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#130 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

キャロルさんの奇跡講座レッスン130

元の講義はこちら→  https://youtu.be/KRp0yTYMPGQ


ハロー皆さん♪
今日は、二つの世界について論じてきた前回と前々回からの結論とでも言うべきレッスンです。

レッスン130
「2つの世界を一度に見ることはできない。」

「知覚には一貫性がある」

「あなたが見ているものは、あなたの思考を反映している。」
覚えていますか?
このシリーズのレッスンの最初の50回で、思考と視覚が同一であることについて、多くのことが語られました。

そして、思考は、あなたが何を見たいかという選択を反映するものである、と続きます。

「というのも、あなたは自分の目に見えるものは本当にそこにあると信じているので、自分が価値を認めるものであれば、それを見たいと必ず望むからである。」

「誰も、自分の心が価値を認めていない世界を見ることはできないし、自分が見たいと信じているものを見ないこともできない。」

そのように、私たちは素晴らしく、言葉で言い表せないほど創造的な力を持つ存在であり、そうであることを止めることは絶対にできません。

ですから、何かに注意を向けていて、それが現状世界に現れないということはありえないのです。私たちはその仕事の間に休憩できないんです(笑)いつもそんなふうにはたらいているのです。私たちはクリエイターであることを避けられないのです。

しかし、誰が本当に憎しみと愛情を同時に抱くことができるでしょうか?
「実在してほしくもないのに、それを望むことができる者などいるだろうか。

そして、自分が恐れている世界なのに、それを見ることを選ぼうとする者がいるだろうか?」

このレッスンでは述べられていませんが、私は次のことを付け加えたいと思います。
このコースを与えてくれた存在は、私たちがこの美しい愛の世界を恐れていることを知っています。私たちが愛を恐れているのを知っているのです。
なぜなら、愛とは分離のない一体感を意味するからです。

私たちは、他のものから分離していることが自分のアイデンティティになると、最後の最後まで信じ込んでいるのです。

だから、私たちの中には、愛に関連した素晴らしい響きを持つものに触れると、自分は全く存在しなくなるかもしれない、宇宙のシチューに飲み込まれ、自分でなくなるかもしれないと考える部分があるのです。
でも、そんなことはありません。

それは、ごく一般的に深く抱かれている恐怖ですが、根拠はありません。
実際のところ、一体性向かえば向かうほど、自分自身がユニークでありながら、分離した存在ではないことを、より強く感じるようになるのです。

ですから、コースは私たちが恐れを抱いているせいで愛が見えなくなっているということを理解しているのです。
だからこそ、このコースがあるんです。

「恐れを抱けば必ず、恐れている対象は見えなくなる。」もしあなたが愛を恐れているなら、この美しい世界を見ることはできないのです。

「愛には知覚が伴う」、言い換えれば、見るということと、体験するということは、密接に関係があるということ。

「恐れはそこにあるものを闇に隠して見えなくしてしまう。
それでは、恐れはいったい何を世界に何を投影できるのだろうか。

闇の中で実在する何を見ることができるというのだろうか。」何も見えませんね。

「真理は恐れの陰に覆い隠され(つまり、見ることができません)、残っているのは、真理だと想像されたものに過ぎない。」

しかし、恐怖のパニックから生まれた盲目的な想像の中の何が、実在のものでありえるだろうか。
そうしたものが自分に見えるようにするために、いったいあなたは何を望んでいるのだろう。
そのような夢の中にある何を、あなたは持ち続けていたいと思うのだろう。

あなたが見ていると思うもの一切を作りだしたのは、恐れである。」私たちが見ているものは幻覚であったことを思い出してください。

「あなたが信じているあらゆる分離、すべての区別、そして限りない相違が、この世界を作り上げている。
だがそうしたものは、存在しない。

愛に敵対するもの(分離や、罪悪感)が、それらをでっち上げただけである。しかし、愛に敵はあり得ないので、それらには原因がなく、実体もなく、」その創造力において、愛に匹敵するものはない。だから、原因もなく、存在もなく、もたらされる結果もないのです。

「この敵は価値あるものとして大切にされることはあっても、実在しないことに変わりはない。あらゆる形の愛の敵は、探し求めることはできるが、見つけることはできない。

今日、私たちはそれらを探し求めることはしないし、見つからないものを探して今日を無駄にすることもしない。」

別の言い方をすれば、私たちが真理でないことを望んだとき、つまり分離の実験をしていたとき、私たちは眠りに落ちたのです。
というのも、創造的な存在には実行不可能なことをやってみようと考えてしまったからです。
私たちはそれを幻覚と呼んだり夢と呼んだり、眠りに落ちると言ったりします。

