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#110 キャロルさんの奇跡講座レッスン
奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪
キャロルさんの奇跡講座レッスン110
元の講義はこちら→ https://youtu.be/fFQ70FqPTxg
皆さん、こんにちは♪
またお会いできてとっても嬉しいわ!
レッスン110
「私は神が創造したままの私である」
私は、決して抑えきれない、永遠に溢れ出す愛から生まれ出たままの私です。ええ。さあ、始めましょう。
私たちはこの概念「私は神が創造したままの私である」「私は愛が創造したままの私である〉を、今後もこのワークブックを通して、繰り返し用いることになります。
なぜかというと、このひとつの概念だけでも、もしあなたがこれが真実だと信じるなら、あなたと、あなたが住まう世界、あなたがこの世界だというふうに理解している世界を救うに充分だからです。
次に「これが真理であるなら〜という意味になる」とありますが、これが真理であるなら、「〜という意味になるだろう」とは言っていません。そうではなく、「〜という意味に、なる」です。「〜だろう」という表現だと、多かれ少なかれ未来を示す意味になるからです。
「真理は、あなたが自分にもたらした変化には何の実在性もないということであり、」実質的な変化を起こしていないのです。
あなたは幻覚を見ていますが、それは何も変えていません。あなたが幻覚を見ていても、その幻覚を見ている部屋に変化を起こすことはありません。
ですから、愛が生み出したものが、恐れや悪や不幸や死に取って代わられたわけではないことは、はっきりしています。
私たちは神が創ったままの姿でいるならば、愛の欠如である恐れには意味がなく、悪は実在せず、惨めさも死も存在しないのです。
そして、次に壮大な声明がなされます。「今日の概念は、完全な訂正により私たちの心を癒し、完璧な心眼/ビジョンを私たちに与えるために必要なすべてである。」
ビジョンとは、何が本当に真実なのかを認識する内なる自覚です。そのビジョンはいかなる心がいかなる時と場において犯した間違いでもすべて癒すというのです。
「私の癒しが、どうして他の人の心と関係あるのだろう?」と思いますか?
それは私たちは皆、ひとつの心で結ばれているからです。
過去を癒し、未来を動揺や悲しみから解放し、現在を美しいものとして受け入れるのには、これだけで十分なのです。
また、これさえあれば、時間は時間から逃れるための手段となり、そして、時間の経過がもたらすように見える、老いや病や死といったあらゆる変化からも免れることが出来るようになるのです。
そんなことに悩まされないで済むなら、それに越したことはないでしょう?
だから、もし私たちが神の創造したままであり続けるのなら、見かけだけのものや世界、形は真理に取って代わることはできません。
真理は目に見えません。
真理は手で触れることもできません。
しかし、それを体験するとき、あなたは自分の持っているすべての形を、その体験と交換することになるでしょう。
「健康が病気となることも、死が命の代わりなることもあり得ず、恐れが愛の代わりになることもありえない。」
暗闇は光の欠如であるように、恐れは愛の欠如だったことを覚えていますか?
私たちは、創造されたままであり続けているのです。私たちは堕落して自らを破壊するようなことはしませんでした。
そしてこれこそが、償いが訪れて世界を照らすために必要な唯一の概念であり、私たちの過去の考えや過去の惨めさから世界を解放するために必要な唯一のものなのです。
「この1つの概念で、過去は取り消され、現在が保持され、時間のない未来へと静かに延長されてゆく。」これはある意味、矛盾していますね。未来とは時間に関係するものなのに、「時間のない未来」は明らかに時間が存在しないことを意味していますから(笑)
これが意味しているのは、これか私たちに〈永遠の今〉に存在する能力を与えているということです。
そして、私たちは神が創ったままの存在なので、私たちを創った心と、その心の絶え間ない発露である私たちとの間に隔たりはないのです。私たちの心と他人たちの心との間に分裂はありません。あるのは一体性だけです。それだけ。
その真理に代わる選択肢はありません。
絶対的な一体性を変えられる力は存在しないのです。
「今日の概念の癒しの力には限りがない」と書いてあります。
この概念が奇跡の生まれる場所であり、奇跡こそが、私たちが愛の存在に気づくとき、自分自身と世界に、真理の自覚を取り戻させる大いなる復元者となるのです。
で•す•か•ら、今日の概念を感謝を抱いて練習しましょう!(←ここのキャロルさんの声、凄みとおかしみがあるw)
この1つの概念がそれを可能にしてくれると言ったいるのに、それを感謝しながら練習しないなんてこと、あるでしょうか!?
