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#294 キャロルさんの奇跡講座レッスン
奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪
※ ワークブック訳は「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参照しています。
キャロルさんの奇跡講座レッスン294
元の講義はこちら→https://youtu.be/LDQ77C9aVfs?si=S3Ds0uuXds3FRkSI
ハーイ皆さん♪今日も参加して下さってありがとう💖今回のレッスンでは、再び身体に焦点が当たります(笑)
レッスン294
私の肉体は、完全に中庸なものである。
他のレッスンでは「肉体は本当の私ではない」と言っていましたね。「私は肉体からは自由である。肉体は私ではない。それが私の信じていることの表れだという点を除いては、肉体と私には関係はない」のだと。私の内側の信念が外に投影されたものだと言ってもいいかもしれません。
しかし実際は、肉体はニュートラルなものなんです。
1.私は神の子である。
私は、私たちは、神の子です。それは愛の表現体であり、愛が活動として現れたものであり、目に見えない父が(愛が、と言い換えて構いません)目に見える形に現れたもの、それが私たちなのです。
それでいて他のものでもあり得るだろうか。
NO!
神が、死すべきものや朽ちるものを創造しただろうか。
もちろん、そんな事ないわ!
神に愛される神の子が、死すべきものに何の用があるだろう。しかし中庸なものは死を見ない。そこに恐れの想念はなく、偽物の愛も付与されていないからである。
愛も恐れも肉体に端を発するものは一つもないということよ。肉体は電話のようなもので、単にメッセージを送信するに過ぎません。
それは、用途がある間は中庸であることにより保護される。その後、目的が無くなれば使われなくなる。
私たちには用途に応じて使用する物がありますね。使い道がなくなれば、単に処分するか、別のところにやってしまいます。目的に叶わなくなったら、持ち続ける必要はなくなりますから!
病気や老齢や負傷のせいではない。ただ機能と必要が無くなり、放棄されるのである。今日、私が肉体をそれ以上のものとして見なしませんように。それは、少しの間だけ丈夫で役に立ち、役立つ間は有用だが、その後は、よりよきものへと入れ替わるのみである。
次に祈りの文章が続きます。
2.父よ、私の肉体はあなたの子ではあり得ません。
この肉体は神が作ったものではなかったのです。
創造されなかったものは罪深くもなければ、無罪でもなく、善でも悪でもありません。それならば、私たちが自分で作り出した一切の夢から目覚めるというあなたの計画を助けるために、私がこの夢を使うことができますように。
身体はただ単に、道具でありコミュニケーションの手段であり、私たちが愛されていて、わが家にいるのであり、何も酷いことは起こっていないし、あらゆることがそのままであると知らせるために、すべての人にとって役に立つものなのです。
それを心に留めておいて下さい。あなたの身体は、あなたがわざと自分や他人を傷つけようとしたりしない限り、まったく問題のないものなんですよ。
テキストのどこかにあったように、身体を「他の魚を釣るための餌」に使わないように(笑)!平安の邪魔になりますからね?「この身体を何のために用いたいのか?」と書いてある箇所に戻って復習してみると興味深いでしょう。
では、良い練習の時を過ごしてください。
また明日、ここでね❤️
バ〜イ♪
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