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キャロルさんの奇跡講座レッスン #78

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖

キャロルさんの奇跡講座レッスン78
元の講義はこちら→ https://youtu.be/BrRh4SegzTU


ハロー皆さん♪
レッスン78の素晴らしい演習に挑戦する時間ですよ!

「奇跡がすべての不平不満に取って代わりますように」

レッスンには「あなたは、私たちが下す全ての決断は、不満か奇跡かの間の決断なのだということを、まだ理解していないかもしれない」と書かれています。

エゴの目を通して物事を見るか、愛の目を通して物事を見るか、そのどちらかです。

前にも述べたように、ひとつひとつの不満は、その背後にある愛と光の前に立ちはだかる壁のようなものであり、そして憎しみの盾になっているんです。

エゴはこの壁をただひたすら叩きながら、憎しみの暗い盾を掲げて「愛が見えない」と繰り返し繰り返し、言い続けているのです。

しかし、愛と光はいつもそこにあります。常に、今ここで私たちを待っています。

けれども私たちは、エゴが評価・判断したり憎んだりしたいものにばかり目を向けているのです。

今日、私たちは不満の壁を越え、苦悩を越え、代わりに愛と光に目を向けることにするのです。

愛と光を見る前に視覚が見るのを止めてしまうのを許さないことで、見え方を逆転させるのです。

「あなたの目は本当は何も見ていない」と言われたことを思い出してください。目は、ただのイメージメーカーに過ぎないのです。
だから、イメージにとらわれるのをやめたいんです。
それは例えば、フロリダに住んでいて、クリーブランドに行きたいと思うようなものです。
フロリダに住んでいて、クリーブランドに行きたいのに、途中のテネシーに立ち寄って、そこで立ち止まったらフロリダに到達できませんね。
テネシー州を中傷しているわけではなく、ある種の例として挙げただけですよ(笑)!

ですから、この憎しみの盾を持って待っているのではなく、盾を置いて、代わりに愛を見るために視線を上げるのです。

愛はいつも、不平不満の背後に待っています。必ずです。

そして、私たちが不満を脇に置くと、必ず愛が現れます。不平不満があった場所には、いつも愛と光があるのです。後からやって来るのでもなければ、別の時と場所に現れるのでもありません。いつもこの時、不平不満があるまさにその場所に、あるのです。

神の子、つまり私たち、あらゆる被造物はそこに立っています。しかし暗闇の中にいるのです。悪い知らせは、私たちが抱く不満がひとつ増えるごとに、暗闇が深くなるということ。壁はさらに厚くなり、私たちの痛みや喪失感、苦しみと孤独感は一層激しくなるのです。

私たちは分離したエゴだという酷い信念に基づいてこんな事をしているんです。こんな事を自分にさせるのをやめなければいけませんね(笑)

分離したエゴは私たちでしょうか。
いいえ、そうじゃありません。
ですから今日、私たちは再び見ようと努めるのです。
私たちは盲目ではありません。不平不満を見たくありません。そうなれば、私たちの見ている世界は逆転します。

さあ、練習は私たちにこんな事を求めています。
さて、誰かひとり選んでください。
ほら、すぐに頭に誰か浮かびましたね?

あなたが恐れている誰か、もしくは大嫌いな人、本当は愛しているのに、悩まされている相手。
友達だと言いはしているけれど、一緒にいるのが難しい相手。
要求ばかりでイライラさせられたり、あなたがやって欲しい事を全然しないような人。

私たちはいつも誰かに役割を割り当てて、彼らがその役目を果たさないと苦しみます。

大抵、私たちはそんな相手に「私があなたに割り当てたこの役目を果たしてくれる?」なんてお願いしたりしませんね。
私たちは単に「私が割り当てたこの役目を、彼/彼女は喜んで愛すべきだ」と思ってるんですね。そんなことは、絶対に起こりません。

