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#155 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※奇跡講座ワークブック編 中央アート出版社を参照しています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン155

元の講義はこちら→ https://youtu.be/fbuIQDKE7sI


ハロー親愛なる皆さん、またここに集ってくれてありがとうございます♪

レッスン155
私は一歩退いて、神に導いてもらう。

「存在するように見えるが実は存在していないこの世界の中で生きるための、ひとつの生き方がある。あなたの外見が変わることはないが、あなたはもっとたびたび微笑むようになる。

あなたの額は穏やかで、瞳は静かである。そして、この世界であなたと同じように歩む者たちは、自分の同じ者たちを認識する。」

同じ道にいる人たち、同じ周波数の人たち、または関心を同じくする人たちはお互いを認識するのですね。

「だが、その生き方(愛の道)をまだ知覚していない者たちもあなたを認識し、あなたが以前と変わらず自分たちと同じと信じるだろう。」

彼らは、あなたが仕事に行ったり家で生活をしている肉体としてのあなたを目にしています。

「世界は幻想である。
そこに来ることを選ぶ者たちは、彼ら自身が幻想となり、自分の実相を回避できる場所を求めている。」

そこではあなたは特別なエゴとして分離することが出来ます。

「しかし、ここにも自分の実相があると発見した時には、彼らは一歩退き、その実相に導いてもらおうとする。実際、それ以外に彼らにどんな選択肢があるだろう。幻想に先導させるのは狂気である。」

私たちが今行なっているのは、正にそれですね。私たちはエゴを自分の主要なアイデンティティと見なしているんですから。

「しかし、(エゴという)幻想(、つまり分離した自分という幻想)を真理の後ろに退け(二次的なものとして扱い)、あるがままの真理を前面に立たせることは、単に正気であるに過ぎない。
これが、今日、私たちが行う単純な選択である。

狂った幻想(つまり肉体、この世界、個としてのパーソナリティなど)は今しばらくは形跡を残すだろう。それは、ここに来ることを選択し、まだその選択の間違いに気づいて喜ぶまでには至っていない者たちが見るためのものである。」

以前のレッスンで、この世界には私たちを満足させるものも、安全も、私たちが望むものは何もないと教わりましたね。この世界にはやって来た時、私たちはそれを知らなかったのです。

「彼らは真理から直接学ぶことはできない。なぜなら、彼らは真理が真理であることを否定したからである。」

幻覚を見ている人に「それは全く現実ではないよ、あなたは幻覚を見ているだけだよ」と言っても信じてもらえません。

「だから彼らには、教師が必要である、彼らの狂気を知覚はするが、彼らの中にある幻想は見過ごして単純な真理を見ることができる教師である。」
この狂気を見ても、「それは実際には起こっていない」という事が見える何かが必要です。私たちにはその仲介者、橋渡しをしてくれるものが必要なのです。そしてそうしてくれる機能は、私たちに備わっています。それが本当に起きていることを観察してくれているのです。

「もし真理が彼らにこの世界を諦めるように要求したら、彼らには、何か実在するものを犠牲にするよう求められているかのように思えるだろう。多くの者たちが、この世界が実在すると信じ続けながらも世界を放棄することを選択してきた。」

例えばある人たちは修道院に入ったり、信仰の道に入ったりします。

「そして彼らは損失の感覚に苛まれ、それゆえに解放されることはなかった。そのほかの者たちは、世界だけを選んできた。」

この世界だけが実在するものと信じ、その中でどうにか上手く生きていこうとします。

「そして、さらに深い損失の感覚を味わってきたが、彼らにはそれが何なのか理解できなかった。」

なぜ何か欠けているものがあると感じるのか理解出来ないのです。

「これら二つの道の間にもう一つ別の道がある。その道を進めば、犠牲や窮乏を速やかに後にするので、あらゆる種類の損失から逃れられる。これが今、あなたに約束されている道である。
あなたはこの道を、ほかの者たちと同じように歩む。実際には違っているのだが、あなたは彼らと少しも違わないように見える。このようにして、あなたは自分自身のためになることをしながら彼らの役に立つこともでき、神があなたに開いた道、そしてあなたを通して彼らにも開いた道を、彼らは歩み始めるようになる。」

自分が学びたいことを、教えながら学んでいくようなものです。

「あなたが彼らに接することができるように、幻想は依然としてあなたにまとわりついているように見える。」

あなたはまだ普通の、肉体としての人物のように見えるということね。もしあなたが何か神話的なものだったり幽霊のように見えたら困りますよね。周りの人たちと同じように見えないと不便です。

「しかし幻想はすでに後退している。そして彼らに聞こえるあなたの言葉は幻想ではなく、あなたが彼らの目に見せるものや、彼らの心に理解させるのも、幻想ではない。」

周りの人たちは、何か違うところがある、そこには何か正しいと思えることがある、実質を伴う何かがあると感じます。

「また、あなたの前を進む真理が、幻想を通して彼らに語りかけることもない。」

この世界が現実のものだと考えることはありません。

「その道を進むあなたが、後についてくるようにと彼らに呼びかける間に、その道は幻想を通り過ぎてしまうからである。」

あなたが、奇跡講座の本には真理があると感じ、その言葉から真実が立ちのぼって来るのを感じることができるように、私たちは皆、お互いの中にある真理を感じることができるのです。

