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#127 キャロルさんの奇跡講座レッスン
奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪
キャロルさんの奇跡講座レッスン127
元の講義はこちら→ https://youtu.be/Zw18dabudZ8
ハロー皆さん♪今日もまた集まりました!
私たちが今日学ぶのは、
レッスン127「神の愛のほかに愛はない。」
きっとあなたは、愛にはさまざまな種類があり得ると思っていますね。こんな愛、あんな愛、ある人に対する愛と、別の人に向ける愛は違うというように、様々な種類の愛がありえると考えています。
あなたの妻に対する愛、子供、彼氏、お隣さんに向ける愛、先生や、海外に住む誰かに対する愛情など、色々な愛があると思っています。
レッスンは、「No, 愛はひとつしかないよ」と言います。
「愛には分離した個々の部分はなく、程度の違いもありません。種類も次元もなく、相違も区別もない。終始一貫して変わることがなく、人や状況によって変化することもない。それは、神のハート/中心であり、神の子のハート/中心である。」
さて、もちろんエゴはこの考えが大嫌いです。
エゴの目的は、この人は愛するにふさわしい、あの人は相応しくないといったように、全てをバラバラに分離することだからです。
そしてもちろん、自分がそのリストのトップにいたがります。自分が全てにおいて一番特別な誰かでありたいのです。
でもね、本当にレッスンの言っている事を経験すれば、これがこの概念が伝えていることの意味すべてが理解できるんですよ。
ここで言っているのは、私たちが通常経験するものとは全く違います。私たちが体験しているのは愛というより、執着です。
「愛が変わりやすいと考えている者には、愛の意味は曖昧である。変わりやすい愛などあり得ないということが、その人にはよくわかっていない。
だから、その人は(そして私たち全員が)ある時は愛し、ある時は憎むことができると考える。またある人には与えられ、ほかの人には与えられなくても、愛が愛であり続けられると、その人は考える。」
愛がこんなふうなものだと信じるということは、明らかに愛を理解していないし、そのような愛を体験したことが無いということです。
そしてコースの目的は、私たちがこの愛を体験できる場所まで連れて行くことです。
「もし愛にそのような区別ができるとしたら、愛は義人と罪人を裁き分け、」そして誰が愛に値して誰が値しないかを選り分け、「いくつもの部分に切り離された神の子(そしてあらゆる被造物)を知覚しなければならないことになる。」
そんなことは不可能です。だから、次のことは明らかです。
「愛には裁くことはできない。」
愛には裁きという機能は無いのです。
愛は、愛自体がひとつのものなので、全てをひとつとして見る。愛の意味は、そのワンネスの中にあります。
「そしてそれを偏愛や分割された愛として思い描く心にとって、真の愛は捉え難い。」
それはつまり、さまざまな状況によって様々な種類の愛があると思っているということ。
「神のほかに愛はなく、愛はすべて神の愛である。」すべてが愛なんです。
「愛が存在しない場所を支配するほかの原則といったものは存在しない。愛は対立するものを持たない法則である。」
ある場所では愛が法則となっていて、別の場所ではほかの法則がはたらくなんてことでは無いんですね(笑)
愛はすべてを内包しているのです。
「愛の全一性はすべてをひとつに保つ力であり、父と子を永遠に同じものとして保持する絆である。」
「同じ」というところに注目して下さい。
あなたに自分の真の姿を思い出させることを目的とするコースでは、真実のあなたの姿と愛との間に何の違いもないことをいくら強調してもし足りないのです。
あなたは、愛です。
「愛の意味はあなた自身の意味であり、神自身と共有されている。」神はもちろん、愛の創造主ですから、当然ですね。
あなたの真の姿は、すなわち神の姿だからです。愛、創造主、被造物、これらはすべて、同じものです。全部が愛です。
「神の愛の他に愛はなく、神の本性が、存在するすべてである。神にはいかなる限界もなく、だからあなたにも限界はない。
世界が従っている法則はどらも、あなたが愛の意味を把握する手助けにはならない。」
この世界が信じているものは分離した物事であり、あるものを良しとして別のものは悪とし、「愛の意味を隠して暗い秘密としておくために作り出された。世界が守っている原理のうちで、愛とあなたの本性についての真理を冒涜していないものは、一つとしてない。
だから、あなたの真の自己を見つけようとして、この世界の中を探すのはやめなさい。愛は、闇と死の中には見つからない。」
私たちは本当の愛を幻覚の中に持ち込むことができるとずっと考えていたんですね。それに気づきましょう。
「しかし真に見える目と、愛の声が聞こえる耳には、それは全く明瞭である。」
言い換えると、愛は常に今、ここにあるということであり、決して消えたこともなく、あなたの呼吸より近いところにあるのに、私たちがそこに意識を向けていないということです。
私たちは、世界の法則と、私たちが思い込んでしまったさまざまな事柄にばかり注意を向けてきたんです。
だから「今日、私たちは、あなたが従わなくてはならないと思っている法則のすべてと、あなたの生き方を制限しているあらゆる限界と、人間の運命の(自動的な)一部だとあなたが思っているあらゆる変化から、あなたの心を自由にする練習をする。
今日、定められたゴールに向かって進んでいく中で、(さあ!ここを注意して聞いてください!)このコースが求める最も大きな一歩を踏み出す。」
これまで何度も「大きな一歩」がありました。でもね、いいですか?これが最も大きな一歩となるんてす。
「もしあなたが、今日、愛が意味しているもののほんの微かなきらめきでも感知することができるなら、自分の解放に向かって、計り知れないほどの距離と、年月に換算できないほどの時間を進んだことになる。
だから今日、私たちは一緒に、喜んで神/愛にいくらかの時間を差し出し、これ以上に良い時間の使い方はないということを」思い巡らしましょう!
