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#153 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※奇跡講座ワークブック編 中央アート出版社を参考にしています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン153

元の講義はこちら→https://youtu.be/BQK0rQZoHzs


ハロー皆さん、今日も参加して下さってありがとう♡
今回も防衛に関する非常に長いレッスンになっています。

レッスン153
「防衛しないことの中に、私の安全がある」

今まで世界の中で教わってきたこととはだいぶ違うことを言っているけど、確かにこれは真実なんですよ。

「あなたはこの移り変わる世界に脅威を感じている。その栄枯盛衰、過酷な運命のいたずら、しばし関わる人々、そして、与えられても再び取り上げられる「贈り物」の数々。こうしたことに脅かされているあなたは、このレッスンをしっかりと学びなさい。
この世界は安全を与えてはくれない。」

おやおや!チャンネルはそのままで!(笑)

「それは攻撃に根差しており、」
言い換えれば、それは私たちの不満や非難から生じているので、当然、完全に100%攻撃になります。

「一見安全と見える『贈り物』はみな、幻のごとくあてにならない。この世界は攻撃し、それを何度でも繰り返す。このように危険に脅かされている場所に、心の平安はありえない。」
あらゆる意味で、あらゆる場所で、心の平安はありません(笑!)

「世界はただ防衛の姿勢を引き起こすだけである。脅威は怒りをもたらし、怒りは攻撃を当然で正直な反応のように見せ、正当防衛の名のもとに、合理的だと思わせる。

しかし防衛の姿勢は二重の脅威である。それは弱さを証しし、効果のない防衛システムを打ち立てるからである。そうなると、弱き者がさらに弱められる。なぜなら、今や、外にも裏切りがあり、内にはさらに大きな裏切りがあるからである。」

攻撃は内側で起こっているんです。攻撃が起こるのは、私たちが、実体を持たない幻覚でしかないエゴと自分を同一視してしまっているからです。

そうなるともちろん「心は今や混乱し、自らの想像の産物から逃れるために何に頼ればよいのかがわからない。」

ここで問題は、私たちがそれを空想上の産物だと分かっていないという点です。

「それはまるで、もはや脱出を望むことも達成することもできなくなるまで幾重にも心を取り囲んで、しっかりと封印してしまう円陣のようなものである。」

円陣というのは私たちの心のことを言っています。

「攻撃しては防衛し、防衛しては攻撃する。これが日々、刻刻と繰り返される。一巡すればまた最初から始まるこの周期が、心を幾層もの鉄と鋼からなる分厚い壁の中に閉じ込める。心を幽閉し、どこまでも締め付けてくるその力には、中断も終わりもないように見える。」

さあ、ここでまたドラマチックな展開で盛り上がって来ました。このようにして私たちに注意を促そうとしているんです。効果は出ているかしら?そうだといいわね(笑)

「エゴが取り立てる対価の中でも、防衛は最も高くつくものである。防衛のなかにはあまりに残酷な形をした狂気があるため、正気を取り戻す望みなど実現不可能で不毛な夢としか思えない。この世界が助長する脅威の感覚はあまりに深く、その狂おしさや強烈さは、あなたの想像を絶している。そのため、それがもたらしてきた惨状の全容は、あなたには見当もつかない。」

外側に現れているものは、私たちが内側で自分自身に対して行っていることに等しいのです。

「あなたはその奴隷になっている。」
私たちは自分自身が感じている脅威の奴隷になっています。

「それを恐れるあまり、自分がなにをしているのかわかっていない。あなたはその鉄の爪が自分のハートに食い込むのを感じているが、そうした自分がどれほどの犠牲を払わせられてきたかを理解していない。」

鉄の爪、これは私たちの感じる脅威のことです。

「防衛の姿勢によって、自分がの神聖な平安をどのように妨害してきたのか、わかっていない。」

その理由は、あなたが神の子であり、神の創造物であるあなた自身を犠牲者だと見なしているからです。自分自身で作った妄想、夢、幻想によって攻撃される犠牲者だと思い込んでいるからです。

「あなたは神の子を、彼自身が作り出した空想や夢や幻想によって攻撃される犠牲者としてみている。しかも彼は、いくら防衛したところで無力な存在なので、自分の安全のように見える幻想の数々に慰めてもらえるように、さらに多くの空想や夢による防衛を必要としている。

防衛しないことは強さである。それはあなたの中でキリストが認識されていることを証言する。おそらくあなたはここで、『テキスト』の中でのべられていたことを思い出すだろう。すなわち、選択は常に、キリストの強さか、キリストから離れている時のあなた自身(つまりエゴ)の弱さか、この二者択一の選択であるという点である。」

