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キャロルさんの奇跡講座レッスン #70

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖

キャロルさんの奇跡講座レッスン70
元の講義はこちら→ https://youtu.be/Yh5hnHf8POI

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ハローアゲイン、親愛なる皆さん♪
もうレッスン70なんて、いつの間にこんなに進んだのかしら!
さて今回は、

「私の救済は私の中から訪れる」

「すべての誘惑は、この考えを受け入れないことにほかならない」という所からレッスンは始まります。

私たちは、幸せや、愛され、安全だと感じることは、自分以外の、他のあらゆるものや人からもたらされるならば、受け入れることが出来ます(笑)

そして、罪悪感も、自分以外のあらゆる場所に存在すると考えています。

私たちは、罪悪感も救済も、自分自身の心の中からやって来る、言い換えれば自分自身の愛の場所に戻ってくるものだとは考えていません。

そしてレッスンは、罪悪感はあなたの心の中でこしらえた発明品であると見なすよう求めます。

罪悪感はあなたの心の中の発明品であるため、救い、あるいはその罪悪感を手放す方法は、同じ場所になければなりません。

そして、一見、その代償のように見えるものは、最終的に、自分の外には自分を救うものはなく、自分の外には平和を与えるものはなく、自分の外には愛と安全を感じさせるものはないこという悟りです。

しかし、ここが素晴らしい点ですが、それはまた、何もあなたを傷つけることはできないし、何もあなたを邪魔することはできない、何もあなたを動揺させるものは無いし、何もあなたの前に立ちはだかることはできない、ということを意味します。

なぜなら、今日の概念は、愛に満ちた神の、至高の強力な表現であるあなた、あなたのために、あなたをあなたの宇宙の責任者に据えるものだからです。

これは部分的に受け入れることのできる役割ではありません。
自分の人生に起こることに全責任を持つか、持たないかです。
ここに中途半端な基準はありません。

それからレッスンは、私たちの心の中に罪悪感がある理由が、明確でない可能性があることを示唆しています。

私たちは、罪悪感があるのを、ただ他人のせいだと思っていますが、そこに罪悪感があることは誰もが知っています。ということは、必然的に、救いもまたそこにあるという理解をもたらします。

もし治療薬があるとしても、病気があるところでそれを持っていなければ、無意味です。
もしインフルエンザに罹ったとしても、治療薬がどこか別の場所にあるなら、何にもなりませんね。

治すべきものがある場所に、それを治す性質を持つものを持って来なければなりません。

レッスンは、「神の意図は、癒しと病が一緒になることであり、私たちの目的は、絶対にそうならないように取り計らうこと」だと言います。私たちがどんなに狂っているのか、信じられますか(笑)?

だから今日、私たちの救いのため、私たちの癒しのため、私たちが何者であるかを知ることを望む神の意志と、私たちの意志は実は同じであることを理解する練習をしていきます。

愛は私たちが癒され、幸せで平安であることを望んでいます。そして私たちは病気や惨めさ、苦しみは望んでいません。そんなのを望むなんておかしいでしょ?

今日の概念を受け入れることで、私たちはようやく、常に戦闘状態にあるのをやめて、神と合意するのです。

神/愛は私たちが病気や苦しみや欠乏に陥ることを望まないし、私たちも望んでいません。神は、私たちが癒されることを望んでいます。そして、私たちも同じ気持ちです。


さて、2回の長い練習時間が求められています。世界を救済するんですから、10分とか15分のほんの短い練習時間を2回なんて、大した事じゃないと思いませんか?単なる裏庭の掃除のような仕事ではないんですからね。
いつでも好きなときに練習時間を取って良いのですが、これは今後もしばらく続くプロセスです。