ではこれに関して、物凄い実験をやってみるわよ!
私たちは不平不満を抱かずに、この人が本当はどんな人であるかを見たい、と決めます。ここには本当は何があるのか。

それからこの、以前はあなたの思い通りにならない敵であった人が、今や聖霊/愛が与えた役割を担うことが出来るのです。

今やその人は彼が本当は何であるかだけでなく、本当のあなたの姿も見せてくれるのです。

そう、それがこの計画にあります。

私たちの人生の経験に訪れる一人ひとりの人が
私たちにその人の本当の姿、私たちの本当の姿を見せてくれる役割を担っているのです。私たちがただ不満を手放せば、見えてきます。

この練習の間に、その人の欠点や、その人があなたに与えた困難や痛み、ないがしろにされたことや受けた損害などに注目してください。

またその人の体についての欠点も。それから、その人が冒したあらゆる間違い。あらゆる罪。ひどい振舞いについて。

そしてそれから、こう言います。
「私はこれから、こんなこと全てが真実ではないと知っている存在に頼んでみよう、『わかったよ、私はこれから自分の不満を通してではなく、愛の目を通して、この人が本当はどんな人なのか見てみたい。私はそこにあるはずの愛、そして光を見たいんだ』と」

それから、レッスンはこんなふうに言うよう求めています。
「この人の中に救い主を見せてください。私を聖なる光に導いてくれるよう、あなたがこの人を任命しました。その光の中で彼と私は結びつくことが出来るでしょう」

これはすべて、「私自身を見せてください。私とはいったい何かを体験させてください。私は光である彼だけでなく、光である私を見たいのです」と言っているのと同じです。

そして、この特定の相手について、こう繰り返します。
「私は、私がこの人について作り出した映像ではなく、この人の中の光と愛を見たい」

私たちが与えるものを、私たちは受け取ります。

この相手は、その人の暗闇の中で、その人自身の不満から解放されるのを望んでいるだけでなく、実は本当は、この解放という贈り物を、私たちにもまた贈ることを望んでいるのです。

前に言いましたね?
私たちは与えるように生まれついているんです。

私たちが自分の不満の背後に閉じ込められてしまった時、私たちは恨み言をぶつけ合うのに忙しくて、愛も光も全く共有されません。

忘れないでね、あなたの中の愛と光の間に分離は無いことを。そして、その人の中の愛と光にも分離は無いことを。

ですから、相手の愛と光を見るなら、ふたりの愛と光を見ることになるのです。

その間に不満は入ってこれません。もうエゴの餌は必要なくなります。そう、不満はエゴの餌なんです。

私はエゴを養い続けたくなんかありません。それが問題のタネだし、それが壁を設計し建てた建築家なんですから。そんな壁はもう必要ない。

今日、この不安と映像を脇に置いて、その代わりに愛を見ようとするなら、私たちは感謝を感じ、名誉だと感じるでしょう。この事業に全てのものが加わっています。

神の大いなる思考の内で(つまり、全ての被造物のことを指します)、私たちの真実の姿と、他のすべてのものの真実の姿を見るようになって、喜ばないものなど一つもないのです。

この事を1日を通して覚えておいてください。

そして、私たちの狂った思考から私たちを解放するための計画の中で、この役割を自分と他の皆に割り当てることができますように。

私たちはもう狂っていたくなんかありません。

今日、私が出会うすべての人に、私が抱える不満を全部手放した時に、私の本当の姿を見せもらう役割を担ってほしい。

今日、私たちが会う人、思い浮かべるすべての人に、この救い主の役割を与える事を許してください。

そして私たちの今日の祈りは、これです。
「真の視覚を得ていない者のために、
奇跡がすべての不満に取って代わりますように」

不平不満にしがみついている限り、私はコウモリのように盲目です。これ以上、コウモリのように盲目な人生を送りたくないですね。特に、経験すべき素晴らしいことがあるときに!

今こそ、狂気を終わらせる時です。
今日話す人、会う人、みんなの内にこの役割を見い出して、素晴らしい一日を過ごしてください。

きっと、みんなにとって素晴らしい一日になるはずです。
バ~イ♪


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