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#133 キャロルさんの奇跡講座レッスン
奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪
キャロルさんの奇跡講座レッスン133
元の講義はこちら→ https://youtu.be/ujqD3TCy70E
ハーイ皆さん♪
今日も素敵な一日を過ごしていらっしゃいますか?
レッスン133
「私は価値のないものに価値を置かない」
理論的で、物質的な事柄とはかけ離れた話をした後に、現実的な問題に立ち戻ることとは、いい考えと言えるでしょう。
高尚な世界観を語るのではなく、あなたにとってのメリットを考えるのです。
今まで学んできたことはすべて私たちにとってメリットがあるものですが、私たちはそれを認識できていなかったかもしれません(笑)
さてレッスンはズバッとこう述べます。
「あなたが人生に求めているのは、大き過ぎるどころかあまりにも小さい。」
身体的なことへの心配や、何を買うとか、見た目がどうとか、世間での評価など、今まで私たちが大切にすべきだと教えられてきたことに心を奪われると、幸福ではなく、悲しみを求めることになってしまいます。
「何てこと!私は、そうした事がすべてうまくいけば、きっと幸せになれると思ったのに!」
いいえ、そうじゃなかったんです。
「このコースは、あなたが持っているわずかなものを奪おうとしているのではない。世界の中で得られる満足感の代わりに、壮大なユートピアを提供しようとしているのでもない。」
この後に、非常に大事なことが述べられます。
「この世界には、満足というものはないのである。」
つまり形そのものが、満足できるものではないのです。
人であれ、場所であれ、物であれ、旅行でもなんでも、これまで自分が本当に欲しいと思っていたものを手に入れて、その瞬間は心が奪われたにも関わらず、次の瞬間にはまた違うものが欲しくなる、といった事を、何度経験して来たでしょう。
永久に続く満足というものはないのです。
そこで、今日は、あなたが望んでいると思うものをテストするための、本当の基準を挙げてみましょう、と書いてあります。そして、その条件を満たさない限り、望む価値は全くないというのです。なぜならそうしたものは、より多くをもたらしてくれるものの代替に過ぎないからです。
つまり、小さすぎるのです。
あなたが自分の思い通りにした時に得られるものは、遥かにもっと良いものを見えなくしているということなんです。
「あなたには、選択を司る法則を作り出すことができないのと同様に、別の選択肢を作ることもできない。だが、選択ならあなたにできることであり、まさにそれをしなければならない。
しかし、自分が下す選択からどのような法則が作動することになるのか、また自分がどのような選択肢から選ぶのかを学んでおくことは賢明だろう。」
言い換えれば、私たちが選択するとき、私たちは自分の経験を顕在化させ、創造せずにはいられないのです。いいですね?
私たちはすでに、2つの選択肢しかないことを強調してきました。お判りの通り、愛と恐れの2つです。
どんなに多くの選択肢があるように見えても、この範囲は決まっていて、これを変えることはできないのです。
57もの異なる選択肢があると思って、そのすべてへの道を自分で探ってから、最後に、もともと2つしかなかったんだと気づくのは、とっても不親切だということになりますよね!
2つしかないんです。
「選択に関連してもうひとつの親切な法則は、『あなたの選択がもたらすものには妥協がない』というものである。」「選択の結果が、何かを少しだけもたらすということはない。」
つまり、「ここから一部とあそこから一部ずつ欲しい」とか、「中間のグレーが欲しい」、「この世界が与えてくれるものと、愛が提供してくれるもの両方が欲しい」と言うことはできないのです。
それは無理です。
あなたは、すべてを手に入れるか、何も手に入れないかのどちらかです。
レッスンは「あなたが下す選択の一つひとつが、すべてをもたらすか、何ももたらさないかのどちらかである」と述べています。
言い換えれば、実相に目覚める体験をもたらすか、あるいは幻想や幻覚の中に取り残されて、実体のないものに満足できない状態でいるかのどちらかなのです。
「したがって、無から有を見分けるための基準を学ぶなら」、別の言い方をすれば、あなのの本当に望むものと全く満足を与えてくれないものを見分けるためのテストを学べば、より良い選択ができるようになるでしょう。
ここで、私たちが選択する上で役立つテストを紹介しましょう。
「第一の基準は、もしあなたが永続しないものを選択するなら、あなたが選んだものは無価値である、というものである」
一時的な価値には価値がない。時間は、実在する価値を決して奪うことはできない。」
一時的なものというのは、もちろん時間と関係する事柄のことを言っています。
「衰えて死んでいくものは、もとより存在していなかったのであり」、
お分かりですね?それは幻想であり、現れては消え、現れては消えするもののことです。
「それを選択する者には何ももたらさない。それを選んだものは、自分の好みだと思う形をまとった虚無に、騙されている。」
「次の基準は、もしあなたが他の誰かから何かを奪おうとするならば、あなたの手元には何も残らない、というものである。
この理由は、すべてものに対するその人の権利を否定するとき、あなたは自分自身がもつ同じ権利を否定することになるからである。」
あなたが他人に与えるものが、自分が得ることになるものである、という大いなる法則がありましたね。
「だからあなたは、自分が真に所有しているものを認識せず、それらがそこにあることを否定する。」
何かを欲しがるということは、暗黙のうちに「私は持っていない」と言っていることになるのだ、ということですよ。
「他人から奪おうとする者は、その人の損失が自分に利益をもたらすという幻想に惑わされている。」
しかし、あなたが誰かから何かを引き出そうとするとき、つまり、彼らが損失を被ることを望むときは必ず、あなたも失うことになるのです。
さて、次に考えなければならないのは、そもそもなぜその選択が自分にとって価値あるものなのか、ということです。その選択の何があなたの心を惹きつけているのか。その選択は何のためにあるのか。
「ここが、最も欺かれやすいところである。」と言っています。
なぜなら、エゴは自分が望んでいるものを認識できず、自分が知覚している真実さえも語ろうとしないからです。
「なぜなら、エゴは自分のゴールが汚れたり錆びたりしないように、周囲に光輪を保つ必要があるからである。そしてそれによって、あなたの目にはエゴが〈無罪潔白〉と映るようにしておく。」
言い換えれば、エゴが私達の味方だと思わせておく必要があるのです。
では、エゴのゴールとは何なのか、と言われるかもしれません。
そのゴールとは、あなたを破壊すること、あなたを苦しませること、あなたの死であり、対立させ、罪悪感を抱かせることです(笑)。
誰がそんなものを欲しがるでしょう?