言い換えればあなたの真の愛である臨在から離れて認識しているのかということ。

「防衛しない心が攻撃されることはありえない。それは、あまりにも大いなる強さを認識しているので、攻撃することは愚行となり、あたかも遊び疲れた子供があまりに眠くて自分が何を望んでいたのか思い出せないままに耽る、たわいのないゲームのようなものとなるからである。

「防衛の姿勢は弱さである。それはあなたがキリストを否定して、の怒りを恐れるようになったと宣言している。」

キリストを否定するとは、あなたが自身の力を否定し、実相を否定し、自分の無垢性を否定するということです。

「この世界のあらゆる邪悪な事柄の中に、恐ろしい怒りの神の姿が見えると、あなたが信じているときに、何があなたをその怒りの神という妄想から救えるだろう!
あなたが戦っている相手が幻想である今、幻想以外の何があなたを防衛できるだろうか。」

私たちがこの全てをでっち上げたんです。意識を向けたところに、現象が生まれるからです。もし私たちが愛ではないものに注意を向けたならば、実相ではなく、幻覚を見ることになります。

「今日、私達はそうした子供じみたゲームはしない。私たちの真の目的は世界を救うことである。だから、私達は自分のはたらきがもたらしてくれる永遠の喜びを、愚かさと交換したいとは思わない。(罪悪感、分離感という)無意味な夢のひとかけら(ほんのわずかな一瞬)が私達の心をよぎって、その夢の中の人影を神の子だと誤解したからといって、私たちは自分の幸福を逃してしまいたくはない。

今日は、夢を超えたところを見て、私たちに防衛は必要ないことを認識する。私たちは、攻撃に何等かの意味をもたせるような考えや願望や夢とはまったく無縁の、攻撃不可能な存在として創造されているからである。今や、すべての恐ろしい考えをあとにしたので、私たちが恐れることはありえない。

自らの安全性と救済を静かに確信している私達は、防衛しない態度の中で安全である。自分たちの司牧の職務が自分たちの選んだ目的に内在する聖なる祝福を世界中に延長させていくとき、その目的は必ず成就されるとわかっている。」

「自分たちの選んだ目的」とは、愛と赦しであり、「自分たちの司牧の職務」とは、この愛と赦しの原則を運ぶことです。

「すこしの間じっとして、沈黙の中で考えてみなさい。あなたの目的がいかに神聖なものか、そして、その光の中で、あなたがどれほど安全に、何物にも邪魔されずに安らいでいるかを。

の司牧者は、愛の司牧者は、真理、愛が自分とともにあることを選択している。彼ら以上に神聖なものがいるだろうか。

自分の幸福が完全に保証されていることを、彼ら以上に確信出来る者がいるだろうか。そして彼ら以上に、強力に保護されている者があり得るだろうか。

と自分自身の選択によって、に選ばれた者たちの仲間となった彼らに、いったいどんな防衛が必要だろうか。

の司牧者のはたらきは、兄弟が自分たちと同じ選択ができるように助けることである。

はすべての者を選んでいるが、神の意志は自分自身の意志でもあると悟った者は、わずかしかいない。

そしてあなたが学んだことを教えることができずにいる間は、救済は待ち続け、世界は陰鬱な闇に幽閉されたままである。

そしてあなた自身も、自分に光が訪れていることも、自分の脱出が達成されていることも、学ぶことができない。なぜなら、あなたはすべての兄弟に光を差し出すまで、その光を見ることができないからである。」

何人かの兄弟ではないんですよ。すべての兄弟です。

「彼らがそれをあなたの手から受け取るとき、あなたもそれを自分自身のものとして認識するだろう。」

あなたが与える時にのみ、受け取ることができるのです。あなたが差し出してはじめて、あなたが持っていることがはっきりとわかるのです。

「救済とは、幸せな子供たちの楽しむゲームに喩えられる。それは、自身の子供たちを愛する神によって計画された。そのは、恐ろしいおもちゃを片付けて楽しいゲームを与え、恐ろしいゲームは終わったと教える。

のゲームに敗者はいないので、それは幸福を教えるゲームである。そのゲームに参加する者は誰でも勝ち、その勝利によって、すべての者の利益が保証される。」

もうお分かりのとおり、私に起こることは、すべての人に起こることでもあるからです。

「救済がもたらす恩恵が見えてくるとき、子供たちは喜んで恐れのゲームを放棄する。」

救済は、私たちが、何が起こっているのかを本当に理解したときに訪れるのです。

「あなたは自分のから見捨てられて、望みを失ったというゲームをしてきた。罪と罪悪感で気が狂っている恐ろしい世界で、たったひとりで恐怖に震える役を演じてきたあなたは、今、幸せになりなさい。そのゲームは終わっている。
今や、静かな時が訪れた。罪悪感というおもちゃを片付け、一なる神の子である天国の子供たちの清らかで神聖な心から、子供じみたおかしな罪の概念を一掃する時である。

