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キャロルさんの奇跡講座レッスン #99
奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪
キャロルさんの奇跡講座レッスン99
元の講義はこちら→ https://youtu.be/n3xjJbceasw
みなさん、またここでお会いできましたね♡
レッスン99
「救済が、ここにいる私の唯一のはたらきである」
唯一です。いくつかある内の一つとは言っていません。
救済とは、心が入れ替わり、分裂した心が癒されて、愛ではない想いを手放すことが実現するということですね。
「救済と赦しは同じものである」と述べられています。それらは「どちらも何かが間違ってしまったことを暗示している」
そこから救われるべき何か、それに対して赦されるはずの何か、訂正されるべき何か、神の意志が創造した実相とは異なる何かが起こり、経験されているということです。
ですから、この二つは本来はあり得ないのに起こってしまったことであり、その結果、心の中で、実際に在るもの、つまり真理、愛、合一などと、存在不可能なもの、つまり私たちの個人という分離した感覚との間で、大きな葛藤が見られるような状態がもたらされていることを暗示しています。
このようにして私たちには、真理と幻想、もしくは可能なものと不可能なものが、今ではどちらも等しく有るものとして認識されています。
それらがどちらも起こったように見えているのです。
「あり得ないものを許すことが、必要となってしまっている」つまり、実際には起こっていないけれども起こったように見えているあり得ない観念を、手放さなければならないという事なのです。
従って、救済、観念を手放すことが、真理と幻想の境界域となります。そこが私たちの狂った幻想から脱け出せる場所ですが、そこはまだ真理がある場所ではありません。そこは一度も為されなかったことを、為される前の状態に戻し、癒すための場所でしかないからです。
1秒たりとも、これを理解しようと頭をひねることはしないように!
思い出してください、これは実践し、結果を得るためのものであって、体験すればここに書いてあることの意味は自ずとわかるようになります。
誤った観念を手放すまでは、理解は訪れません!なぜなら、誤った観念は心を曇らせ、意味をなす事をほとんど不可能にするからです。
だからこそ、私たちは練習する必要があるんですよ。
さて、レッスンではここで
「地上と天国の両方を和解させる出会いの場所なんて、あり得るだろうか」と問いかけます。
私たちの心は幻想を見ていて、私たちはそれらを実在していると考えています。
幻想、外見、それは時間と空間の世界にあります。さて、これは重要な概念です。それらは思考であるという意味において、存在します。
初めのほうのレッスンで何度も「思考と物事は同じもの」だとしつこく言われたのを覚えていますか?
しかし、それらは実在ではありません。これらの考えを抱いている心は、神から離れた部分であり、愛そうとしない部分だからこそ、実在とはなり得ないのです。愛のないところは実在しないからです。
いいですね。
「分離した心と想念とをひとつに繋ぐものは何だろうか」
真理を保持し知りつつも「幻想がもたらす必要を認識し、攻撃せず痛みも与えずに、幻想を無に戻すことができる計画とは、どのようなものだろうか」
そんな計画があるといいですね!
私たちが犯したと思っている「罪を忘れる計画となり得るもののは、神の想念以外にあり得るだろうか」
私たちが犯したと思っている罪は、最初から実在した事などなかったのですから、それらは消えるのです。
愛がなければ実在しないと言ったでしょう?
だから罪などあり得ないんです。
仲介機能である私たちの心の中の聖霊は、神のこの計画を、神から受け取ったそのままに、私たちの共通のひとつの心、神の心の中に保持しています。
それはその源が時間を超越しているという意味で、時間から離れたものです。しかし私たちは時間の中に存在していると思っているため、時間の中で機能します。
この仲介機能である、私たちの心の中の愛に溢れる部分は真理を知っていますが、私たちが目にしているものも見ています。
それは、罪、苦痛、死、悲嘆、分離、喪失などを見ています。
けれども、神がそれでもやはり愛であること、私たちが見ているこれは神の意志ではないこと、これが愛によって創造されたものではないことを知っています。
これこそが、癒しの中で訂正のはたらきを行う想念なのです。それは外見を見ていますが、外見を超えて不変のものを見ています。愛と真理を見ています。
この、これらの想念が救済し、赦す想念です。それは自らの知る唯一の源が創造しなかったものには、まったく信を置かない想念です。
この想念は私たちとそのはたらきを共有することによって救う機能を果たします。救済は、聖霊と共にこの計画が委ねられている私たちの機能でもあるのです。なぜなら、聖霊と私たちはひとつの心だからです。
さて、私たちには計画があり、そして彼は外見に対して、その形や大きさや深さ、それらの属性に関わらず、ひとつの答えを待っています。その答とは、これです。
「救済が、ここにいる私の唯一のはたらきである」
「今でも神は愛であり、愛は今も愛のままであり、これは神の意志ではない」
これは、愛だけしか持たない創造主から生まれるものではありません。
幻覚からの解放であり、心の癒しである救済こそが、私がここにいる理由なのです。
