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#131 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

キャロルさんの奇跡講座レッスン131

元の講義はこちら→ https://youtu.be/rxzhTgfjkSk


ハロー皆さん♪
レッスン131
「真理に到達しようとして、それに失敗する者はいない」


真理とはもちろん、愛、つながること、私たちの中の正しい部分、それから私たちが世界に捧げる貢献などのことです。
そしてレッスンはこのように始まります。

「達成できないゴールを追い求めているうちは、あなたには失敗ばかりがつきまとう。
あなたは永遠でないものの中に永遠を探している。愛のないところに愛を、危険のただ中に安全を(笑)、死の夢という闇の中に不死を探している。」
探求の環境が矛盾しており、安定を見つけに行く場所も矛盾だらけだとしたら、いったい誰が望みを達せられるでしょうか。いったい誰が安定を見つけられるでしょうか。

これはまるで目標を持っていても、夢の中でその目標をうまく行かせようと奮闘しているようなものじゃないですか。

だから、レッスンはこう続けるんです。
「無意味なゴールは達成されない。」
あなたが昨夜見た夢の中で計画したプロジェクトが、起きてからの時間の中で達成されるなんてこと、起こり得ません。夢の中の計画と起きてからの出来事に関係はないのですから。

「そうしたゴールを達成するために用いる手段も、ゴールと同じように無意味なので、そこに到達する者はいない。

そのように愚かな手段(笑)を用いながら、それを通して何かを得られる者などいるだろうか。それが一体どこへ導いてくれるだろうか。

そうした手段で、実在する見込みのある何を達成できるというのだろう。

想像の産物を追い求めることは無を探し求めることであり、行き着く先は死である。」

さて、これを注意してよく聞いてください。「だから生命を追求しているつもりで、あなたは死を求めている。」
私たちは不可能なことに意識を向けているため、死を求めることになるのです。

「安全と保障を求めているつもりでも、心の中では危険を求め、自分が作り出した小さな夢が守られることを祈っている。」

その祈りとは、私たちの注意が向くところを指します。私たちは自分たちの注意を外の世界のあらゆるものに向けていて、どうにかしてそこで安全を確保し、成功したいと思っています。

理論的には私たちは安全と保障を求めていることになっていますが、私たちは意識を危険に向けており、その危険からの保護を求めているのです。

そしてこのように続きます。
「しかしこの世界では、何かを探し求めずにはいられない。
あなたは探すためにここに来たのだから、必ず探すことになる。」

ところで、皆さんの中に、長いこと、自分の人生に何か足りないところがあると感じている人はいるでしょうか。
それが何かをはっきりと言葉にすることは出来ないけれど、自分が何かを見逃していることは認識している。
じっくりと振り返ってみれば、そんな何かがある事に、全員が思い当たるでしょう。

レッスンはこう言います。
「どのゴールを追求すべきかを世界があなたに命じることはない。」
私たちは何かを探し求めずにはいられませんが、私たちがその力を世界に与えない限り、世界が私たちにゴールが何であるかを教えることはできないのです。

つまりもし、その力を与えなければ、私たちはどんなゴールでも選ぶことができます。
世界を超越したゴールを選ぶことが可能です。
それは、捨てたはずの、そして手放そうとしたはずのゴールですが、私たちがまだそれを覚えいる概念から生じるゴールです。それこそ、私たちが探しているものです。
「またそれは、忘れ去られた遺産から響いてくるこだまでありながらも、あなたが真に望むすべてを含むものである。」

さあ、私たちは喜ばなければなりません。
私たちが探しているのは天国であり、そのゴールは必ず見つかるのです。
「このゴールを望まない者はいないので、それに到達せずに終わる者はいない。」
皆が最終的に愛を経験することを望んでいます。
神の子の探求が無駄に終わることはありえない。」
神の子とは全ての被造物のことですね。
つまり私たちは自分の注意を逸らして、ゴールの達成を遅らせることは可能です。
自分を騙して、この世界にあるものが自分の本当に欲しているものだと思い込むことは可能です。
しかし、自分が間違っていることがわかれば、訂正を見出すことが出来ますね。

もしここで物事がうまくいかなければ、苦痛があまりにも酷くなります。それが、「横道に逸れた時は」と書かれていることの意味です。

私たちはこの世界のゴールを達成しようとしますが、そこに愛はありません。そして元の道に戻らざるを得なくなり、そうして与えられた任務へと導かれるのです。

さて、素晴らしいニュースがありますよ。
「地獄にとどまり続ける者はいない。」
誰も恐れに満ちた環境に留まることはないのです。
なぜなら誰も自分の創造主を捨てることはできないからです。
なぜなら、私たちは私たちを創造したものの心の中に、心として住んでいるからです。そこを離れてどこへ行けるというのでしょう?

