われている動きは、必ずしも、アメリカ固有のものではありません」
 言葉遊びの得意なバランシン語録から察するところ、バランシンの〈イエス〉は〈ノー〉を意味し、〈ノー〉が〈イエス〉を意味することが多々あったようだ。
「その通り、彼は質問をはぐらかすのが得意でした(笑)」

 『ルビーズ』がアメリカのイメージを体現しているか否かについて固執するかわりに、ボーズがリハーサルの際に強調することがある。
「ダンサー達に必ず伝えることがあります。観客がただ舞台を眺めるのではなく、舞台上のダンサーと一体感を感じられるように踊って欲しい。観客の憧れの対象になって欲しい。〈あのバレリーナ、とても楽しそう、私もあんな風に踊ってみたい〉と思ってもらいたい。『ルビーズ』は、観客を巻き込むことに成功した作品だと思います。古典バレエの『バヤデール』の影の精を自分の分身だと思えるでしょうか。『ルビーズ』のダンサー達は生身の人間で、観客の延長線上にいる存在なのです」

 ボーズの言葉に耳を傾けながら、男女プリンシパルのデュエットや、男性プリンシパルが4人の男性群舞を率いて踊る場面を思い出した。ボーズは彼らの立ち位置やどのタイミングで誰を見るのかを細かく調整し、互いを競い合わせたり、仲間意識を感じさせたり、色々な表情を導き出した。『ルビーズ』の登場人物は、古典バレエにお目見えする架空のキャラクターではなく、ニューヨークのストリートを闊歩していそうな若者達なのだ。

 『ルビー』は、舞台に勢ぞろいしたダンサー達が観客をしっかりと見つめ、観客を傍観者にしておかない場面から始まる。
「そうです、正面を見て、観客に自分を提示するのです。実際には動き始めのタイミングを逃さないように、指揮者に視線を定めているのですが(笑)、ダンサー達には見ているふりではいけない、しっかりと観客を見なくてはいけない、と念を押します。観客席で『ルビーズ』を見ていて、〈あの女性ダンサーが自分のことを見ている!〉という言葉を耳にしたことがあります。観客にそう感じてもらうことが大切なのです」

 『ルビーズ』には、もう一つ、特筆すべき特徴がある。1967年の初演時にプリンシパルのカップルを踊った、地元ニューヨークのバレエファンなら誰もが知るバランシン・ダンサー、パトリシア・マクブライドとエドワード・ヴィレラのイメージが刻み込まれている。
 マクブライドは、SAB卒業後、1959年から1989年までNYCBに在籍した。日本での知名度こそバランシンのミューズとしてつとに知られる同世代のスザンヌ・ファレルに一歩譲るとしても、マクブライドは、どこかミステリアスな雰囲気のあったファレルとは対照的なまでに明朗快活な輝きを放つバランシン・バレリーナだった。
「マクブライドとヴィレラの存在は、ダンサーにとっても振付指導者としても、悩ましい問題です。マリア・カラスの『椿姫』に魅了された人が、『椿姫』を聞くたびにカラスの歌声を思い出してしまうのと同じようなことが、『ルビーズ』でも起こり得ます。『ルビーズ』を踊るダンサーに望みたいのは、マクブライドの踊りに満ちていた喜びを体現することです。そのためには、マクブライドを模倣するのではなく、自分自身でいなくてはならない。音楽に忠実に踊れば、自分らしさを保てるでしょう。いつわりのない誠実さがあれば、観客はそのダンサーを受け入れてくれることでしょう」

 ヴィレラもSAB出身なのだが、父親の強い要望でいったん海軍学校に入学するも、卒業後は即座にSABに復学、1957年から1975年までNYCBに在籍した。『ルビーズ』の男性プリンシパルの振付やマクブライドと組んで初演を踊った『タランテラ』を見れば、彼が驚異的な跳躍力と飾り気のないアメリカンなオーラの持ち主だったことは一目瞭然だろう。
 楽しげな笑みを浮かべて舞台の上で軽々と飛翔していたヴィレラの残像をぬぐい去るのも、難しそうだ。
「男性ダンサーなら誰だって浮遊したい、という気持ちを持っているものです。指導者としては、もっと高くジャンプし、もっと素早くプレパレーションをし、もっと素早く飛び上がるようと声をかけるだけで十分です。男性達は全力でこのワクワクするようなチャレンジに挑みます。私がプッシュする必要はありません。音楽も、彼らのチャレンジを後押ししてくれます」

ポール・ボーズが見た、素顔のバランシン

 ボーズがNYCBに入団したのは1977年。バランシンの闘病生活が始まったのは1982年。ボーズはバランシンと直に接し、指導を受けた最後の世代となった。
「こんなバランシン語録があります。〈音楽がなければダンスもない〉。作曲家の父を持ち、ペトログラード音楽院でピアノと楽理を勉強したこともある彼は、音楽の譜面を読めただけでなく、ピアノで弾くこともできました。リハーサルする時は、あらかじめ自宅で音楽をピアノで弾いていたようです。その音楽のピアノ譜がない時には、自分で譜面を作っていたほどで、この作業を彼はなかなか楽しんでいたそうです。NYCBの資料室には、バランシンが手書きしたピアノ譜がいくつも保管されています」

 ボーズは、既存の作品に出演するだけでなく、『ヴィエナ・ワルツ(Vienna Waltzes)』の第5場「ばらの騎士(Rosenkavalier)」、パウル・ヒンデミットの現代音楽に振り付けた『カマムジーク No. 2(Kammermusik No. 2)などの創作にも立ち会った。
「彼はごく穏やかに仕事をする振付家でした。新作を振り付ける時は、考え込むようなことはなく、ごく自然に振付が生まれてきました。ピアニストと言葉を交わしたり、譜面を読み返したりしてから、私達に立ち位置を指示し、彼がステップを踊ってみせ、私達は言われた通りに動く。やるべきことを粛々とやるうちに、新作が形になっていきました」
 『ヴィエナ・ワルツ』の「ばらの騎士」の振付時には、バランシンからワルツの指南を受けたという。
「その時、初めてワルツを習いました。彼は、そんなことも知らないのかという態度ではなく、とても分かりやすく教えてくれました。私を女性ダンサーに見立て、実際にワルツを踊りました。どのように女性の背中に触れるのか、どのように上体を保つのか、パートナリングの仕方を細かく実演してくれました。先日、ローマを訪れた時のことです。美術館で大理石の彫刻を見て、息を呑みました。彫刻の手先が、バランシン直伝のワルツの手の形そのものだったのです。あの時のワルツのホールドがルネッサンス芸術に由来していることに感激しました」

そして2024年2月3日、『ルビーズ』の幕が上がる!

 来日したボーズが牧阿佐美バレヱ団で『ルビーズ』のリハーサルを始めた2024年1月22日の4日後のリハーサルの最終盤で、初めてのランスルー(全編の通し稽古)が行われた。
「今日の夕方、ダンサー達は初めて本番通りのテンポで『ルビーズ』全編を中断なしで踊りきり、良い意味で私を驚かせてくれました。彼らは貪欲で、受容力があり、チャレンジ精神に富んでいる。努力を惜しまず、課題に立ち向かう。彼らはこの1週間でみるみる成長しました。『ルビーズ』開幕まで、私達にはさらに1週間の時間があります」
 2024年2月3日15時、牧阿佐美バレヱ団公演〈ダンス・ヴァンドゥⅡ〉の幕が上がる。ボーズとダンサー達の努力の成果を見届けたい。

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