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#186 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※ ワークブック訳は"There Is No Spoon "https://thereisnospoon.jp/blog-entry-822.html と、「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参考にしています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン186 元の講義はこちら→ https://youtu.be/QptzzhG1oa8


ハロー皆さん、レッスン186へようこそ。
もうすぐワークブックの半分まで到達ですよ。だから諦めずに継続しましょう!
「何でこんなこと続けないといけないのよ?繰り返しが多すぎるじゃない」って感じることもあるかもしれないわね。でも、思い出してちょうだい。私たちが今まで生きてきた中で繰り返してきた、自分自身、そして他の人たちに関する、すべての役に立っていないし正しくもない諸々のことを。
レッスンはそうした考え方を逆転させるためのものなのよ。だから、比較的に言って、これまで蓄えてきた誤った大量の情報を覆すために、それよりもほんの少しの時間を使って脳の配線組み替えをしているんです。
だから、やめないで(笑)!
きっと最後にはいい事が待っていますよ。

では、今日のテーマはこちら。

世界の救済は、私にかかっている。

こうした表現は、実際には言葉で説明出来ないことを象徴として用いています。

「こう宣言することで、いつの日か、すべての心からあらゆる傲慢さが一掃されるでしょう。こう考えることは、真に謙虚になることであり、それは、あなたがほかのどんな役割も受け入れずに、自分に与えられた役割だけを引き受けることを意味します。

この宣言はあなたに、それ以外の役割があると言い張ることなく、自分に割り当てられた役割を自分のものとして引き受けるように提案しています。

この宣言は、あなたにふさわしい役割が何なのか価値判断するものではありません。この宣言はただ、神の意志が天におけるのと同じように地にもなされることを承認するだけです。この宣言は、世界を救うための天の計画の下に、地上のすべての意志をひとつに結び合わせ、世界に天国の平安を取り戻させます。」

こうした表現は、私たちに正気の心を取り戻させるために使われています。

「自分の役割と格闘するのはやめましょう。
私たちが自分の役割を確立したわけではないからです。それは私たちが思いついたことではありません。私たちは自らの役割を果たすための手段を授かっており、その手段によって私たちは自分の役割を完璧に果たすことができます。

私たちに求められているのは、心から謙虚になって自分の役割を受け入れ、自分がその役割にふさわしいことを自己欺瞞の傲慢さによって否認しないようにすることだけです。」

謙虚さという意味が、私たちはよくわかっていないのですね。

「なすべきこととして私たちに与えられたものである以上は、私たちはそれをなす力を持っています。

私たちみんなの心は、私たちのことをよく知る存在によって自分たちに割り当てられた役目を担うのにこの上なく適しています。」

もちろんここでの「私たちをよく知る存在」とは、私の「自己」のことです。

「あなたがその意味を理解するまでは、「世界の救済は、私にかかっている」という今日の考えは、実に深刻な身をすくませるものに思えるかもしれません。

しかし、この概念は、あなたのなるは今でもあなたのことを覚えており、わが子であるあなたに完璧な信頼を寄せていると述べているだけです。」

というのも、私たちは父の延長だからです。そこには完璧な信頼の他に何もありません。

「今日の概念は、あなたに、ありのままのあなたから少しでも違う者になるよう求めてはいません。謙虚さが求めることができるのは、それだけなのです。そして、傲慢さに否認する事ができるのも、それだけなのです。

今日、私たちは、これが謙虚さを踏みにじるものだというもっともらしい根拠に基づいて、自分に与えられた役割を引き受けることに尻込みしないようにします。神自身を代弁する呼び声を否認しようとすることこそ、傲慢なのです。

私たちは今日、すべての間違った謙虚さを放棄します。そうすれば、私たちは、が私たちに何をさせようとしているのか、神の声(直観)が私たちに明らかにするのを聞くことができるでしょう。」