そして、私たちの狂った心が、「時間を超越した不変にして完璧なその愛を変化させることは出来ない」のです。その愛はあなたに、そしてすべての人に向けられています。

私たちは天国と全一性を見出すでしょう。
なぜならそれ以外に私たちが追い求めているものは、すべて消えていくからです。そんなものは不完全だからです。

「そうしたものがあなたから取り上げられるからではない。あなたがそれを欲しいと思わないから、去っていくだけのことである。

あなたは真に望むゴールに確実に到達する。それは、神があなたを無罪性の中で創造したということと同じく、確かなことである。」

これは例えば、もしあなたが好きなのはオペラに行くことで、そこで誰かが「君は絶対にボクシングの試合に行ってはいけない」と言ったとしても、あなたは「それで全然構わない。私はボクシングに興味ないんだもん」となりますよね(笑)全く何の犠牲も払いません。

そんなふうに、私たちは何か自分が欲しているものを諦めるように求められてはいないんです。

そこでレッスンはこう言うんです。
「ではなぜ、あなたは天国を待っているんですか」と。
なぜ、深い満たしてくれ、愛してくれて、最高に素晴らしい、他にも色々な形容詞付きの人生が今日、ここにあるのに?

時間は巨大な煙幕です。それは大きな嘘っぱちです。どういうわけか、私たちは自分が追い求めているものを過去や未来に探しますが、それは絶対に不可能です。
深い愛の体験は、今、私たちがいるここで起こるのです。常に、今いる場所です。それが私たちだからです。

神の意志(これはすなわち、私たちのことです)が過去にあったり、未来に生じたりするだろうか」そんなこと、全く意味が通りません。

「神が意志することは今ここにあり」、あなたがいるのは、今、ここですよね?そうじゃない?(笑)
私たちには実は、過去も未来も無いんです。
私たちは毎瞬ごとに、再創造され、再び生まれ出ているんですよ。

レッスンは言います。
私たちの愛を体験できる能力は、「小さなろうそくの光が空の果ての星から遠く離れているのと同じくらい、時間からはるか遠くに隔たっている。そして、あなたが選択したことも、同じように、あなた自身が真に望むことから離れている。」

そしてこう続きます。
「天国はあなたのもう一つの選択肢(私たちがこしらえた、このおかしな世界)として常に存在している。」
「すべての慣習や、移り変わる様式や不確かなゴールや、その苦痛に満ちた楽しみや痛ましい喜び」、これらはすべて対立と矛盾するものです。
愛には矛盾はありません。
「自らの存在を否定して自らを攻撃するようなものは、神からのものではない。」それはエゴのものです。
「神は二つの心を作りはしなかった。」
そう、裏表はないんです。 

「だから、一つの心の喜ばしい結果として(素晴らしい)天国が生じ、もう一つの心の哀れな結果として天とは正反対の(とても沢山の人にとって、ひどい体験となる)地が生じる、ということはないのである。」

が葛藤で苦しむことはない」
神は葛藤を創りません。葛藤に苦しむこともありません。そして実相において、私たちも苦しむことはありません。

に創造されたものも二つに引き裂かれることはない。」
被造物が愛のない地獄の中にいるのは不可能です。愛そのものが、私たちを、まったく完全な全一性の中に置いたのです。そこに永遠に住まうように与えられたものが、失われるなんてあり得るでしょうか?
のただ一つの目的にこれ以上、異質の意志を押しつけるのはやめよう」と言っていますよ。それはエゴのやること。

エゴは「神って何のことがよくわからないけど、神がすることに意味はないと思う。だから私が自分で意志を持とう。私が自分で「自己」を作り上げよう」と言ったんですね。そうして、私たちがこうなりました。

がここにいます。なぜなら、ここにいたいから。そしてもし、神が私たちを自分として望み、ここにいると望むなら、そうなります。

今日、私たちはパラドックスを選ぶことはしません。
「今日、私たちは真理の代わりに矛盾を選ぶことはしない。」
私たち被造物が時間を作り出して、神の意志を取り去ることなどできるだろうか。

取り去ることはできません。しかし、それを曇らせることはできます。でももう、これ以上、そんなことはしないと決めましょう。

私たちは天国に対立する地獄を作ったと考えました。しかし、そんなことはできなかったらんです。私たちは眠り込んで夢を見ているだけです。

そして自分が本来は存在しないものの中に住んでいると思い込んでしまいましたが、それは幻覚でした。

そして天国、そこにこそ私たちはいるのであり、それは私たちそのものなのですが、そこは見出せない場所だと信じてしまったのです。

それが、私たちが深く眠り込んで狂ってしまい、幻覚を見るときに起こっていることです。全てがひっくり返って逆さまになってしまっているのです。

覚えていますか?
コースが私たちに伝えているのは、私たちがいま信じている全てが、真実ではないということ。そして私たちは全部を180度転換して、真実を見つけ出さなければならないということです。

だから私たちはこんなに沢山のレッスンを実践して、何度も何度も、このように言う必要があるんですね。
「自分の思考の配線を組み替えよう!今とは全く反対の方向に!」

さて、レッスンは続けて、そういった愚かな考えをすっかり忘れ去るよう求めています。
そして私たちの心を真実の概念、愛と思いやり、実在である実相につながることを呼びかけます。

「真理に到達しようとして、それに失敗する者はいない」それが私たちの目指すところです。

今日は1日3回、10分間を、実相世界が、形の世界に代わって立ち現れるよう求める練習に捧げます。
私たちはまだ形の世界に住んでいますが、そこからより澄んだ、もっと愛のある、もっとひとつにつながった、より思いやりのある世界が立ち現れて、私たちがこれまで大事にしてきた愚かな形象に取って代わることを求めます。

愚かなイメージは、あんまり良いもんじゃありませんね。周りを見回してご覧なさい。それらをこの、真の概念に代えるのですよ。いいわね?