「すべての道は、最後にはこの道につながる。犠牲と窮乏はどこにも達しない道である。敗北のための選択肢、達成不可能な目的である。こうしたすべてのことは、あなたの中で真理が前面に現れるとともに後退する。そして真理は兄弟たちを死の道から連れ出し、幸せへの道を歩ませる。彼らの苦しみは幻想にすぎない。それでも彼らは幻想を真理と誤解しているので、そこから連れ出してくれる導き手を必要としている。」

私たちはこの制限付きの世界が本物であると信じ、そこに価値があると信じています。そこが問題なのです。

「救済の呼びかけとはこうしたものであり、それ以上のものではない。それはあなたが真理を受け入れるよう求める。そして、真理に先を進ませ、その光で、幻想からの釈放の道を照らしてもらうよう勧める。それは身代金を払って取り戻される釈放ではない。そこではどんな対価も必要なく、ただ得るものだけがある。
幻想はただ、聖なる神の子に鎖をつないでおくように見せることができるだけである。神の子が救われるというのは、幻想から救われることに過ぎない。幻想が後退するとき、神の子は再び自分自身を見出す。

これからは、この道を安全に、しかし慎重に歩きなさい。あなたはまだこの道では初心者だからである。あなたは今後も、真理の前を歩いて幻想を導き手としたくなる誘惑に駆られるかもしれない。」

再び、エゴの方が大事だと優先してしまうことがあるかもしれません。または、世界のやり方に従って、世界のゴールの方に従ってしまうかもしれません。

「だがあなたには聖なる兄弟たちが与えられており、彼らはあなたが目的を確信して真理へ向かって歩む時、あなたの足跡を辿りながら進んでいく。
今、真理があなたの前を進んでいる。だから、彼らには、自分たちが一体感を持つことができ、理解できるものが道を先導していくのが見えるようになる。」

あなたの人生の中に登場する人たちがそこにいるのは、決して偶然ではありません。コースは、出会うべく人と出会うことになると、はっきり示しています。それが学びと教えにとって理想的な設定であるからです。

「しかし旅の終わりには、あなたと真理の間には距離も隔たりもなくなるだろう。
そしてあなたが旅する道の妨げとなっていたすべての幻想もあなたから去っている。
そこでは自身と同じく神聖な、を完成させる神の子(私たちのことです)から、真理を離しておくようなものも何も残らない。
それを信じて、一歩退いて、真理に道を先導してもらいなさい。」

あなたの直感、愛の道に従うという事を言っています。

「あなたは行き先を知らない。けれどもそれを知っている存在があなたとともに行く。これより先はに導いてもらいなさい。」

本当にあなた自身の最も深いところにある愛の感覚、どこにいても誰といても、あらゆる瞬間に正しいことを知っている存在が導いてくれます。

「夢が終わったときには、時間の扉は過ぎゆく一切に対して閉ざされ、奇跡には目的がなくなり、聖なる神の子が旅に出ることもなくなる。

真理よりも幻想として存在したいという願望は消え去る。真理が指し示す道を進んで行く時、私たちはこの地点に向かっている。これが私たちの最後の旅であり、私たちはすべての者たちのためにこの旅に出ている。」

すべての者たちとは、すなわち、私のことですから。

「道を見失ってはならない。今や真理は、私たちの前を進むだけでなく、私たちの後に続く兄弟たちも先導しているからである。

私たちはに向かって歩む。」

私たちは愛の体験に向かって歩んでいます。

「立ち止まって、これについてよく考えてみなさい。これ以上に神聖な道があるだろうか。
あなたの努力と愛と熱意を傾けるに値するような道が、他にあるだろうか。
どんな道が、一切を超えるものをあなたに与えることができるだろうか。あるいはそれ以下のものしか差し出さずに神の子を満足させられるだろうか。

私たちはに向かって歩む。」

言葉では言い表すことのできない、愛の体験、悦びと、深い深い、大いなる平安の体験へと向かって歩みます。

「今、私たちの前を進む真理はとひとつであり、が常に臨在してきたところへと私たちを導いていく。それ以外にあなたが選びたい道があるだろうか。

あなたは、世界をへと導く道を安全に歩み始めている。」

あなただけを導いているのではないんですね。そう、あなたは全てとつながっているんですから。

以外のところへ導くように見える道に目を向けてはならない。」

この世界のゴール、つまり「どうにかして自分を特別な存在にしよう」とする道には目を向けません。

「夢は、神の子であるあなた(そしてあらゆるクリエイション)にふさわしい導き手ではない。
は自身の手をあなたの手に託し、あなたがの信頼にふさわしいと信頼して、あなたに兄弟たちを与えたことを忘れてはならない。
が欺かれることはあり得ない。の信頼があなたの道を確かなものとし、あなたのゴールを揺るぎないものにした。あなたは、兄弟たちもあなたの自己も見捨てることはない。

今、は、毎日少しの間、あなたがのことを思うようにとだけ求めている。
それによって、はあなたに語りかけ、の愛について語り、の信頼がどれほど大きく、神の愛がどれほど無限であるかをあなたに思い出させる。
実際はひとつのものであるあなたの名と神の名において、今日、私たちは喜んで次の概念を練習する。」

これが私の実際に望む生き方なのですから、喜んで「私は一歩退く」、つまり私は他と切り離された一個の人間であるというエゴの感覚から一歩下がります。そして真理、神、愛に道を先導してもらいます。私が歩みたいのは、そこに至る道なのですから。

私は一歩退いて、神に導いてもらう。私は神に至る道を歩きたいのだから。

美しいレッスンです。
今日、あなたがファビュラスな練習の1日を過ごしますように!
では、またね♪


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