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キャロルさんの奇跡講座レッスン #49

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖

キャロルさんの奇跡講座レッスン49
元の講義はこちら→ https://youtu.be/mYbtcXI_Esc

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ハロー皆さん♪レッスン49にようこそ。
ここまで進んできました。

「神の声は一日中、私に語りかけている」

さて、この神の声というのは何でしょう。

どういうわけか私たちの心の中には、時折、自分が思考している意識がありながら、その思考の作者は自分のエゴの部分ではないことに気づく意識の状態があるようです。それはただどこかからやって来るように見えます。

私たちの心の中には、非言語的な経験を取り込んで、それを何とか私たちの知的頭脳で理解できるように翻訳する機能があると言えるかもしれません。

非言語的なものを言葉で表現しようとすると、いつも少しばかり的外れになるのですが、それでもこれを試みてみましょう。

神の声、愛の意識、愛の実体は、私たちと独特な関係を持っています。レッスンにはこの声や導きの感覚を、通常の活動を一切中断することなく聞くことができると書かれています。

言い換えれば、イヤホンを耳に装着しているような感じで常時会話を続けていられる方法があるというんですね(笑)

一昔前なら奇妙な例でしたが、今ではみんな耳にイヤホンをつけてそこいら中歩き回ってますね!目の前で起こっていることが何であれ、それと関係なく、イヤホンからの音を聴くことができます。そんなふうに、私たちは実際、常に親交(コミュニケーション)しているのだとレッスンは述べてます。

もちろん、それは心の中の、世界と関わっている部分ではありません。その部分は常に散漫で混乱していて、不確実性が高いものしかもたらさない、とレッスンは言ってるわね(笑)
それはこの確信の声の源ではありません。神の代わりとしてやって来るこの声は、とても穏やかで、いつも安らかで、確信に満ちていると書かれています。

心の他の部分はぜんぶ、荒唐無稽な幻想であり、テキストのどこか(訳註:ワークブックレッスン190 .6)ではそれを「苦痛のための病棟」(笑)と呼んでいる澱んだ部分で、卑小な分離した人間のように装っているのです。

そして、それはまた「狂っていて錯乱し、実在性がない。だから耳を貸してはいけない」と書いてあります。静けさと同一化するように。

ここで聞きたいのですが、あなたは今までに、心が沈黙するような体験をしたことがありますか?平安の場所に深く降りていき、そこで素晴らしい感覚を味わって、そのまま戻りたくない、というような経験をしたことがあるでしょうか。

頭で考えるような冷静さや平安のことではありません。本物の、身をもって知る体験のことです。その体験は、私たちは誰一人として忘れられていないことを伝えているのです、私たちは特別に、ユニークに記憶され、愛され、受け入れられているのです。 いつもです。

これは実際、私たちに常に起こっていることであるという事実に目を覚ましてもらうための試みなんです。

ちょっとした話をさせて下さい。

私の子供の一人が20歳くらいのとき、あるとき私に電話してきて、「母さん、僕、初めて『声』を聞いたんだ」と言ったんです。彼は恍惚としていました。「それは僕の声とは全然違って聞こえたし、普段の言葉遣いとも違ってた。」と話してくれました。まるで魔法をかけられたみたいにうっとりしていました。

それから何年も経って、あるとき私は彼に聞いてみたんです、「まだあの声が聴こえるの?」と。すると彼は、「当然だよ」と答えたんです。ぶっきらぼうにではなく、「当たり前だよ、聞こえない人なんているの?」といったふうに、「いつも耳を傾けているわけではないけれど、ずっとそこにあるよ」と答えました!フッフフ(笑)!

そう、私たちは常に思い出すよう仕向けられているんですよ。私たちは安全で、愛されていて全てが大丈夫なんだと。

これは本当に幸せで、重要な、平和をもたらす作戦だとレッスンは言っています。レッスンがあなたに知って欲しいのは、あなたが自分がどんな間違いを犯したと思っているとしても、あなたは愛すべき存在であり、愛に満ちた存在であり、これからもずっと永遠に愛されているということだけなんです。

だから、深い沈黙の中で耳を傾けてください。私は、すべての思考が完全に停止するような経験をしたことがあります。完全にです。それは非常にセンセーショナルな体験でした。だからあなたに確証を持って言えます。これはやる価値があると。

さあ、静かにして、心を開いて。
エゴの出す雑音は、すべて忘れて。
「深く沈む」とは、方向性というより、穏やかな、静寂の状態に至る過程です。
それは、小さな雪だるまがいるガラスのスノードームがあって、それを振ると、白いカケラがまるで雪が降っているようにそのドームの中を飛び回り、そしてゆっくりと落ち着く、そんな感じなのです。

この練習を実践する時は、あなたは実相世界に近づきつつあるのです、あなたは大事な人として招かれているのであり、そこで言葉では説明できない愛そのものを体験しようとしているのです。

今日はこれを度々行います。5分の練習を4回、できればさらに回数を増やします。

そして他のすべてのレッスンと同様、頭の片隅に常に思い出すようにしてください。「私がチューナーを合わせれば、導きが語りかけてくれる。導き、直感、神の声は、常に語りかけていて、常に私に向かって発信されていて、私の仕事は、そこに同調して耳を傾けることだ」

今日もいい一日でありますように。
耳を澄ませていて下さいね。
あなたはいつも注意深く美しい目に見守られ、聴かれていて、慕われ、慰められているのだと知っておいてください。

私たちはただ、差し出されている安寧に調和するだけでいいのです。
とってもスイートな一日をお過ごしください。

バイ♪

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