しかし、いずれにせよ、それは実体のあるものではありません。

私たちが何かをでっち上げ、それを見て死ぬほど怖がる以外に、何も起こっていないのです。

「どのように重複することもない2つの世界が、両方とも一度に見えるこということは不可能だ。

一方を求めれば、もう一方は消えてしまう。
ただ一つしか残らない。
この二つがあなたの選択の範囲であり、それを踏み越えて決断できるものはない。」

それがあなたが持つ2つの選択肢です。
実在と非実在の間で選ぶか、実相と幻覚の間で選択するか、それだけのことです。

「今日、私たちは、妥協が不可能なところで妥協しようとはしない。」
目覚めた実相の愛の状態と幻覚の間に妥協はあり得ません(笑)
2つは等しい立場にはありません。

あなたに一つの世界が見えているということは、あなたがすでに、その対極にあるもう一つの、それ自体で完結している世界を選択しているという証拠なのです。

今日私たちが学ぼうとしていることは、「2つの世界を同時に見ることはできない」という学びにとどまらず、「あなたが見る世界は、その世界を見るあなたの考え方と一致している」ということも教えています。

その世界は一つの感情から生まれたものであるからこそ、すべてがひとつのピースなのです。
つまり、幻覚は恐れという感情から生じている。実相は、愛と呼ばれるただひとつの〈在る〉ものから生じているのです。

今日は6回ずつ、真理が真理まま保たれていることに感謝の気持ちを込めて、妥協と疑いを終わらせて、それらをすべて超えていくための概念の練習に、5分間を捧げましょう。

私たちは、1000の無意味なものごとを区別をすることも、実在しないものを練習に持ち込もうとする誘惑も許しません。幻覚の一部を目覚めた状態に持ち込むこともしません(笑)

私たちの心を、本当に在るものを見つけ出すために捧げます。

自分の力を超えた強さが与えられるように願い、自分が探し求めているのが何であるかを認識することによって、もう一つの世界の探索を始めます。
「あなたは幻想を望んではいない。」これは幻覚のもう一つの呼称ですね。

「この5分間の練習に臨むときは、この世界のつまらない宝をすべて手放し、両手を空にしておきなさい。」
あなたが大切にしているもの、重要だと思うもの、あなたの幸福のために必要だと思うもの、すべてです。

次のように言いながら、があなたを助けてくれるのを待ちます。
愛があなたを支えてくれるのを待ちます。

「二つの世界を同時に見ることはできない。
の与えてくれる強さを受け入れ、愛の強さが私に与えられるのを受け入れ、この世界にいかなる価値も見ないことで、私はようやく自由と解放を見出すことができるだろう。」

神/愛は、そこにいてくれるでしょう。あなたが呼び出した偉大なゆるぎない力によって、この大きな一歩を共に歩み、感謝の念を知覚できる形で現してくれるでしょう。
これはあなたが見ることができるものなのです。私たちはまだ形の世界にいるからです。
愛のある世界にやってきた時、それを実相の世界と呼ぶんです。

「それはまだ知覚であるが、以前に自分の目だけで見ていたような見方とは違った種類の見方なので、あなたはそのとき自分が見るものを疑うことはないだろう。
そして、この選択をしたとき、神の強さがあなたを支えていたことを知るだろう。

今日は、誘惑が生じたときには、単に自分の選択の限界を思い出すことにより、簡単にそれを退けよう。」

非実在か、実在か。虚偽か真理か。恐れに駆られるのか、愛に駆られるのか。

あなたが見ることができるのは、そのうちの1つだけです。

「知覚は、一貫してあなたの選択と一致しているので、」恐れか愛か、「地獄か天国かは、1つのものとしてあなたにもたらされる。」

それらはパッケージになっているんです。
恐れと罪悪感、そしてこの世界はひとつのパッケージです。愛、一体性、そして至福はやはりひとまとまりのパッケージなんです。

「地獄のほんの一部でも実在のものとして受け入れるなら、あなたは自分の目を呪い、自分の視覚を損なったのだから、あなたが見るものはまさに地獄となる。」

しかし、天国への解放は、あなたの選択の範囲内にあって、まだここに残っています。
あなたはいつでも、地獄が見せるものの代わりに、愛を選ぶことができます。

「地獄のどの一部がどんな形で現れてくるとしても、それに対して言うべきことは、これだけだ。」

2つの世界を一度に見ることはできない。
私は解放と自由を求めているのだから、これは私が望むものの一部ではない。

そう、それだけです。

素晴らしい練習をして下さいね!
何が起こるか楽しみです。

バ〜イ♪


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