このように直観、ガイダンスに耳を傾けることは非常に重要なのです。

「私たちは、が私たちに与える役目を担うのに自分がふさわしいことを疑わないようにします。そうすればただ、が私たちの力と知恵と聖性を知っていることだけを確信するようになります。
そして、もしが私たちがこの役目にふさわしいと思ってくれているのなら、その通り、私たちは世界を救うにふさわしいのです。それは違うと判断することは、傲慢にほかなりません。」

だって実のところ、神は、私たちなのですからね。私たちは別のものではありません。

「偽りこそが真実だと証明するためにあなた(エゴ)が建てた計画があなたを幽閉しました。この幽閉状態から解放されるための道が存在します。それは唯一の道です。」

57ものオプションがあってその中から一番良いものを選ばなくっていいなんて、良かったわね!

「それは、あなたの計画の代わりに、あなたの立てなかった計画のほうを受け入れることです。自分がその計画に貢献できるのか判断しようとしてはなりません。

もし神の声(直観)が確信をもってあなたに、救済にはあなたが役割を果たすことが必要であり、それも、救済計画の全体があなたにかかっていると言うのなら、それはその通りだと確信すべきです。

傲慢な者は、言葉を超えて進むことで、自分の面目を損なう経験をするのが怖くて、必ず言葉に執着してしまいます。」

それがエゴの問題点です。

「しかし、謙虚な者は、何の囚われもなく、自分が何者であるか、そして何をすべきか自分に告げるを聞き入れることができます。

傲慢さは、実像とは違うあなた自身の肖像を作り出します。」

これは勿論、私たち皆が負っているエゴの構造であり、プログラムと条件付けです。

神を代弁する声が、あなたにはすべての偶像を凌ぐ、あらゆる力と知恵と神聖さが備わっていると保証するとき、怖気づいて恐慌の中に逃げこもうとするのはこの偽り(エゴ)のあなたの自己像です。

私たちはこの自己像のように弱いものではありません。私たちは、無知でも無力でもありません。罪(赦されるべき過ち)には、私たちの中の真理を穢すことはできません。そして、悲惨さには、の聖なる家に近づくことなどできません。

このようなことすべてを、神を代弁する声(聖霊)が私たちに対して語ります。そして、聖霊が語るとき、あなたの肖像(エゴ)は自らの基盤が崩壊するのを感じ取って震えあがり、見知らぬ脅威に対して攻撃しようとします。ただ、手放しなさい。

世界の救済は私たちにかかっているのであって、この小さな塵の塊を当てにしているわけではないからです。そんな塵の塊が、聖なる神の子に何を告げることができるというのでしょうか。どうして神の子がそんなものを心配しなければならないのでしょうか。

こうして私たちは、自らの平安を見出します。私たちは、が自分に与えてくれた役目を受け入れることにします。なぜなら、すべての幻想は、私たちには自分のために別の役割を作り出すことができるという異常な信念の上に成り立っているからです。

私たちの自作の役目は移り変わるものであり、それらの役目は、悲嘆の底から愛と愛情に満ちた至福の歓喜にまで変貌するように見えます。
私たちは、笑ったり泣いたり、一日を喜びで迎えたり、涙で迎えたりすることもあります。私たちの気分は多様に変化し、私たちの感情は非常に高まったかと思えば、私たちを絶望のどん底まで叩き落とします。このような体験するたびに、私たちの存在自体が変わるように思えます。

これが神の子でしょうか。はたして神に、こんなにも不安定なものを創造して、それをわが子(神自らを表現したもの)と呼ぶことなどできたでしょうか。

不変の存在であるは、自らの属性を自らの創造物と分かち合っています。」

つまり、私たちは父と同じ属性を備えているのです。私たちはこれまで同じことを何度も何度も繰り返し聞いてきましたよね。

「神の子が作り出したように見えるすべての姿かたちは、本当の彼に何の影響も及ぼしてはいません。それらの肖像は、まるで木の葉が風に吹かれて一瞬ある模様を形作ったかと思えば、ばらばらに分かれて再び群れをなして飛び回っては、彼の心をよぎってゆきます。それはまた、砂漠の上で、砂埃から姿を現す蜃気楼のようでもあります。

