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#128 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

キャロルさんの奇跡講座レッスン128

元の講義はこちら→ https://youtu.be/o0rtpBezNFo


ハロー皆さん♪
レッスン128にいらしてくれてありがとう!
今回は大作です。
「私が見ているこの世界には、」これがキーワードです。「私が見ているこの世界には、私の望むものは何もない。」

そして、真っ先にこのように述べられます。
「あなたが見ている世界は、あなたに必要なものを何も与えてくれません。

あなたにとって何らかの使い道があるものも、喜びをもたらしてくれるものも、まったくありません。」

なぜかというと、世界には本来、何の実体もないからです。本来、この世界は創造的なものではないのです。それはいわば動く絵のようなものであり、壁に飾られた絵のように、実際には何もできないのです。

「このことを信じなさい。そうすればあなたは積年の不幸や、数え切れないほどの失望、そしていずれ絶望の灰と化す希望の数々から救われるでしょう。」
私たちは、こうしたことがうまくいくことを願い続けていました。

「もしこの世界を捨てて、その狭い視野や卑小な慣習を超えて飛び立ちたい者なら誰でも、この概念を真理として受け入れなければならない。」

これはもちろん、世界を捨てるといっても、飛び降りて自殺するわけではないですよ。これは、私たちがまだこの形態の世界にいる間ですら、異なる世界を垣間見ることが可能だということよ。

「この世界であなたが価値を置いている一つひとつのものは、あなたを世界に縛り付ける鎖に過ぎず、これ以外には何の役にも立たない。」というのも、すべてのものは、あなたがそれに与えた目的を果たすことしかできないからです。

そしてこの世界であなたがそれらに与えた目的は、隠れ家を提供することです(笑)そしてそれは、新たな別の目的を与えるまで続きます。

「この世界の中であなたの心に真にふさわしい唯一の目的は、あなたが希望のないところに希望を見出そうとしてぐずぐずせず、ただそこを通り過ぎていくことである。

これ以上、惑わされてはいけない。あなたの見ている世界には、あなたの望むものは何もない。」

この世界さ恐怖と罪悪感でできています。そこは、いわば、私たちの心の中の悩み・苦しみが吐き出された投影の世界なのです。私たちが普段住んでいるこの世界の原材料は、恐怖と罪悪感なのです。
そんな世界が、私たちが望むものを提供してくれるとでも思いますか?

さあ、今日こそ、ここで救済を認識するときに心に巻き付けている鎖から逃れましょう。だってここにはもともと、救済はないのですから。

救済とは、我が家に帰る道を見つけることでしたね。ここに留まっても、我が家に帰る道を見つけることで出来ないのです。

「というのも、あなたは自分が価値を置いているものを、自分で知覚している自分自身の一部と見做すからである。
あなたが自分の目に映る自分の価値を高めようとして追求するものはすべて、あなたをさらに制限し、あなたの真の価値をあなた自身から隠し、あなたの自己についての真の自覚へとつながるドアに、かんぬきをもう一本加えるだけである。」

言い換えれば、あなたが自分自身のことをちっぽけな身体、人格、エゴだと思っている限り、私たちはこの世界を、自分を特別なものにするための場所、その中でどうにかやっていくための場所、何とかして安全であろうとする場所、そして注目してもらおうとするための場所、そして、なんとかこのすべてをうまくいかせようとする場所としか考えません。
ああ、絶望的(笑)!

「肉体中心の考えに関するものごとによって、(例えば他の肉体を誘惑するためのエサに使うような・笑)救済に向かうあなたの進歩を遅らせてはならない。」

これは、それが悪であるとかいう問題ではなく、それは何の真理でもないという問題なのです。そのどれもが真理ではないものに、愛や喜びや平和を見出すことはできません。

「また、この世界にあなたの望む何かがあると信じたい誘惑に屈してはならない。ここには大切にすべきものは何もない。

ここには、値打ちのあるものは一つもなく、一瞬でも救済に対してためらいや疑いを抱く理由としてふさわしいものも一つもない。無価値なものは何も提供しない。(私たちが熱心に待ち望んでいる)価値についての確信は、無価値なものの中では見つからない。

 「今日は、私たちが世界に付与してきたさまざまな価値についての考えを、すべて手放す練習をする。」

つまり、私たちがこの世界は何かをこんなふうに私に与えるべきだ、と考えていることを手放すということです。 

この世界は私たちに住むところを提供し、食べるものを与えているように見えていますが、そうしたことはすべて、実際は私たちが世界に対して与えているものが目に見える形で顕現しているのであり、この世界に豊かさを与えるのは私たちの経験であり、またその逆に世界に欠乏を経験させるのも、私たちの心の中にあるものが形として現れた結果なのです。

この点に関しては、何度も強調する必要があります。

「私たちは、世界のさまざまな側面や位相や夢の数々に付与してきた目的を取り去って、世界を空にしておく。

私たちの心の中に、目的がないままの世界を保持し、自分たちが世界に望んでいるすべてから世界を解放する。」

私たちはこの世界にいるけれど、それが何のためにあるのか全然わかっていませんね。ですから、

「世界から自由へと通じるドアを閉ざしている鎖をはずし、価値のないものや卑小なゴールを超えて」進みましょう。ここでは私たちはちっぽけな存在となっています。もうそんなのは、うんざりです。

私たちはこの世界にいても、この世界のものではありません。そんな小さなものではないのです。

「少しの間、動きを止めて、静まりなさい。そして、あなたがどれほど高くこの世界から離れて昇っていくかを見なさい。」

これは私の方が世界より優れている、といった物の見方とは異なります。これは、世界があなたを縛り付けている力を緩めるということです。世界はもう、あなたに命令することはできません。

「あなたが自分の心から鎖を外し、心が自らのくつろげるレベルを自然に見つけるままにするとき、あなたがどれほど高くこの世界から離れて昇っていくかを見なさい。心は、少しの間、自由になれたことに感謝するだろう。」

心はもう縛り付けられて、あれをしなきゃ、これはしちゃいけない、安全でいなくては、などと悩む必要がなくなります。

「心は自らがどこに属するのかを知っている。ただその翼を自由にしてやりさえすればよい。そうすれば、それは確信と悦びのうちに飛翔し、自らの(常に愛するという)聖なる目的につながるだろう。

心が正気と自由と愛を取り戻せるように、創造主のもとで心を休息させなさい。

今日は、あなたの心に10分ずつ3回の休息を与えます。

その後で目を開いた時には、あなたは自分の目に入るいかなるものも、それ以前に見ていたときほどに高く評価することはなくなっているだろう。

あなたが自分の心から鎖をはずすたびに、世界を見るあなたの視点全体が、少しずつ変化していく。この世界は心が属する場所ではない。」

つまり心は私たちによって、自らの居場所ではないところに意識を向けることを強いられているのです。

「そしてあなたの属するところは、心が自らの居場所とするところであり、世界から解放されたときに心が休息に行く場所である。

あなたのガイドは信頼できる。あなたの心を。そのガイドに向かって開きなさい。じっと静まり、休息なさい。

さらに、1日を通して、あなたの心を保護しましょう。

そして、自分がこの世界の何らかの側面や形象に価値を見ていると思うときには、自分の心にこの鎖をかけることを拒否し、静かな確信を抱いて自分自身にこのように言おう。

これは私の歩みを遅らせる誘惑とはならない。

私が見ている世界には、私の望むものは何もない。

とても重要な、尚且つ奇妙に聞こえる概念ですよね。でも、もう少ししたらきっと慣れてきますよ、ウフフ。

ではまたね♪

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