私たちはあと少しの間だけこの地上(そう、地上であるかのように見えているだけですが)に留まり、最後の幸福なゲームを楽しむ。

その後は、ゲームが意味を持たず真理だけがある場所で、私達は自らの正当な位置につく。こうして物語は終わる。

今日と言う日を、物語の最後の一章を世界に近づける日にしよう。そうすれば、恐ろしい運命や、くじかれた希望や、逃れられぬ報復に対する哀れな防衛についての物語を読んでいる誰もが、そのような話は自分の妄想的な空想にすぎないと学べるようになる。

の司牧者は、この暗い夢から神の子を目覚めさせるために来ている。その夢は、この歪んだ作り話を覚えている彼の混乱と狼狽の中に、そうした物語が呼び起こしたものである。これが真実ではないと学んだとき、神の子はついに微笑むことができる。

私達は今日から、この後しばらく続けることになる形で練習を行う。毎日、一日の始めにできるだけ長い間、その日のテーマに気持ちを集中させる。救済だけを唯一のゴールとする1日の準備をするために、少なくとも5分間を捧げることから始める。10分ならもっと良いし、15分ならさらに良い。

気が散って目的から逸れることが少なくなるにつれて、私たちはとともに過ごすのに30分では短すぎると感じるようになるだろう。また、夜も感謝と喜びのうちに少なくともそれ以上の時間を喜んで捧げたいと思うようになるだろう。

1時間ごとに、と共有する意志に忠実でいることを思い出せば、そのたびに私たちの平安は深まってゆく。

時には、その時刻になっても1分かそれ以下しか時間を割けないこともあるかもしれない。また忘れることもあるだろう。あるいはまた、世事に追われていて、わずかな時間でさえのほうに気持ちを向けることができない時もあるかもしれない。しかし、可能な限り毎時間、自分たちの使命との愛を思い出すことで、神の司牧者としての忠誠を尽くそう。

私たちは静かに座り、を待ち、神の声に耳を傾け、過ぎ去った1時間に神が与えてくれたすべての贈り物に感謝しつつ、これからの1時間にが私たちに何をさせようとしているのかを学ぶ。

練習を続けていくうちに、いつかあなたが神のことを思わないときはなくなり、真に無防備に歩む静かな道へとあなたの足取りを導いてくれる優しい神の声が、いつでも聞こえているようになるだろう。あなたは天国が自分とともにあることを知るようになるからである。

そしてまた、たとえあなたの時間が世界に救済を差し出すために使われていても、あなたは一瞬たりともから自分の心を離しておこうとはしなくなるだろう。

世界と自分のためのの救済計画を実行することを選んだあなたのために、がこうしたことを可能にしてくれないとあなたは思うのだろうか?

今日の私たちのテーマは、防衛しないということである。今日一日を迎える準備をするとき、私たちは無防備という衣を纏う。

自分の中にキリストの力(私たちの中にある真理)が宿っていることを思い出すとき、私たちはキリストの内に力強くよみがえり、自分の弱さを消し去る。キリストが一日中私たちの傍らにあって、必ず彼の強さにより私たちの弱さを支えていてくれるということを、思い出す。」

「傍ら」とありますが、それだと自分とは分離した存在だという感じがするので、私はそれが自分のものとして共に在ると考えることにしています。

「目的についての私たちの確かさが、自分から防衛によってぐらつきそうになるのを感じるたびに、私たちはキリストの力に訴える。「私はここにいる。あなたは安全です。私はここにいる」というキリストの声がするとき、私たちは少しの間、動きを止めて耳を傾けよう。

あなたの心を本来の目的から逸らさないために、これからの練習には、愛から生じる熱意が必要となってくる。恐れることはない。
また、臆病になってもいけない。
あなたが最後のゴールに到達することに疑いの余地はない。の司牧者からすべての兄弟に向かって輝く愛と力と平安は、からもたらされるのだから、彼らが失敗することはあり得ない。

これらがからあなたへの贈り物である。その返礼としてあなたがに差し出すべきものは、防衛しない態度だけである。」

もう一度言いましょう、
「必要なのは、防衛しないことだけだ」

「あなたがキリストとその無罪性、無垢性を見るために放棄するのは、一度も実在したことのないものだけである。」

これは単なる知覚としての見ることではなく、深遠な体験となるものですね。
長いレッスンですが、本当に重要なレッスンです。

では、素晴らしい一日にしてください。
では、また!


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