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#154 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※奇跡講座ワークブック編 中央アート出版社を参考にしています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン154

元の講義はこちら→ https://youtu.be/jPPNT8BVgdM


ハーイみなさん♪今日もようこそ。
レッスン154
私は神の奉仕者のひとりである。

「今日、私たちは傲慢になることも、謙虚なふりをすることもしないでいよう。そのような愚かさは既に通り越している。私たちは自分自身に価値判断を下すことはできず、そうする必要もない。」

価値判断を下すのは単に決断を遅らせるための試みに過ぎません。前回までのレッスンで、決断がいかに私たちの神性にとって不可欠であるか、お話してきました。

「そうしたことは、決断を滞らせ、自らのはたらきに献身する時を遅らせようとする試みにほかならない。

自分の価値を判断することは私たちの役目ではなく、私たちには、自分にとってどういう役割が最適なのかを知ることもできない。より大きな計画において自分に何ができるのか、その全容は私たちには見えない。」

私たちには計画の全体像が見えないんですから、私たちが果たすべき役割の詳細はわかりようがないんですね。私たちは物事が一体どう運ぶのか、見当もつかないんです(笑)

「私たちの役割は、地獄においてではなく、天国において割り振られている。」

分離の世界ではなく、実相の世界において割り振られています。まったくなんの実体もない幻覚とは違います。

「そして自分では弱さだと思っているものが強さであったり、自分の強さだと信じているものがしばしば傲慢さであったりする。」

そうです。この世界にあるすべては、真理とはまったくの正反対ですから。

「あなたに与えられた役割(『与えられた』と過去形のところを、私は現在形『与えられている』に言い換えます。だってすべては今、経験されていることですから)がどのようなものであっても、それは神に代わって語る声が選択したものであり、その声にはまた、あなたに代わって語るはたらきもある。」

この「神に代わって語る声」は聖霊の別の呼び方ですね。私たちの心の中にあって仲介の役目を持ち、言葉に表せない経験を翻訳して、私たちが知的に理解にできるようにしてくれます。それは私たちの直感とも言えます。

聖霊はあなたの強さをありのままに見ており、それがいつ、どこで、何のために、誰に対して用いられるのかが最善であるかも気づいているので、あなたに代わって役割を選択し、受け入れる。

聖霊はあなた自身の同意がなければはたらかない。しかし聖霊はあなたの本性について欺かれることはなく、あなたの中にある聖霊自身の声、真理の声、聖性の声だけを聞く。

聖霊聖霊自身のものである一なる声を聞くことができるので、その聖霊の能力によって、あなたはついに自分自身の中に一なる声があるのに気づく。」

聖霊はエゴのノイズで混乱などしていないんです。

「そして、その一なる声があなたのはたらきを定め、それをあなたに伝える。」

これはつまり、「私」の物語 vs. 直感だったのが統合され、たった一つの声だけを私たちが聞けるようになるということです。

「あなたがそれを理解し、それを果たすために必要なことを行い、その全てに成功を収めるための力をあなたに与える。」

こんなに沢山やってくれるのね!

「ここにおいてわが子とつながったのであり、そうして神の子は自らととの一致を伝えるの使者となる。

に代わって語る声を介したこのの合一こそが、救済をこの世界から区別するものである。

世界が従っていない法則(狂ったこの世界のことはまったく知らないということね)を語るのはこの声であり、が罪なきものとして創造した心の中から罪悪感を消滅させ、あらゆる罪からの救済を約束するのも、この声である。

そうしてその心は、誰が自分を創造したのかについても、その創造主と自分との永遠の融合状態についても、再び自覚するようになる。

そのようにして、その心の真の自己は、一なる実相となり、その中ではその心自体の意志との意志が合一している。」

どこまでが神で、どこから子が始まるのかといったような境界線は無かったですね。これは非二元論で言うワンネスのことです。
これを頭で理解しようとはしないでください。特に、経験することを目的としたこうしたレッスンの場合には。私たちが向かうべきは直接の体験であり、だからこそ練習が必要なんです。

「使者は(そう、私たちのことです)、自分が届けるメッセージを書くことはしない。」

宅配便の配達人と同じですね。配達人がメッセージを書くことはありませんね。

「また、メッセージを書くものにその権利があるのかを疑うこともなければ、メッセージの受取人が選ばれた理由を問うこともしない。ただメッセージを受け入れら意図された相手に渡し、配達という自分の役割を果たすだけで充分とする。
もし彼が自分でメッセージの内容や目的や宛先を決めるとしたら、彼は神の言葉をもたらす者としての正しい役割を果たせてはいない。

天国の使者の役割(私たちのことですよ)には、この世界が任ずる使者(郵便配達人のような仕事)の役割とは一線を画す大きな違いがある。彼らが運ぶメッセージは、まず最初に彼ら自身に宛てられている。」

配達人に私宛ての手紙は読まれたくないわよね(笑)!