私たちが目にしているものには、意味もなく結果もなく、源も実体もありません。
それに代わる新しい概念が欲しいと思いませんか?

さあ、この言葉で練習を始めましょう。

「私は別の世界を見ることを求めます。そして、自分で作り出したものとは違う種類の考えを思考できるようになることを。

私が探し求める世界は、自分ひとりで作り出した世界ではありません。
私が思考したい想念は、自分ひとりのものではありません。」

そうです。私は目を閉じた時に自分の心に浮かんでくる違う世界をはっきりと見たいのです。
嫌悪、恐れ、分離、貪欲とは違う何かを見たいのです。

そして私は違う種類の思考で考えたいのです。私は批判・判断、自分や他人に対してダメ出しをするような思考は続けたくありません。

「私が探し求める世界は自分ひとりで作り出した世界ではなく」とは言い換えれば、実相の世界、愛の世界、つながりの世界そして平安の世界は私に与えられるものであり、私がでっち上げたものではないということ。私が作り出したのはエゴです。

「私が思考したい想念は自分ひとりで思考する想念ではない。」それは、私たちに授けられるもの。それは、愛の思考が授けられるということ。

さあ、目を閉じて、私たちが作り出している無意味な世界を見てみましょう。すべての罪悪感や非難、恐れ、被害者意識を見てみます。それらはこの世界の仲間なんです。
ただ、それらを手放しましょう。

それらが入って来られない心の奥深くまで沈んでいきましょう。そしてこう想像します。そこには扉があります。あなたはその向こう側にいこうとしています。

これが言いたいのは、あなたが周波数を変える必要があるということです。私たちは周波数を、恐れから愛と受容の周波数へと変えなければなりません。

この扉を探し、見つけてください。

しかし、その扉を開く前に、愛に到達しようとする者は、純粋にそれを求めている者は、誰も失敗することはないということを、思い出してください。

今日私たちが求めるのは、次のことです。

「いまや、真理に到達することだけが意味を持ちます。あなたはもはや他のどんなゴールにも価値を置かず、探し求めることもありません。
この扉のこちら側には、あなたが真に望むものはなく、あなたが求めるものは扉の向こう側にあるものだけなのです。」

扉の向こうにあるのは、私たちの望む全一性です。

「手を伸ばしなさい。そして、その扉の向こう側へ進もうとするあなたの決意によって、その扉がいかに簡単に開くかを見なさい。

天使たちが道を照らしてくれるので、あらゆる闇が消え去り、あなたは明るく澄み切った光り輝く場所に立っているので、目にするもの全てを、ようやく理解することができます。

おそらくあなたは、驚いてしばし立ち止まるでしょう。しかしそのあとすぐに、悟るでしょう。目の前に見えている世界が、あなたがかつて知っていた真理を映し出しているということを。そして、数々の夢の中をさまよっていた間も、あなたはその真理を完全に忘れ去ることはなかったことを。」

さて、ここでもまたレッスンは、あなたは今日、決して失敗しないと伝えてくれています。

「今日、あなたに失敗はあり得ない。」

あなたがいつかこの扉に近づく日のために、天国があなたに、あらゆる助けを送ってくれています。

さあ、私たちはそこにやって来ました。

そしてこの助けがあなたと共に歩んでくれているので、あなたは滑るように難なく扉を通り抜けて光へと至ります。

「今日、ついにその日がやってきた。」

今日、私たちが太古に交わした、愛に戻ると約束したそのことを思い出すとき、その約束が果たされます。

今日は悦びの日です。
私たちは、定められた時と場所にやってきました。私たちが求めてきたこの途方もない目的地を見出し、この扉を通り過ぎるとき、この世界での探求の全ても終わります。

今日が特別な悦びの日となるべき1日であることをたびたび思い出して、陰鬱な思いを抱いたり、無意味に嘆くことのないように。

「救済の時は来た。」
それは私たちが、わが家に帰る道にやってきたということです。今日、私たちは戻れるのです。

今日という日はまさに、全一性によって、愛によって、私とあなた、私たちと世界にとって、祝福の時たなることが定められています。

万が一、今日このことを忘れてしまったら、自分にこう言って思い出させてください。

「今日、私は自分の望む全てを探し求め、それを見つける。」

「私のただひとつの目的が、私の望むものを私にもたらしてくれる。」

対立にもエゴにも私の邪魔はさせません。
ひとつの目的とは、愛と赦しです。

「真理に到達しようとして、そらに失敗する者はいない。」

長く、学ぶことの多いレッスンですね。
とっても重要です。
練習をして、素晴らしい1日にしてください。
明日またお会いしましょう。

グッバ〜イ♪


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