他のどんな用事もこれほど大事なことはありませんよ。
さて、だいぶこのペースに慣れてきた頃だと思いますが、今日も1日に2回、15分ずつ、今あなたが信じているあらゆる法則から脱出しましょう。
「あなたの心を開き、休息しなさい。」あなたを幽閉しているように見えるこの世界は、そこな愛着を持たない人なら誰でも脱出できるのです。「この世界の貧弱な供物と無意味な贈り物に価値を置く事をやめて、そのすべてを神の贈り物へと入れ替えなさい。」
世界はあなたに何も与えてはくれません。
私たちは単に今まで、そのような法則に対して、「これって本当?誰がこの法則を与えたのよ?私がこれに意識を向けないといけないって、誰が決めたの?」と疑問を向けたことが無かったんです。だから今、そうしているということなんですね。
ですから、今、この世界のみすぼらしい捧げ物と意味のない贈り物を退けて、神の贈り物、愛の贈り物にすべてとって代えましょう。
「父に呼びかけよう」とあるのは、愛に意識を向けよう、という意味です。
「そして神の声が答えてくれることを確信しよう。神自身がそれを約束している。
あなたが誤った信念を手放し、自分の実相と愛の意味についての暗い幻想を放棄し、」今までの古い、間違った法則を組み替えて新しくするたびに、「神自身があなたの心の中に真理の輝きをもたらすだろう。今日、神はあなたの無為の想念をくまなく照らし、あなたが愛の真理を理解するのを助けるだろう。」
この理解は、頭でする理解ではなく、直感的な理解のことを言っています。
「雑念のない開かれた心に、神の声からの愛の意味を教えてもらう時、神はあなたとともに留まるだろう。」
あなたは今抱えている観念を捨てないといけません。しかしこれは一晩で出来ることではないですね。これはプロセスであり、イベントではありませんから。ここから私たちは出発するんです。
「彼はこのレッスンを彼の愛で祝福するだろう。」
「今日、時間を超越したあなたの学びの前で、救済を待って(待って、待って、待ち望んで)過ごす未来の多大な歳月が消滅する。」
時間は関係ないんです。
「過去と同じような未来を免れられることに、感謝を捧げよう。今日私たちは過去を後にし、もはや二度とそれを思い出すことはない。そして、私たちは眼差しを上げて、これまでとは違った現在を見る。」
思い出してください、あなたが変われば、世界が変わるんです。ですからもし、あなたが劇的に心を変えたら、世界も劇的に変わるのだと思ってください。
「それは、あらゆる点で過去とは異なる未来をもたらしてくれる現在である。」
これは本当に大きな約束だと思います。
「揺籃期の世界が新しく生まれる。この新しい世界が健やかに力強く育ってゆくのを、私たちは見守る。新しい世界は、それまでの世界か憎しみの中で愛の敵となるために作り出されていたことを理解してそれを捨てることを学びにやってくる者たちに、祝福を与えるだろう。」
ここで「憎しみの中で作り出された」と言っているのは、憎しみは本当は何も作ることが出来ないし、何も起こすことは出来ないのですが、私たちを眠らせて狂気に陥れることは出来るということなんです。
「今や彼らは皆、私たちとともに解放された。今や彼らは皆、神の愛の中で私たちの兄弟である。
真の自己を知りたいなら、自分の一部を自分の愛の外に置き去りにすることはできないのだから、私たちは彼らのことを1日に何度も思い出す。
少なくとも1時間に3回、あなたとともに旅をしている人のことを思う。」
あなたの心に浮かぶ人なら、誰でもいいのよ!
そしてその人のことが思い浮かんだら、このメッセージをその人に送りましょう。
「兄弟であるあなたと共有したい神の愛で、私はあなたを祝福します。
あなたの愛であり、私の愛であり、皆の愛である神の愛のほかに愛はない、というこの(悦ばしい)レッスンを学びたいからです。」
まばゆいばかりのレッスンです。
練習、練習!
ではまた明日お会いしましょう。
バ〜イ♪
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