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キャロルさんの奇跡講座レッスン #77

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖

キャロルさんの奇跡講座レッスン77
元の講義はこちら→ https://youtu.be/m9xL2zZRICs


皆さん、こんにちは!これから始めるレッスンにおいて、皆さんが最高の体験をするのを願っていますよ⭐︎

レッスン77
「私には奇跡を受けとる資格がある」

さて、これから進めていく前に、奇跡とは何かを知っておいた方が良いかもしれません。

ビル・セットフォードはかつてこうコメントしました。「奇跡講座のどこにも、奇跡に関する定義が述べられた一文がないなんて、まったく奇妙なことだね」と(笑)
ホントにあり得ない話ですが、実際そうなんです!

そして彼はこのようにも言っていました。奇跡は私たちの知覚におけるシフトだと。私たちが愛のプレゼンスを知ることを可能にしてくれるような、物の見方におけるシフト、私たちが何を望むかが変化することだと。

私たちの通常の思考は、不平不満や判断に占められていると前にお話しましたね。そういったものは遮断しましょ!

そう、奇跡とは心の変化のことです。
私たちは愛であり、愛は常にここにあり、これが物語の終焉だということに確信を持てるようにしてくれる、私たちのゴールの変容なのです。

さてレッスンはこのように始まります。

「もちろん、あなたには、愛にあふれた人生観を持つ資格があります。だって、あなたは愛だから。あなたは奇跡を受け取り、差し出すでしょう。単純に言って、あなたとは、いわば、愛を与え、受けとるプロセスとも言える存在なので、愛を受け取って与えることは当然なんですよ。」

それからさらに、これがとても単純であること、実際これがあなたのアイデンティティであること、これはあなたのアイデンティティのお祝いであると、レッスンは述べています。

そしてきっぱりとこう断言しています。
「あなたが奇跡を要求する権利は、あなたが抱く自分自身についての幻想の中にはない」
それはあなたのエゴとは関係ないし、あなたが抱いている自己についての概念、例えば私は賢いとか、良い両親に恵まれたとか、山登りに成功したことがあるとか、そんなこととは一切関係ありません。

またそれは、まるで自分一人で何かが出来ることが可能であるかのように、あなたが何かを自分の力でやってのけたとする、魔術的な力とも何の関係もありません。

またこれはどんな儀式とも、または昨日話したような、あなたが自分で作り出したどんな法則とも何の関係もありません。

奇跡は、あなたの真実の姿とだけ、関連しています。それは私たちに本来備わっているものだからです。私たちの中に組み込まれているものです。見えずとも、神もしくは創造主に内在しているものです。暗黙の了解事項なのです。

そしてこれは神の法則により、確実に保たれ、保証されて、約束されています。それがあなた自身のものだからです。

今日はこの奇跡を受け取るために、自分自身についての真実に注意を傾けます。

私たちには、この愛の体験が保証され、約束されています。私たちのいる場所はそこであり、それが私たちの姿です。

もし贈り物が私たちの周りを取り囲んでいたとしたら、私たちは、それを取り上げて開けばいいだけだと、レッスンは言っているんですね。

ですから、これはあなたが奇跡への権利を取得するために何かしなければならないという事ではありません。
ただあなたであることが、奇跡への資格です。
レッスンはあなたがその愛を経験できるのだから、それ以下のもので満足しないよう求めています。愛はそこらじゅうにあるんですから!

さて、長いほうの練習時間は、いつものように15分程度、確信を持って自分にこう言い聞かせます。
「私は奇跡を当然受けとる資格がある」

あなたは実際、何かをお願いしているわけではありません。これはどちらかというと、自分がどんな存在であるかという声明です。

これは、他の誰かに与えられることによって、あなたの分の愛が減るといったような、ひとりから取り上げてもうひとりに与えられるようなものではありません。

この世界の法則に従うことがないように。
この世界の法則は、「もし私があなたに何かをあげたら、私の所にはもうそれが無くなっちゃう」と言うでしょう。この世界の法則は、原則的に「あなたが与えるものを、あなたは失う」というものです。
もちろん神の法則のもとでは、「あなたが与えるものが、増大していく」のです。

そして静かに、あなたの要請が受け入れられたという確信が訪れるのを待ってください。

レッスンに「あなたは救済を求めた」と書いてありますが、これは「私にはそれがないから、お願いします」という意味ではありません。これは、「あなたは家に帰ってきた」と宣言しているのです。これは、神の意志がなされるのを求めているのです。というか、神の意志がなされるのを求めているわけでもありません。あなたは愛される存在であるという自分のアイデンティティを尋ねているのです。

あなたは真実でないものや、ここに無いものを求めているのではありません。
あなたはただ、自分についての事実を述べているに過ぎません。

一体どうして、自分に関する事実を”要請”しておいて、それが叶えられないなんてことがあり得るでしょうか!フフフ!おかしいでしょう!

ですからここに疑いや不確実性が入り込む隙間はありません。私たちは単に、自分自身について事実であることが、私たちに知られるようにしたいのです。そこに無いものを求めているわけでは無いのです。

短いほうの練習時間には、
「もちろん、私には奇跡を受けとる資格がある」と繰り返します。
奇跡とは、私のこと。
私は愛が表現されたもの。
私とは愛の表現だと自覚するのは私の権利(笑)

さあ、最後の段落にはこう書いています、
「必要な時は、必ずこれについて考えなさい」

それはどんな時がお分かりですね。不平不満があなたの心を再び掴んだ時ですね。評価・判断がまたしても首をもたげた時ですね。

あなたはもう、エゴが奇跡を発明したなんてこと、信じていないわけですから、不平不満に意識を向ける代わりに、そこにある愛への権利を自分が持っていることを思い出すだけでいいんです。

さて、一番最後にこう思い出すのを忘れないように。

「私は奇跡を不平不満と取り替えたりしない。

「私は愛を体験する能力を、暗くて怯えた心と取り替えるなんてことはしない」

「私は自分に属するものだけを望む。愛に満ちた体験だけが私に属するもの。神/愛が、私の権利として、愛の体験を創造した」

「愛の偏在を私は体験しなくてはならない」

今、現在形で。これは私という存在の本質に内在しているのだから。

今日も素晴らしい練習の時を過ごしてくださいね!
あなたは自分が探してきたすべてであることをわ思い出してね。

今日はこの辺でさようなら♪


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