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#179 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※ ワークブック訳は"There Is No Spoon "https://thereisnospoon.jp/blog-entry-822.html と、「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参考にしています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン179 元の講義はこちら→ https://youtu.be/ePtrY_gz23E


ハーイ皆さん、レッスン179 です。
5回めの復習セクションの終わりに近づきました。全体を通しての大きな概念はもちろん、
「神は愛である。だから私も愛である。神は全き愛であり、それでしかない。したがって私もそうであるに違いない。」

そして今日見ていく概念は、

(167)ひとつの生命があり、それを私は神と共有している。

さあ、ここでは様々な異なる生命なんてないのだ、ということを強調していますね(笑)ひとつの生命があるのです。ひとつの、終わりのない、無限の永遠の生命です。それには終わりというものがありません。ちょうど神/愛に終わりがないように、生命もまた終わりがあって、そこから何か別のものが始まるといった場所はないのです。

そしてこの生命を、対立するものが存在しない愛そのものと共有していると言っています。
そもそも死とは本来私たちには無いもので、実際、身体としか関係ないものです。そしてそれは、至福とは関係のないものと結びついていて、深い平安、豊かな充足感を持たない経験です。私たちが創造主と分離したと考える時に経験することですが、実際は分離が起こるのは不可能です。

ですから死とは単に眠ってしまっていることであり、生命と対極にあるものではありません。生命に対立するものは存在し得ないからです。私たちの世界においては、対立するものに感じられていますが、本当はそうではありません。

私たちは眠りこんでしまって、自分がいったいどこにいるのか忘れてしまっているだけです。

では、次の概念に行きましょう。

(168)あなたの恩寵が私に授けられています。私は今、それを私のものとします。

恩寵とは無償で授けられている贈り物のことでしたね。それは常に私たちの上に注がれています。私たちの存在自体が、私たちへの贈り物として与えられているのです。
それを「私のものとする」と言うのは、それはすでに与えられていて、それを求めて懇願する必要は無く、探し求める必要もないということなんです(笑)

恩寵、つまりこの、光を観る能力、真理を観る能力、あらゆるもののつながりを認識する能力はもう既にここにあるのです。

このレッスンの素敵なところは、この真理を観ることが出来る力というギフト、自分自身で作り出してしまった牢獄からの脱出口を私たちに授けるときに、神が私たちに会いに降りて来てくれるということを認識するという点です。

つまり、私たちがほんのちょっとでも「私は真理を知りたいと望んでいるかもしれない」という考えに頷くなら、真理が猛ダッシュで私たちのところにやってきてくれるということなの。

だから私たちは、独りでこれを行なってるわけでは無いんですよ。恩寵が与えられているんです。私たちが目覚める過程を早めるために送られたギフトです。

そして最後にはもちろん、
「神は愛である。だから私も愛である。いつだって、そう。私が眠りこけていようがいまいが、関係なく。」

素敵な練習時間にしてください。
明日、最後の復習レッスンでも会えるのを楽しみにしています。
グッバ〜イ♪


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