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キャロルさんの奇跡講座レッスン #21

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖

キャロルさんの奇跡講座レッスン21 元の講義はこちら→ https://youtu.be/IlLGHAUAVOo

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ハロー皆さん、また会えて嬉しいわ。レッスン21です。

さて昨日は「私は『見る』と決めた」を練習しました。今回はその拡大版と言えます。より具体的に、「私は違う見方で見ると決めた」と言います。

今回はコースの目的を今一度思い返してみるのに良い機会です。コースの目的は、私たちに心の平安を取り戻すことにあります。
つまり、私たちには今、「それが無い」という前提があるのです。

今回のレッスンは、心の平安を再び得るための道につながる、次の小さなステップです。

昨日は30分ごとに「私は『見る』と決めた」と繰り返すことが求められていましたね。今回はこれまでと同様、私たちのモノの見方を少し変えるために、1日5回、わずか1分ずつ練習を繰り返します。

いいですか、残りの23時間と55分は注意散漫でも構いません(笑)
レッスンが求めているのはたった5分、私たちが目を閉じてこれについて考えることだけです。

さあ、レッスンでは「あなたの中に怒りを引き起こす全てのことに注意を向けてみましょう」と呼びかけます。

ところで、怒りは”ささやかな苛立ち”という形で現れることがあります。
例えばあなたが宅急便が届くのを待っているとしましょう。指定時間になったのに届かないせいで、1日の予定が狂ってしまった。それでイライラしますね。

または、あなたは激怒するかもしれません。お隣さんが朝の四時に犬を庭に放して、それから3時間の間犬が吠えていたせいで全く眠れなかったような場合ね。

どちらの方がひどいとあなたが考えたとしても、レッスンは「怒りの度合いに騙されないように」と忠告します。それらは両方とも、あなたの心の平安を破壊しています。

怒りはどんな度合いのものでも、実は、激しい憤怒を覆い隠すためのベールの役割をしているのです。

「あらまあ、私たち皆、激しく怒りながらそこら中歩き回ってるって言うの?」

いえいえ、実は私たちが信じているよりも、もっと多くのことが起こっているかもしれないのですよ(笑)!

そしてレッスンでは、「小さな怒りでも見過ごさないでください。あなたは、何が自分の中に怒りを引き起こすかわかっていないのです」と言います。

後のお楽しみを先に少しだけ言っておくと、テキストでずっと後の方に述べられているのですが、怒りは私たちが自分が無力だと感じる時に湧いてきます。何かがある特定の形で人生に現れてほしいとか、ある人に特定のやり方で何かをして欲しいのに、その人に全くそうしてもらう事が出来ない時など、そうした時に激怒の感覚がやってきます。

「この出来事が起こってくれないと、この人にこんなふうにしてもらわないと、私は愛されていると感じることができない、安心を感じられない、この先に進むことが出来ない」のように感じる時です。

ですから激怒は、自分以外の何者かが実質的に私の邪魔していると感じた時に生じるのです。

まずそれが怒りのそもそもの原因であり、エゴ自分を結びつけてしまっているため私達はほとんど無意識下ではありますが、常に怒りを感じているのです。なぜなら何もかも絶対に決して私たちの思い通りにはならないからです。たとえ思い通りになったとしても、それで十分だとは感じません。もっと別の何かが欲しいと感じます(笑)

もし自分の思い通りにいかないことが怒りの原因になっているとしたら、お分かりでしょう、誰もがいつも常に怒っていることになるんです。ふふふ、たとえ隠すことは出来たとしてもね。

そしてレッスンはこうコメントしています、私たちは「ある形の攻撃が他の形の攻撃よりも正当化できると思っている」

つまり私たちは宅急便の荷物が時間通りに届かなかったことで腹を立てるよりも、犬を黙らせなかったお隣さんを攻撃するほうがより筋が通っていると思うわけです。私たちはこうした区別をつけがちです。

レッスンは「OK、さ〜て、あなた達はもうちょっと自分の怒りとよ〜くお知り合いにならないといけないよ」と語りかけます。(笑)

何故かしらね、私はここの部分が面白いと感じるの(笑)だってね、例えば家族全員が怒ってばかりの環境で育つ人がいますよね。家族みんなが互いに怒鳴り合っているような状況が、普通となっている家庭があります。

大家族で育ったある人が言ってたんだけど、みんな互いに怒鳴り合っていて、「そこのケチャップ取ってもらえる?」というひと言も叫ばなきゃ通じないというのがノーマルになっているような家庭があるわね。

その一方で、そこから正反対の極にあるような家庭もあります。私が育った家庭がそうだったの。怒るのは絶対に許されないことで、みんなが常にハッピーで微笑んでいてイイ子でなくてはいけないという決まり。ふっふっふ、それは実際、不可能よね。

あなたが、親切でいることと怒らないことが同じと思ったり、または親切でいなければならない、もし破ったら世界の終わりだと感じているとしたら、ワオ!あなたはあらゆる感情を抑圧しなければならないでしょうね!
あまりにも多くの抑圧と否認があるでしょう。

私が初めて「あなたは常に怒りを感じている」という部分を読んだ時、侮辱されたように感じたの。「私は怒ってばかりの人間じゃないわよ」と。私はこれを「あなたは良い人間ではない」と言われたように感じたの。この箇所にはとても面食らいましたね。

練習ではこのようにします。
「私は( この無責任な人間であるお隣さんを )別の見方で見ることに決める」私は別のやり方でこの人を見なくちゃいけない、私は本当に彼らを別の方向から見たい。今は私は彼らのことを、あんまり良いとは言えない形容詞を使って見ているけれど。

または別の例を挙げると、「私は( 絶対に休暇が必要なのに休暇が取れない状況 )を、全く別の見方で見なければいけない」
具体的に状況を特定してください。時々怒りを感じるとか言うのではなく、あなたに怒りを生じさせているように「見える」相手や状況、この「~のように見える」というのが後からじわじわ効いてくるのですが、それらを明確にしてください。

それからレッスンでは最後にこのように告げています。
あなたが誰かのことを大好きだとして、その人のことが好きだけど、これだけは許せない、という所があるとします。それを具体的に当てはめるのです。「私は( 人 )が ( いつも遅刻してくる )のを、別の観点から見たい、違う反応をしたい」と。

オーケー、練習に励んでね。
これとっても大事なんですよ、全部のレッスンが大事なんですけどね!(笑)
では明日のレッスンでまたお会いしましょう。
バ~イ!

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