あなたが自分に与えられた役目を受け入れるなら、このような実体のない自己像は去り、あなたの心は晴れて澄み渡ります。

あなたの作り出した自己像(エゴ)は一時的で漠然とした、不確かで曖昧な葛藤する複数の目標を生み出すだけです。このような目標に向かって、絶え間なく努力を続け、自らの熱意を傾けて集中力を注ぐことのできる者などいるでしょうか。

この世界が評価するような役割は実に不確かなものなので、それは最も安定しているときでも、1時間に10回は変化します。このような目標を基盤にして、いったいどんな成果を望めるというのでしょうか。

それとは見事なまでに対照的に、毎朝、太陽が夜の闇を払いのけるために戻ってくるのと同じくらい確実に、あなたは本当にはっきりと際立つ、まったく曖昧なところのない役割を与えられているのです。

あなたの役割が正当で確固たるものであることには、何の疑いもありません。あなたの役割は、いかなる誤りも知らない存在であるに由来し、神の声である聖霊は、のメッセージを確信しています。そのメッセージは変化することも、矛盾することもありません。それらのメッセージはすべて、あなたが達成できるひとつの目標を指し示しています。

あなたの立てる計画は実現不可能かもしれませんが、の計画は、がそのであるがゆえに、決して破綻することはありません。

神の声(直観)の導く通りに行いなさい。そして、もし聖霊があなたに不可能に思えることを求めるときは、誰がそれを求めているのか、そして、それを拒もうとしているのは誰なのか思い出すようにしてください。それから、次のように考えてください。正しいとすれば、どちらの可能性が高いだろうかと。

正しいのは、すべての物事をありのままに知る万物の創造主を代弁するでしょうか、それとも、混乱し、途方に暮れて一貫性がなく、何事にも確信を持てずにいる、あなた自身だと思っているひねくれた自分像でしょうか。

自分像の声に指示させてはいけません。その代わりに、あなたの創造主によって与えられた役割を告げる確かなを聞いてください。創造主はあなたのことを覚えています。今、その創造主が、あなたに創造主を思い出すようにと促しているのです。

の優しい声は、知られているものから知らずにいるもの(私たちのこと。私たちは眠り込んでしまっているのです)への呼びかけです。創造主は、自らはいかなる悲しみも知りませんが、あなたを慰めてくれます。

創造主は完全であり、あなたがすでにすべてを持っていると知ってはいますが、あなたへの贈り物として、創造主は復元しようとしてくれます。創造主自身は必要性など知覚しませんが、神の子が知覚するすべての必要性に応える想念を抱いています。なぜなら愛は必ず与えるのであり、神の名において与えられたものは、形態の世界において最も役立つ形をとることになるからです。

これらの形は、決して欺くことのありえない形です。なぜなら、それらは形のないものそれ自体から生じるものだからです。赦しとは、ありのままの状態にある天国ではいかなる形も持たない愛が地上でまとう形です。しかし、この世界で必要とされるものは、それが必要とされる形で与えられるのです。この形によって、たとえこの地上にいたとしても、あなたは自分の役割を果たせるようになります。

けれども、あなたが形のない状態に戻ったとき、あなたにとって愛はよりいっそう偉大な意味を持つことでしょう。この世界の救済は、あなたにかかっています。あなたには赦すことができるからです。」

この地上での愛の形である赦しとは、私たちが不満や非難を手放すことであり、私たちにはそれが出来るのです。世界の救済、私たちがわが家に帰る道筋を見つけることは、赦しを選択することに決めた私たちにかかっているのです。

「赦しこそ、今、あなたのこの世界での役割なのです」

素晴らしいレッスンです。
私たちが意識を向けるなら、これを間違うことは絶対にありません。
実践して、最高の一日にしてくださいね!
それでは、また!



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