「そして、そのメッセージを自分に受け入れることができた時にのみ、彼らは自分に留まらず、もっと先にまでそれを運んでゆき、意図されたあらゆる場所に届けることができるようになる。

地上の使者たちと同じように、彼らも自分が運ぶメッセージを自分で書くことはないが、まずそのメッセージを自分で受け取ることによって、それを与えるために準備をするので、彼らは真の意味でそのメッセージの受け取り人となる。」

これもまた「与えることが受け取ること」に関する教えですが、これが何度も繰り返し、あちこちで言葉を変えて現れるということは、それがいかに重要であるかをあなたに知ってもらいたからなんです。
ですから、この段落はこの点が大事だと再び繰り返し伝えているんです。

「地上の使者は、メッセージを全て渡してしまうことで役割を果たす。の、つまり愛の使者たちは、からのメッセージを自分たちのためのものとして受け入れることで自分の役割を果たすが、彼らはそれらを与えることにより自分がその内容を理解し受け入れたことを証明する。

彼らは、自分たちの仕える存在のもつ権威により与えられた役割以外の役割は選択しない。だから、ひとつのメッセージを与えるたびに、彼らには得るものがある。

あなたはからのメッセージを受け取りたいだろうか。」

私たちに直接語りかけています。もし受け取るなら、

「それらを受け取ることによってあなたはの使者となる。あなたは今すでに任命されている。それなのにあなたは、受け取ったメッセージをまだ与えずにいる。だから、あなたはそれらのメッセージが自分のものだと知らず、メッセージを認識していない。」

不思議なことに、あなたはまだ、そのメッセージがあなたのものだとはわかっていません。だから、メッセージを認識できていません。

「誰でも、与えるまでは受け取れないし、自分だけが受け取っていることがわからない。なぜなら、与えるときにこそ、自分が受け取ったものを自分自身に受け入れるからである。」

繰り返し何度も、「与えることは受け取ることと同じ」だと伝えています。

「あなたは今ではの使者なのだから、のメッセージを受け取りなさい(笑!)
それがあなたに与えられた役割の一部なのだから。があなたの必要とするものを与えなかったことはなく、それが受け入れられないままにされたこともない。」
これは、あなたの心の一部、聖霊の部分は受け入れてることを示しています。

「しかし、あなたに与えられた任務のもう一つの部分がまだ達成されていない。のメッセージをあなたに代わって受け取った聖霊は、それらをあなたにも受け取らせたいと望んでいる。」

聖霊はあなたの代わりに受け取ったのだから、今度はあなたが、あなた自身から受け取る番です。

「そうすることであなたは聖霊と一体感をもち、それらのメッセージを自分自身のものとして宣言するからである。今日、私たちが取り組むのは、この合一を認識することである。

私たちに代わって語る聖霊から自分の心を離しておこうとすることはやめる。聖霊に耳を傾けるときに私たちに聞こえるのは、自分の声に他ならないからである。

聖霊だけが、私たちに対して語ると同時に、私たちを代弁して語ることができら一なる声の中で、神の言葉を得ることと与えることをひとつにし、神の意志を与えることと受け取ることをひとつにすることができる。」

もう一度言いますね。これは単なる情報伝達ではありません。体験しなければならないものです。

「神の贈り物を認識できるように、私たちは聖霊が望むものを聖霊に差し出す練習をする。聖霊は、私たちを通して語ることができるように、私たちの声を必要としている。

のメッセージを聖霊が指名した者たちのところに運んでいくために、私たちの手を必要としている。
聖霊が意志する場所へ私たちを連れて行き、不幸の中で待っている者達についに救済がもたらされるように、私たちの足を必要としている。

そして私たちが聖霊の与える贈り物の真の受取人となれるように、聖霊は、神の意志と一つになった私たちの意志を必要としている。

私たちはただ、『受け取ったものを与えない限り、自分が何を受け取ったかが認識されない』という今日のレッスンを学ぼう。」

再び出ましたね。受け取ったものとは、愛、祝福、そして理解です。

「あなたは、既にこのことについて百通りもの言い方で、百回も語られるのを聞いてきたが、いまだにそれを信じてはいない。

しかし、次のことだけは確かである。

すなわち、あなたは今後も幾千もの奇跡を受け取り、さらに千もの奇跡を受け取り続けるが、それを信じるようになるまでは、があなたに贈り物を与えつくしていることがわからないし、わが子にほんのわずかな祝福さえ拒んだことがないと知ることもないだろう。

あなたがおよび神自身の子と一体感をもたない限り、このことがあなたにとってどんな意味を持ち得るだろうか。」

私たちが分離した自分であるエゴと、真の自分の姿である意識とを入れ替えなければ、自分に何が与えられているのかを理解できないのです。

「私たちの今日のレッスンは次のように述べることができる。

私は神の奉仕者のひとりである。
私は愛のメッセンジャーのひとりである。
私は愛をもたらす者のひとりです。
自分が自由だと認識するための手段があることに、私は感謝する。」

あなたが経験したいものを与えることです。私たちは自由にそれが行えます。私たちは自分の不満や非難を手放す自由を持っています。

「私たちが心に明かりを灯し、この神聖な言葉が真実であることを悟るとき、世界は退く。これが今日、創造主から私たちに送られているメッセージである。

この言葉、毎日与えられるこの言葉が、自分自身と自分のはたらきについて、どれだけ私たちの心を変えたかを、これから私たちは実証する。

私たちが互いに共有していない意志は一つも受け入れないと証明するとき、創造主からの沢山の贈り物が私たちの視野にあふれ、両手に飛び込んでくるだろう。そして、私たちは自分が受け取ったもの、いま与えられているもの、これからも与えられ続けるものを認識する。」


素晴らしい練習になりますように。
頭で理解しようとしてはダメよ。
このシンプルな練習をするだけです。
「私はすべてを与えられている。愛されている。私が体験したいあらゆることは、私のものである。他の人たちが彼らの体験したいことを体験することも、助けよう。」

素敵な1日にしてくださいね。
明日また会うのが楽しみです!
バ〜イ♪


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