しかし、それがエゴがあなたに望んでいることなのです。
テキストに、エゴの占める範囲は、あなたがエゴのゴールを達成しようとすれば疑ぐり深くなり、あなたがエゴの支配から自由になる準備をしようとすれば、凶暴となり得る、とあります。
しかし、このように素敵な無垢なもののように見せようとするカモフラージュは、騙されたい人たちを騙すだけの薄っぺらいうわべだけのものです。
先に述べたようなひどいそのゴールは、それを見つけようとすれば誰でもわかるような、あからさまな代物です。
「ここで欺瞞は二重のものとなる。なぜなら、騙されている者は、自分がただ何かを得られなかったと知覚するだけでなく、エゴのゴールを達成したと思い込んでしまうからだ。」
さあ、よく覚えておいてください。
エゴのゴールを達成するということは、常に罪悪感を抱く結果となることを。
レッスンはこう述べます。
「しかし、エゴの光輪を自分の視野のうちに鮮明に保とうと努力するにも関わらず、私たちは依然として、その先端の汚れや錆びついた中核を知覚せざるを得ない。」
ここが悲しいところです。
「私たちが犯してしまう本来何の結果も生み出さない過ちが、私たちには罪のように見える」
私たちには幻覚がリアルに見えるので、本当に自分や他人を傷つけてしまったように思えてしまうのです。
このように感じるのは、エゴの汚れを自分自身のものとして見ているからです。
つまり、私たちはこのエゴを自分だと思い込んでいるのです。
錆とは、自分自身の中にある深い無価値感のしるしです。
私たちは皆、自分は価値のない人間であり、何か問題があるのだと思い込むようになりました。私たちは卑小な存在でいるべきだと感じているのです。
「エゴのゴールを温存し、エゴに仕えようとする者は、(その者自身の見方によれば)「間違いを犯す」のではない。
罪が単なる間違いに過ぎないと信じることは誤謬だと、その導きは教える。」
もしそんなことを信じ込まなかったなら、私たちは苦しまずに済んだでしょう。
そして自分の選択が間違っていたことを認識し、前に進むことができたでしょう。
「次に取り上げるのは、選択の基準の中では最も信じがたいものである。
その明白さが、何重もの曖昧さで覆われているからである。
この基準は、もしあなたが自分の選択に対して何らかの罪悪感を抱くようなら、あなたは真に選ぶべき二つの選択肢の間にエゴのゴールを入り込ませている、というものである。」
つまり、あなたはエゴのプログラミングに従った行動をとってしまっているのです。「愛」と「恐れ」という2つの選択肢しかないことを認識しない限り、それが続きます。
そして「(エゴの味方についている)自分が選んだと思っている選択肢が恐ろしいものに思えたり、これほど危険なものが実際には無であるはずがないと思えたりする。」
幻覚は実質的に危険なものではありません。ただ私たちが恐れを抱いているだけなのです。
「すべてのものは、価値があるかないかのどちらかでしかない。追求に値するか、それとも値しないか、完全に望ましいか、それとも手に入れるためのわずかな努力にも値しないか、どちらか一つである。
だからこそ、選択は簡単である。
複雑さとは、決断は難しくないという非常に単純な事実を隠す煙幕に過ぎない。
このことを学ぶことで、あなたは何を得るだろうか。
それにより容易に単に苦痛なく選択できるようになるだけでなく、はるかに多くのものを得るのである。
天国そのもの、全一性、そして愛そのものが、両手を空にして心を開いた者たちによって到達されるものである。
彼らは何も持たずにやって来て、すべてを発見し、すべてを自分のものと宣言する。」
私たちは今日、この状態に到達しようとします。
自己欺瞞、すべての罪悪感やエゴを脇に置いて、価値あるもの、本当のものだけを大切にしようという誠実な意欲をもってそれを行います。その価値あるものとは、常に、愛と赦し、寛大さ、全一性に関係するものです。
15分ずつ2回の練習時間を、このようにして始めます。
「私は無価値なものに価値を置かない。
幻覚の中にあるすべてのものに価値を置かない。
価値のあるものだけを見つけたいので、それだけを追い求める。
愛と赦し、それだけが私が本当に望むものです。」
「その後、天国の門に到達するすべての者を待っているものを、受け取りなさい。
重荷を担わずにそこに近づけば、門の扉は速やかに開く。」
そうです。
もしあなたが、不平や恐れや裁きといった、不必要な重荷を集め始めたり、非常に難しい決断を迫られていると思ったら、すぐにこの考えで対応してください。
「私は無価値なものに価値を置かない。価値あるもの、愛と善に満ちたものはすべて私のものなのだから。」
とっても素晴らしい一日を過ごしてくださいね♪
ではまた!
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