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#191 キャロルさんの奇跡講座レッスン
奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪
※ ワークブック訳は"There Is No Spoon "https://thereisnospoon.jp/blog-entry-822.html と、「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参考にしています。
キャロルさんの奇跡講座レッスン191 元の講義はこちら→ https://youtu.be/BbtCqpluHUQ
ハロー友人の皆さん、レッスンを一緒に進められるのを本当に嬉しく思っていますよ。今回は、
レッスン191
私は神自身の聖なる子である。
このテーマはこれまで何度も何度も聞いてきましたね。このところの多くのレッスンが「私は」から始まるのにお気づきでしょう。それは私たちが今、自分とは何者なのかについて大幅な脳の配線組み換えを行なっているということを示しています!「私は…である」、これが最も有効に宣言する方法だからです。
「これこそ、この世界の束縛からのあなたの解放宣言です。そして、これは同じく全世界の解放宣言でもあります。あなたは神の子(あらゆる被造物/クリエイションのこと)を閉じ込める看守の役割をこの世界に与えることで、自分が何をしてきたかが見えていません。この世界は、悪意に満ちて恐ろしく、幻影を恐れ、懲罰的ででたらめで、理性のかけらもなく、盲目で憎悪に狂ったもの以外の何でありえるでしょうか。」
周りを見渡してみれば、確かにこの通りの世界があちこちに見られます。
「これがあなたの世界だというのなら、あなたはいったい何をしたのでしょう。これがあなたに見えるものだとするなら、あなたはいったい何をしでかしたのでしょう。」
その答えは次にあります。
「あなた自身のアイデンティティ(愛、あらゆる善)を拒否するなら、あとに残るものはこんなものでしかありません。」
後に残るのは、すべて恐れに基づいたものだけです。なぜなら恐れとは愛の不在だからです。もし私たちが自分は愛されていないのだと宣言するなら、私たちには愛が欠如しているのだと宣言することになります。
「あなたは混沌を見て、それを自分自身だと宣言します。すべての光景が、これをあなたに証明しています。聞こえてくるすべての物音が、あなたの内側と外側のもろさを語り、息を吸うたびに死に近づくように思え、どんな希望を抱いても、それらはすべて涙のうちに消えていきます。
自分のアイデンティティを拒否するなら、あなたは狂気を免れないでしょう。あなたが真のアイデンティティを否認するなら、あなたは創造を模倣して神をあざ笑うこの奇妙で不自然な亡霊のような思考を引き起こした狂気から、逃げられなくなります。
自分のアイデンティティを否認するなら(自分が愛と永遠の存在とはなんの関係もないふりをするなら)、ちっぽけな塵のひとかけらが自らの敵の大軍に立ち向かうように、ひとりの友もなくたったひとりで宇宙を相手に攻撃することになります。
自分のアイデンティティを否認するなら、あなたは邪悪と罪と死を目にして、絶望があなたに死にたいという願望だけを残して、あなたの指先から希望のかけらをことごとく奪い去ってゆくのを見守ることしかできません。」
コースは詩的な表現であなたの注意を引くことがなければ、何の意味ももたらしません。
「しかし、こんなことは、あなたが自分のアイデンティティを否認できるふりをして遊んでいる、それだけではないでしょうか。
あなたは、神が創造したあなたのままです。
このひとつのこと以外を信じるなど、馬鹿げています。このひとつの想念において、すべての者が自由になります。このひとつの真理の中で、すべての幻想が去ります。
このひとつの事実の中で、無垢性が永遠にすべてであるものの一部であり、すべての存在の中核であり、すべてのものの不死性を保証していることが宣言されます。
ただ今日のテーマに、あなたの想念の中での居場所を見つけさえすれば(私が神の子だとしたら、という可能性を思えば)この世界とこの世界を幽閉しているすべての世俗的な思いをはるかに超えて飛翔したことになります。」
なぜならこの世界の思いとは恐れに基づくものだからです。
「そして、この安全な避難場所から、あなたは世界を解放するために舞い戻ってくるでしょう。真のアイデンティティを受け入れることができる者は、真に救われるからです。
そして、彼が救われることは、彼のこの世界についての見方を全面的に変えて幸福への道を指し示してくれた聖霊に対する感謝の念から、彼がすべての者たちに与える贈り物となります。
次のひとつの神聖な想念があれば、あなたは自由になります。それは、あなたは神自身の聖なる子だということです。」