これが私たちを自由にしてくれます。
これが私たちに約束されたものなのです。
これこそが、悲しみを終わらせる方法なのです。
練習時間には、このように繰り返すことが求められています。
「私は神が創造したままの私である。」
今、そうなのです。この瞬間、そうなのです。後で私が向上した時にそうなるわけではありませんよ。
「私は神が創造したままの私」これは過去形ではなく、現在形にしましょう。「創造した」のではなく、「創造する」です。現在です。
私たちは面倒な言葉を使わなければなりませんが、だからこそ、私たちが実践しなければならないことは、言葉を超えたところにあるのだということを、繰り返し練習をさせることで指し示しているのです。
「神の子が苦しむことはあり得ない。」
「神の子」とあるのは、被造物のすべて、そのすべての側面、すべての表現のことです。そして、私たちが集合的な神の子です。
私たちの認識する自覚が、その神の子なのです。
そして、この考えをしっかりと心に刻み、必要なら紙に書いて、愛の表現そのものであるこの生命、この臨在/プレゼンスを心の中に発見しようとしましょう。
その後に、あなたの中にいるキリスト、神の子、この世界にとっての兄弟、彼に触れる者を救う力を持つ永遠に救われている救い主として、あなたが自分の中に求めるべきことが詳細に記述されています。
その彼とは、あなたのことです。
これらの言葉はすべてあなたを指しています。
他の誰かではなく、あなた、私たち、私たち全員を指しています。私たちは神が創造したままの存在です。
私たちは、この存在、私たちの生命に敬意を払う必要があります。
わかりますね、あなたは生きています。そうでなければ、このレッスンを聴いているはずないでしょう(笑)ですから、自分で思い込んできた自分のイメージを手放しましょう!
エゴ、肉体の心、人格など、それらはイメージです。それは私たちが創造されたままの命の代わりに、私たちが自分自身で作り出したものです。それを崇拝してはいけません。
心の奥底で、私たちの本当のプレゼンスは、私たちが認めるのを待っているのです。
私たちは、この、自覚している意識、愛に満ちた生命である本当の私たちの姿を認めるまでは、迷子であり、何も理解することが出来ません。
この本当の姿は肉眼の目からは隠れています。
なぜなら、明らかに、あなたは今、生きているからです。
あなたの命は、実は肉体に属する心とは何の関係もないのです。肉体の存在する前に、その後に、その間に存在するものです。
それが私たちなのです。
今日はこれを探し、見出します。
私たちのプレゼンスが、私たちが作り上げたすべての偶像から私たちを救う救い主になるでしょう。
そして、実際に自分自身を体験したとき、偶像や形の世界に幸せや平安、安全を見出そうとすることがいかに馬鹿げていたか、そして、自分が信じているイメージや、肉体、心、人格といった自分自身がいかに偽りであったかがわかるでしょう。
今日、私たちは、形への忠誠を放棄して、大きく前進しようとしています。
私たちに愛、平安、安全、幸せ、生命などをもたらすとこれまで考えてきたものへの忠誠を手放すことで、真理への大きな前進を遂げようとしています。
そして、私たちの両手とハートと心を実在の愛に開くのです。
今日は一日中、出会うすべての人に感謝の気持ちと愛に満ちた思いを込めて、愛に満ちた自分を思い出しましょう。そうすることが彼を思い出すことになるからです。そう、与えることと受け取ることは、同じことですね。
そして私たちの中のキリスト、愛と私たち自身を思い出させるように、自分たちに次のように言いましょう。
「私は神が創造しているままの私である。」
「しているまま」に変更しますよ。そ神への冒涜じゃありませんよ!もっと正確なものにしているだけ(笑)
これは私たちを自由にする言葉である。これは天国の門を開く鍵であり、私たちを平安と永遠の中に入ることを可能にするものなのです。
ワオ!なんというレッスンでしょう!
今日もゴージャスな一日をお過ごしください。
それでは、またね♪
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