「あなたはこれから多くの奇跡を起こすことになるのだから」つまり、愛のプレゼンスを自覚するようになるのだから、今日の概念をしっかり実践しなければなりません。
私たちは、この言葉の中にある力強さを見たいのです。この言葉が私たちを自由にする言葉であることを確認したいのです。この言葉は、あなたが愛されていることを知るための言葉なのです。
この苦痛の世界は、彼の意志ではありません。
ですから、何かがあなたに苦痛を与えることを望んだなどという考えは捨ててしまいなさい。
そして、あなたの心の暗い場所、つまり、個人的、分離的、憎悪的、誰が誰に何をしたのか、といった思考、彼の意志ではない思考がある場所全てに、彼があなたの過ちの代わりに置き換えたこの思考が入り込めるようにしましょう。
今や、心のこの部分は、他の残りの部分と同様に、愛に属しています。
紙に小さな線を引いたとき、紙の他の部分と分離しなかったことを思い出してください。この小さな任意の線が引かれただけで、分離も何も何も生じたりしませんでした。私たちは分離したように見せかけただけで、分離はしなかったんです。
ですからこの部分も、神のものです。
それを心の暗い部分を隠しても、狂った考えを実在させることは不可能です。
だから、隠さないで。
光を入らせてください。そうすれば、そこには何の邪魔な妨げもないことがわかるでしょう。
あなたの秘密をさらけ出し、防御の姿勢を外してください。そして、あなたの光が、まだどれほどまばゆいかを見てください。
あなたは、自分をダメにしたわけではありません。
あなたはまだ、創造されたままのあなたなのです。
今日、この考えを実践し、この光が自分の心の中にある暗い場所を探し、見つけ、その中をただただ照らすようにしましょう。
そうすると、紙の上の線が消えていくような気がするでしょう(笑)
あなたの心が神と一つになることが神の意志です。それは愛だけを知るということです。だから、他のすべてのことは神の意志ではないのです。
神がただひとりの子だけを持つことが神の意志です。
これは、非二元論の教えですね。
それは神の意志であり、私たちがひとつのものとして創造されたのであり、そして、私たちはすべて、その、ひとつなのです。
今日の練習では、これらのことについて考えてみてください。練習はこのように行います。
「救済がここでの私の唯一の役割です」
「救いと赦しは同じものだ」
それは私たちの真実でないものを手放すことです。そして、この機能を共有する彼に頼ってください。彼は私たちが恐れずにいる方法を知るために必要なことを教えてくれます。
私たちは愛であり、愛に反対語はないのです。
私たちそのものである愛が、私たちを完全に説明しています。
私たちについての真理、私たちの完全性、私たちの同一性、私たちの平安に対立するすべての思考を認識し、赦すように求められているのです。私たちはこの贈り物を失うことはありません。この贈り物は、私たちの存在そのものに組み込まれているのです。
私たちの贈り物とは、私たち自身です。
私たちは、自分たちがでっち上げた、分離したエゴのようなものにはなりたくありません。
それは私たちに喜びをもたらさないし、私たちがもう関わり続けたいものではないのです。
私たちにはそんな機能はないのです。
私たちは自分の役割は、エゴの世話と維持だと思っていましたが、それは神の意志ではありませんでした。だから、私たちはもう、それにしがみついたりしません。
私たちは自分を赦したいのです。
私たちが作ったと思ったもの、そしてそれに対して私たちがしなければならないと思ったものを、解放したいのです。
赦しと救いは同じです。
だから、私たちは自分が作ったものを手放します。そして、救われるのです。
愛を探すのではなく、愛を認識するのを妨げているブロックを探し、それを手放すようにと何度も何度も言われていたのを覚えていますか?
これはすべて、この手放しの一部なのです。
今日のこの特別なメッセージは、すべての疑念と恐怖を永遠に取り除く力を持っています。
もし、あなたが今まで抱いていた古い考えを真実だと思いそうなら、外見は重要ではないということを思い出して!笑!
外見は真理の言葉に対抗できませんね。
真理の言葉とは
「救済は、ここにいる私の唯一の役割である」
癒し、自分自身についての狂った考えを手放すことが、唯一理にかなっていることです。
なぜなら、その逆は、エゴを大切にし、維持することであり、それは私をより深い苦痛と孤独に追いやるだけだからです。
私たちはそんなことはもうしたくありません。
神は今も愛であり、これは神の意志ではありません。
愛がないものはすべて、彼の意志ではありません。私たちの唯一の機能が、私たちが1つであることを教えてくれるのです。
それを私たちは出来る限り頻繁に思い出しょう。
「救済、心を癒すこと、分裂の感覚を癒すこと、それが私の唯一の機能です」
幸福をもたらすものにしか、関わる意味はありません。
心に赦しを置くと、恐れが消え、私たちの体験の中で愛が際立つようになるでしょう。
そして、自分が唯一の創造主の、唯一の創造物であることを知るのです。
それが肝心なことであり、私たちはそれを思い出そうとしているのです。
今日も素晴らしい一日をお過ごしください。
練習、 練習よ!
お勉強にしないでね。
バ~イ♪ははははは(笑)
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