練習時間を、その日の概念を繰り返すことから始めましょう。

「私の救いは、私、私の決断、私の意識の集中、私の願望、何が本当にうまくいって、何がうまく行かないかについての、私の考えから生まれる」 

言い換えると、

「私の救い、私の家への帰り道は、私の決断次第である。私の決断に影響を与えるのは、他の誰でもない」

そして、目をつぶって数分間、これまで私たちが救いを求めてきたあらゆる場所を見直すことに専念します。

「救い」これをこのように言い換えてみましょう。

「自分が愛されていることを疑う余地もなく知ることであり、自分が愛すべき存在であることを知ること、そして全てが大丈夫だと知ること」

私たちは、他の人たちに自分の価値を求め、財産に自分の重要性を求めてきました。

私たちは、自分自身に力を感じるために、さまざまな状況や攻撃に頼り、また、あらゆる種類の方法で自分が大丈夫だと感じられるような観念を持とうとしてきました。

そう、私たちはあらゆる場所を探しました。

そして、それがうまくいかなかったことに、気がつきましたか?

そうですね。
私たちは、どの場所を探しても、愛され、安心して、大事にされ、支えられ、抱擁されるという経験を見つけることができませんでした。

私たちの計画がいかに失敗したかを知ることは、本当に重要なことなのです(笑)
失敗したことを認識できたら、こう言いましょう。

「私の救いは、これらのもの、こうした反映のどれからも得られない。結局のところ、世界は私の思考の反映であり、私の思考の反映はどれも、救いを与えるものはない」

鏡に映ったものが、あなたに何かを供給してくれたことがあるでしょうか。
私の家にある鏡で、そんなことをしたものはありません。

私の救いは、私は愛されていて、安全で、完全だと感じることができるのは、私の中からであり、私から来るものしかありません。

それは私がどこに注意を向けるかと、私が心から正直にそれを望んでいるかということの関数だからです。

そしてレッスンは今、再びこの光に到達しようと呼びかけます。雲の中でそれを見つけることはできません。雲とは、人々、所有物、状況、自分に抱いている観念などのことで、私たちはこれらの中に救い探そうとして来たけれど、そこにはなかったもの達です。

あなたは雲を突き抜けるしかないのです。
それにはただ、「そうそう、この雲はここにある」と認め、このように言うだけです。

「しかし、私はそれらに魅了されたり、催眠術をかけられたりするつもりはない。私は、確かに形の世界に生きているが、形が実体のあるものを提供してくれるとは思っていない。

私は自分の世界に実体をもたらすつもりだが、世界が私に実体を与えてくれるとは思っていない」

安全で幸せになれるという幻想を抱いていたのに裏切られたのだから、失望しかない雲の中をぐるぐる回り続けるのは嫌でしょう(笑)

だから、そんな雲の中をグルグル回るのはやめて、雲の中をまっすぐ光に向かって進んでください。雲の中が居心地よいと感じていたとしても。

そして、このコースの著者が私たちに語りかけているように、あなたはそれを擬人化することができるのです。

もちろん概念のままでも構いませんが、もしあなたがその方が良いと望むなら、力強く愛情深く、あなたの味方で、あなたの幸福のために100%献身してくれるものが、あなたの手を握って、この雲の中を導いてくれると考えることが、あなたの助けになるでしょう。

そしてレッスンは、これはファンタジーなんかではない、と断言します。

ですから、短い練習時間には、
「あなたが思考を貫くことを決めたら、それを邪魔するものは何もない、ただ、それをしないというあなたの決断だけが、邪魔をする」ことを頻繁に思い出すように。

あなたは外部からの干渉を一切受けないのです。
干渉されることはないのです。
ただ、あなたが重要だと決めたことが、あなたにとって重要であり、どこに注意を向けるかということが大事です。

そう、世界の救済を任されているのだから、自分に言い聞かせなさい、「私の救済は私の中からやって来る。私の外には私を引き留めるものは何もない」と。

私の決断、私の注意、私が重要だと決断したことが、世界の救いであり、私自身の救いなのです。

このレッスンは、進むにつれてますます、どんどん素晴らしくなっていきます。最高ですね!

365回あるうちの、70番めです。
残りの回も楽しみです。

では、また!

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