いつかあなたが成長してからではなく、今まさにそうなのです。
「そしてこの神聖な想念とともに、あなたはまた、自分がこの世界を解放したことも学びます。」
あなたが経験する世界は心の中で構築したものであると学習しましたね。ですから当然、あなたが心の中の想念を変えて自分の思いを解放すれば、あなたが相変わらず作り出している世界という壮大な映画を解放することができるのです。
「あなたはこの世界を無慈悲に遇することで、この残酷さが世界に必要だと知覚する必要はありません。あなたは、自分で閉じ込めていた幽閉状態から世界を解放するのです。」
そうよ、覚えてますね?内と外とは同じものでした。
「あなたはもはや、恐怖におののきながら世界を歩く自分自身のイメージや、自分のの恐れがその急所に死の印を刻んだがために、苦悶に喘ぐ世界といったさまを見ることはなくなるでしょう。
今日は、本当に簡単に地獄が消滅することを喜びなさい。あなたはただ自分に次のように言えばよいのです。
私は、神自身の聖なる子だ。
(私は愛と平安、そして悦びが独自の形で表現された存在だ。私は、いわば愛が物質の中に潜伏した状態で表現された存在だ。)
私は苦悩することができないし、苦痛を味わうこともできない。私は何も失うことはできないし、救済の求めるどんなこともやり損ねることはない。
そしてその想念の中で、あなたの見るすべてのものが完全に変わります。
ひとつの奇跡が、時が始まって以来、死の儀式が繰り返されてきた暗い太古のすべての洞窟を照らし出しました。なぜなら時間がこの世界に対する支配力を失ったからです。
神の子が栄光の中に訪れて、道に迷った者を救い、途方に暮れた者を助け、そして、この世界に自らの赦しという贈り物を与えてくれます。神の子が世界を解放するためについに再来したというのに、いったい誰がこの世界を暗くて罪深いものとして見ていられるでしょうか。」
神の子とは、私たち皆であることを忘れないように。集合的存在としての私たちを指します。
「あなたは自分自身のことを、空しい希望や荒廃した夢を抱き、涙を流しては苦痛に喘ぎ、ただ死ぬためだけに生まれた弱くて脆い存在だと知覚しています。そんなあなたに次の言葉を聞いてほしいのです。
あなたは天と地におけるあらゆる力を授かっています。あなたにできないことは何ひとつありません。
自分に対して何の情けも示してくれない世界の中で、哀れにも死にゆく定めにある無力な生き物になるという死のゲームにあなたは興じているのです。しかし、あなたが世界に慈悲を与えるなら、世界が慈悲であなたを照らしてくれるでしょう。
だから、神の子を眠りから目覚めさせ、その神聖な目を開かせて、彼が自分の作り出した世界を祝福するために再び戻ってこられるようにしてください。
この世界は誤りの中で始まりましたが、神の子の聖性の反映の中で世界は終わりを迎えます。
そして、神の子はもうこれ以上、眠って死の夢を見ることはないでしょう。
だから、今日こそ、私とひとつに結ばれなさい。
あなたの栄光こそが、この世界を救う光です。
これ以上、救済を与えずにいてはなりません。
この世界を見渡して、そこで苦しむ者たちを見てください。あなたのハートは、疲れ果てた自分の兄弟たちに安息を届けたがっているのではないでしょうか。
あなたの兄弟たちは、あなた自身が解放されるまで待たなければなりません。あなたが自由になるまでは、あなたの兄弟たちは鎖につながれたままです。あなたが自分の中に慈しみを見出さないかぎり、あなたの兄弟たちはこの世界の慈しみを見ることができません。」
レッスンは何度も繰り返し、ワンネスとあらゆるもののつながりを強調していますね。
「苦痛が自分を支配することをあなたが拒むまでは、あなたの兄弟たちは苦痛に喘ぐことになります。自分は永遠の生命を持っているとあなたが受け入れるまでは、あなたの兄弟たちは死ぬことになります。」
それは私たちが自分たちの映画を作り出し続けて、その中に登場人物を作り出し続けているということです。
「あなたは神自身を父に持つ聖なる子なのです。
このことを思い出してください。
そうすれば、全世界が自由になります。
このことを思い出してください。
そうすれば、天と地はひとつになります。」
これは詩的な表現であり、また、その意味するところそのものを言い表しています。
ですから、これを念頭に置いていてください。私は神が創造したままの私である」といった他の「私は〜である」というタイトルのついたレッスンと同様、このレッスンも、私たちをたった今、組み換え、真の姿に近づけるよう、今、連れていこうとしているのだということを。いつかでは無く、まさに、今。
素晴らしいレッスンにしてくださいね。
また明日もきっとお会いしましょう。
バ〜イ♪
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